元老院ラプソディー
まったく、情けない思いの友和であった。
カエサルをブルータス一味の短刀から助けてやりたいのだ。
その為には、元老院へ行ってはいけないと説得しなければならない。
だが、カエサルは友和の話を信じようとはしないのだ。
それは友和の話し下手にもよるのだが、現実そのものの流れが、あまりにも荒唐無稽な感じがする事にもよる。
悔しくて仕方の無い友和なのだがどうしようもない。
少ない知識を総動員して話した、カエサルの死後のローマの話であったのだが、そもそもアントニーとクレオパトラの話からして通俗的で、現代の週刊誌ネタのような話ではないか。
親分亡き後、一の子分と親分の情婦がちちくり合ってくっつくなんて、ゴシップ誌のネタそのものだ。
いやしくも世界帝国ローマの第一人者であるアントニウスと、プトレマイオス王朝の王位継承者であるエジプト女王のクレオパトラがである。
しかもローマの、今は亡き終身独裁官カエサルの子まで成しているというのに。
狂気の沙汰と言うべきか、まあ、人間の歴史とは、なんと人間臭いこと。(アタリマエダ)
これこそが、元祖ゴシップという事だ。
皇帝オクタビアヌス誕生の事にしたって、あれだけ王制にアレルギーを示していた元老院や民衆が、カエサル亡き後は、あっという間に帝制を受け入れ、皇帝が誕生したではないか。
全くどいつもこいつも節操が無い。
三月十四日時点でのカエサルにとっては、まさにSFじみた話に違いないのだ。
この節操の無い出来事の連続を編纂して歴史と名付け、学問の一つであると定義して、その学問の中では、ある種の権威さえ発生してしまうのだから、人間というものは愚かしい。
──まあ、そこが面白いのだ。
と、資料編纂室長の江守友和は思っている。
節操の無さは古今東西、人間社会の常なのだ。
フランス革命の結果、勢い余って誕生したナポレオン帝国。
ワイマール共和国のどん詰まりで、紙袋の底が破けて、抜け落ちたみたいに誕生した、ヒットラーの第三帝国。
民衆が主役であった筈のロシア革命の結果、その民衆の生命の値が、最も下落してしまったスターリン帝国。
正義のシオニズムの為に、パレスチナの横領を続けてきて、壁なんか造っちゃうイスラエル帝国。
あたら自国の若い者の命を、細かい戦争で散らし続けながら、十年にいっぺんは兵器の在庫一掃の為とでも言わんばかりに、世界中で派手な戦争をおっ始めるUSA帝国。
数え上げたら切りがない。
友和は考えてしまう。
宙賊エステボーや、隷属愛玩種のチンコロンや、超電導マヌコロンの活躍する銀河系世界よりも、我らが地球でのデキゴトの方が、よっぽど、何層倍も節操が無いのだと。
ところで、友和は何故カエサルを助けたいのか?
それは自分でも解らないのだが、不思議な使命感とでも呼ぶべきものが込み上げてくるのだ。
これとて、コトミ艦長の言っていた特異点とカオスの関係において、生ずる処の使命感なのであろうか?
さりながら、まあ、ようするに、主人公とはそうしたものなのだろう。
とにかく、こうなったら最後の手段である。
浴衣一枚で、パンツもはかずに移動してきた友和であったのだが、たまたま、腕時計をはめていた。
あのモータウン田村から貰ったタイム・エキスパンダーである。
針こそ止まっているものの、一か八かこれを作動させてみるつもりの友和であった。
さて、朝はおおむね9時過ぎか。
往来は賑やかになってきた。
登院時間が近ずき、あちこちからトーガ姿の元老院議員達が歩いて来る。
金髪の大きなガリア人奴隷に担がせた、立派な輿に乗って来た老議員は、カエサルに目を止めると、挨拶をしてそそくさと輿から降りて歩き始めた。
元老院議員の輿や馬での会議場への乗り着けは、カエサルにより禁止されていた。
道行く人々に会釈を返しながら、悠々と歩いて今回の会場であるポンペイウス回廊に向かうカエサルに、まとわりついている友和であった。
「カエサル、何度も言うけど、誰かがトーガの裾から短剣を出したら、大声で叫び声をあげるんだ。俺が必ず助けてやるからな。信じてくれ。俺しか助けられないんだ。大声だぞ、大声」
笑顔を返し、颯爽と歩いて行くカエサルであった。
ポンペイウス回廊の前に立っている警士に制止される友和である。
此処から先は元老院議員しか入れない。
曇り空であったが、夕べからの雨は上がっていた。
友和は回廊の石段に座り込み、待つ。
通りを、洗濯女や着飾った商売屋のおかみさんが、急がしそうに通りすぎる。
いかめしいトーガの男はめっきり少なくなった。
友和と同じ短衣の男ばかりが目に付く。
討議はもう始まっているのだろうか?
