富士を見る
亜保呂大夫ことアポロニアなのだが、そろそろ飽きた頃ではないかと心配した友和が、
「頃合いを見てそろそろズラかろうか?」
と尋ねた処、なんと、
「毎日が楽しいわ」
と言うのだ。
なんとなく不審に思ったのだったが、カエサルと共に酒と女に耽溺の日々の中、その事はすっかり忘れてしまっていた。
豪商共や旗本衆を、鼻の先であしらっていたアポロニアであったが、やはり、いつのまにか、男が出来ていたのだ。
中くらいのお店の放蕩息子で、お定まりである勘当中の優男。
歳の頃は二十八から三十二歳くらい。
その名も不吉な、世之介と名乗っていた。
「わちきは西鶴の隠し子じゃぞえ」
などと、ほざいている。
正真正銘の道楽トンボである。
世之介は、8年前の元禄6年に他界した井原西鶴の浮世草子『好色一代男』の主人公の名を模して使っていた。
成る程、顔立ちは優しげで、五体もすんなりと色白で、肌のきめも細かな、苦労知らずの色男なのであった。
もちろん、金と力は無かりけり。
もう何度もアポロニアと一緒の床で泊まっていったとの事なのだ。
アポロニアは初めての男である世之介に、すっかり夢中になっている。
「あのへなちょこ野郎め!」
と、カエサルは激怒した。
しかし考えて見れば、娘の稼ぎで長逗留して遊び暮らしている放蕩親父の身の上なのである。
文句を言える筋合いじゃない。
いや、もっと悪い。
認知をしていない以上は、奴隷と奴隷主の関係なのである。
つまり奴隷娘の稼ぎで放蕩三枚を続ける、悪徳奴隷主と言われても仕方のない立場なのだ。
「畜生、カルプルニアに気兼ねしてたんだ。さっさと認知してオクタビアヌスにでも嫁がせりゃよかった」
「ローマ皇帝と世之介じゃエライ違いだな」
「うむむむ、情けない。ルビコン川なんか渡るんじゃなかった。ずっとガリアに居ればよかったんだ」
愛娘に対する想いは今昔東西変わらない。
「わちきはカエサルの隠し子じゃぞえ」
などと言い、世之介と楽しく遊んでいるアポロニアなのだが、世之介が来ない日は別人のように機嫌が悪い。
流石に豪商達や浮世絵師、旗本の殿様なんぞには、しんなりとしなを作る事は忘れないのだが、やり手婆や先輩の遊女や男衆には、激しく八つ当たりをするのだ。
「誰のお陰でおまんま食べて行けるんだい!」
とか、
「わたしゃ奴隷の生まれだよ! 文句あるの!」
などと、尻っぱしょりになり、あぐらをかいて凄むのだ。
まことに恐い。
皆、世之介を頼るようになり、その結果、世之介を甘やかす事になる。
「どうせ亜保呂大夫の借金が増えるだけだい」
「知ったこっちゃないよ」
「とばっちりはごめんだね」
「ひとっ走り世之介を呼んできとくれ」
そんな訳で、いつしか世之介も居候の一人となり、友和達と遅い朝飯を一緒に食べる仲になった。
世之介さえ居れば、アポロニアは機嫌が良いのである。
さて、松の廊下の刃傷沙汰のてんまつは、先延ばしになってはいたが結局、浅野内匠頭は切腹となった。
ブルータス達6人の元老院議員は打ち首となり、こちらは闇に葬られた。
浅野家はお家断絶となった。
高家である吉良家は安泰との御沙汰に、浅野の家臣はもとより、庶民達でさえも「こんな片手落ちの御沙汰があるか!」と忿懣やる方ない。
浅野家の家臣は散り散りになったのだが、筆頭家老の大石内蔵助を中心に、ひそかに仇討ちの準備が進められていた。
忠臣蔵の世界に戻ったと言う事だ。
その夜、柳沢保明の命を受けた〝公儀お庭番〟が襲ってきた。
保明は内偵を続けていたのだ。
「きゃ~! エモーリー助けて~!」
「江守のダンナ~!」
アポロニアの悲鳴、そして世之介の叫び声であった。
すぐさま友和はタイム・エキスパンダーのボタンを押して、時間を引き延ばした。
アポロニアの寝所へかけつけると、例によって静止している。
亜保呂大夫を簀巻きにして、掠って逃げるつもりの三人の忍者。
世之介が、忍者の一人の足に噛みついている。
「いいとこあるじゃないか」
世之介なりにアポロニアを守ろうと頑張っていたのだ。
忍者共をぐるぐる巻きに縛り上げ、遊女達の部屋へほうり込んでやった。
またしてもタイム・エキスパンダーが役立って急場を凌いだ友和である。
だが、見世のあるじ徳兵衛は腰を抜かした。
「はあ~忍者が来た! 忍者が来た! ──
目付けだか老中だか、はあ~獄門はりつけだあ!