リクトルがあくびをする。
子供達が鳩を追って遊ぶ。
耳をそばだてながら、友和はタイム・エキスパンダーをチェックする。
ちょっといい女が通ったので、目配せしたのだが、そっぽを向かれてしまった。
「オジンはお呼びじゃないわよ」
これは友和の独り言だ。
また女だ。
アポロニアであった。
ギリシャ製のワイン壷を頭の上に乗っけている。
腰をふって調子をとりながら歩いて来るのが、たまらなくセクシィな動きだ。
「エモーリ、喉が渇いたでしょ」
一杯、二杯、三杯と、立て続けに喉を潤す。
ワインばかり飲んでいるので、朝っぱらからほろ酔い気分である。
「うん。安土時代は濁り酒専門だったな。ワインかあ。これはこれで、いい世界じゃないか」
この男、酒さえあれば極楽なのだ。
ところでアポロニアは、カエサルの事が心配で様子を見に来たのだ。
「どうなのエモーリ? 変わった様子はない?」
「今の処はな。……シーザーが襲われた日付も時間も見当が付かないなんて、我ながら全く情けないよ」
その時だった。
「エモ~リ~!」
回廊の中からの叫び声が、確かに聞こえた。
友和は腕時計型タイム・エキスパンダーのスイッチを押した。
なんと、緑色の対象者用ビームが照射され、目の前に居るアポロニアに当たってしまった。
包み込まれた緑色の光の残滓をキラキラと残しているアポロニアも、これで友和と同じように通常時間の埒外に置かれる事になった。
「何が起こったの?」
とアポロニア。
「いいから、一緒に来るんだ! 十二分しか無いんだ!」
友和はアポロニアの手を引いて、広いポンペイウス回廊の中に入って行く。
世の中が静止していた。
正確に言うと十二倍に引き延ばされた時間が、スローモーションで流れているのだ。
要所要所に立っている、あくびの真っ最中とか、股間を掻いているリクトルの前を通り過ぎ、回廊の中を進んでいく。
会議場は広い回廊の奥の部屋だった。
小ホールといったところだ。
この出入口にもリクトルがいた。
この男は器用な奴で、立ったまま居眠りをしている。
部屋の中央にカエサルが突っ立っていた。
向い側に立っている男の手には、しっかり短刀が握られていた。
暗殺に用いられる得物は、いつの世でも諸刃の短剣ではなく、片刃の短刀である。
自傷して失敗する事を懸念するからだ。
この男も真剣な面持ちで短刀を握り締めている。
幸い、まだ刺される直前であり、カエサルに怪我は無い。
見ればカエサルの回りに居る8人は皆、短刀を持っており、今にも振りかぶらんとする者もいた。
短刀を奪おうとも考えたが、いずれも強く握り締めていて、この引き伸ばされた時間の中では、びくとも動かない。
そこで、アポロニアに手伝ってもらい、彫像を運ぶように、固まったカエサルの身体を、出入口脇の、居眠りリクトルの横へ運び避難させた。
中央へ戻り、8人の刺客達を同士討ちをさせるように、向かい合わせに動かしていると、3人程いじったところで時間切れとなった。
「どういう事なの?」
アポロニアの質問に答えている暇はない。
時間が戻った。
刺客の8人は、突然目の前からカエサルが消え失せてしまって仰天した。
そのうち3人は、勢い余って仲間に向かって切りつけて行く。
ざっくりと切られて怪我をした刺客が悲鳴をあげる。
深々と刺された奴もいる。
こいつは更に大きな悲鳴をあげた。
血まみれの刃物を目にした議員達が、めいめいにわめき立てる。
パニックになった。
非難させた筈のカエサルはというと、新たな刺客2人と渡り合っているじゃないか。
うかつであった。
刺客は、中央にいた8人だけではなかったのだ。
ガリアの戦場を数多く駆け巡ってきたカエサルは、すかさずリクトルの持っている斧をつかみ取るなり、その儀礼用の木製の斧で、短刀を構える刺客の一人を叩きのめし、もう一人の腹を蹴飛ばして叫んだ。
「ブルータスお前たち!」
この二人は両方共ブルータスであった。
一人は愛人セルヴィーリアの息子で、義理堅いカエサルが色々と便宜を図り、引き立ててきたばかりか、ポンペイウス派に身を投じていた彼の命さえ助けてやった、マルクス・ブルータスである。