江守のダンナ、亜保呂大夫はお返しいたしやす。
まだ、どなたのお手も付いちゃおりやせん。
世之介の事は、あっしのせいじゃござんせん。
儲けた金も全部差し上げますんで、何とぞおひきとりなさっておくんなさい。
はあ~命あってのものだねだあ!
鶴亀鶴亀」
と、高額の餞別をくれた。
着せ替え人形のような暮らしに飽き飽きしていたアポロニアも、そして一緒に旅に出る事に決まった世之介も喜んでいる。
「わっちゃ清水のほうに行って、でっけえ富士山が見たいでありんす」
馴染みの女とねんごろになっていたカエサルだけは、ちょっと不満げだ。
とにかく軍資金はたっぷり。
旅仕度を整え、東海道五十三次と洒落込む四人であった。
旅は道づれ世は情け。
アポロニアと世之介にとっては新婚旅行のようなものだ。
カエサルもすっかり機嫌が良くなった。
宿場宿場の飯盛り女のお陰だ。
まったく。この国の名物とは古今、売春しかないのでは……と、嬉し恥ずかしの友和である。
ともあれ、空はどこまでも青く澄み渡り、心地の良い風に顔をくすぐられながら峠を越えた所であった。
友和は、鮮やかな元禄の富士を見た。
一天俄かにかき曇り、稲光の中、青い光が近ずいて来る。
今回は、オレンジ色に輝くフェロモン号ではなく、ブルーライトも妖しげなエステボーヨシユキの時空船、ステッペン・ウルフ号であった。
四人は牽引ビームで引っ張り上げられた。
aタイプが凄い勢いで抱きついてきた。
「友和さん、パクスロマーナかと思ったら元禄繚乱でしょ。コトミ艦長の言う通り、特異点って捕まえておけるようなしろものじゃないのね」
友和は久しぶりでaタイプを抱きしめた。
アポロニアは目を丸くする。
「エモーリと一緒にいると驚く事ばかりだけど、こんなに綺麗な恋人がいるなんて、これが一番の驚きだわ」
カエサルが言った。
「エモーリの話はすべて本当の事だったんだな。──
『ガリア史』は後回しにして冒険談を書きたくなった。
『飼猿王漫遊記』だ。
猿のエモーリと、犬の世之介と、きじのアポロニアを引き連れた飼猿王が、鬼退治をしながらあちこち巡り歩く話だ。
エモーリ、これは面白そうだろ?」
「猿のエモーリは、ちょっと酷いんじゃない?」
と友和。
aタイプが尋ねる。
「ねえ、友和さん、テレポテーションで飛んでく時は、宇宙意志かなんかに従ってる感じなの?」
友和が答える。
「ふふふふ。フォースの暗黒面だったりして」
エステボーヨシユキが顔を出した。
「お待ちしていた。カエサル、握手してくれ。あんたのファンなんだ。この時空船の船長エステボーヨシユキだ。お気の毒だけどローマには戻らないよ。地球でのあんたの寿命はもう尽きてるからね。そのかわり新しい世界があんたを待ってるよ。『お宝惑星』っていう所だ」
「おい、エステボーヨシユキ、おまけが一人くっついてきたんだ。世之介ってんだ」
茫然自失の世之介である。
「わっちゃ、もう何が何だか……あわわわ」
じっと世之介の顔を見てからヨシユキが言った。
「こいつは245ヶ星系の375星だな。いかにも隷属哀願種チンコロンって顔だ」
「わっ、女護ヶ島の事でありんすか?」
「私も世之介と一緒がいい」
アポロニアは世之介の袖を握りしめる。
aタイプが言う。
「友和さん、私達はVF型時空機で二人っきりで帰るのよ。ステッペン・ウルフに搭載してもらってるの」
「エンタメさんは?」
と友和が聞いた。
ヨシユキが答える。
「惑星温泉からタクシーで泥棒の為四郎の所へ遊びに行ったよ。しかし宴会の途中で消え失せた時にはぶったまげたぜ。ああ、これが特異点なんだって」
友和が言う。
「以前コトミ艦長に、カオスに関係してるんじゃないかって言われた事があるよ」
「成る程、混沌かって? あははは全然解んないぜ。まあ、ステッペンウルフにもコスメ(コスモス・メッセージ)装置は付いてるからな。特異点追跡は、時空船船長の名誉ある義務ってもんだ。警報が鳴ったらいつでも駆けつけてやるぜ。ともかく、特異点のダンナ、大活躍だったな」
元禄カエサル編 終わり