カシウス・ロンジヌスにそそのかされたらしいのだが、この襲撃の主犯とされた。
もう一人はガリア戦でのカエサル軍団の幕僚の一人で、将来を嘱望し、若い頃から可愛いがり要職に引き立て続けてきた、デキムス・ブルータスである。
怒り狂ったカエサルは、二人を相手に木製斧を目茶苦茶に振り回し叩き付け、ついには木製の斧の部分が弾け飛んでしまった。
残った棒の部分で、尚も打ち据えながら叫ぶ。
「ブルータス、お前もか! お前もなのか! ブルータス!」
「共和制の為だあ!」
「カエサル、あんたの時代は終わった!」
などと叫びつつも、タンコブだらけ、アザだらけとなり、両ブルータスは次第に戦意を喪失してゆく。
小ホール中央の、同士討ちを免れた残りの刺客共は、これは難敵に立ち向かっていた。
一旦は脱兎の如く逃げ出したのだが、短剣を取って再び戻ってきた、マッチョマンのアントニウスを相手に切り結んでいるのだ。
だが、狼狽して右往左往する議員達に紛れて、更に抜き身の短刀が4ヶ所で光った。
刺客は実行犯だけで十四人もいたのだ。
──やっぱり、嫌われとったんだな。このオヤジ。
と、思わず考えてしまう。
「エモーリ! カエサルを後ろから狙ってるわ!」
カエサルの傍へ走りながらアポロニアが叫ぶ。
友和もカエサルの傍へ走る。
議員席からの新手の4人の刺客も、目指すはカエサルである。
この4人の刺客の中に、真の首謀者であるカシウス・ロンジヌスがいた。
大敗北であったクラッススのパルティア遠征の折、カシウスは騎兵を預かりながら、司令官クラッススを見捨て独断退却した。
その結果、カエサルの盟友クラッススは戦死の憂き目をみる事となり、この事はカシウスに対してのカエサルの不快感を決定づけた。
そして、その事を気に病んで、つまり、カエサルに嫌われた為に出世に支障をきたす事を恐れての、逆恨みによる犯行であった。
人望のない自分に代えてマルクス・ブルータスを頭目に据え、カエサルを亡きものにしようとしたのだ。
案外ケチくさい動機による犯行であった。
とうとうカエサルと友和とアポロニアは囲まれてしまった。
得物の準備が無かった事が悔やまれる。
刺客の得物は、両ブルータスとカシウス・ロンジヌス、他3名の6本の短刀である。
こちらの得物は、息の上がった五十五歳のオヤジであるカエサルの持っている棒1本だけなのだ。
残念ながら、逃げ切れなかったという事だ。
そして刺客達は一斉に襲いかかってきた。
毎度お馴染みの絶対絶命である。
すべては騒然とした元老院会議場、ポンペイウス回廊の中の小ホールでの事だった。
の筈であった。
~その筈である。
~ところが。
~なんと。
~なんだこりゃあ~。
~あ~?
~あ~?
~あ~?
~ありゃりゃのりゃ~。
~りゃ~。
~りゃ~。
「でん~ちゅう~で~ござる~」
「殿中でござる~殿中でござる~」
「浅野内匠頭、御乱心~」
「刃傷でござる~くわえて狼藉者多数なり~」
さあ大変。
特異点友和は、またしてもすっ飛んだのである。
しかも今回は、総勢9人も引き連れて。
その時、江戸城本丸、松の廊下も刃傷沙汰の真っ最中であった。
「おのれ~吉良上野之介~数々の恨み~覚えたか~」
──ぶしゅっ!
浅野内匠頭に切りつけられた直後の、眉間の刀傷も生々しい、吉良上野之介の身体の上に、どさどさどさっとカエサル、アポロニア、そして友和が積み重なった。
──むぎゅ!
そしてすぐに、抜き身の短刀を握りしめた6人の刺客が、浅野内匠頭及び松の廊下を通行中の、衣冠束帯の諸侯の中の、運の悪い大名の上へどさっどさっと降ってきた。
茶坊主はぶっ飛んだ。
大名は、武士の血が久々に騒いだ。
「えーい! 狼藉者め! 赦さん!」
「殿中での、かような無礼をば、見過ごしにしては末代までの恥辱なり」
「拙者も武士にござれば!」
すらりと脇差しを抜き放ち、大名達は両ブルータスとカシウスその他、総勢6人の元老院議員と切り結ぶ。
ちゃんばらでござる。
眉間から血を流し長袴に足をとられ、それでも友和を突き飛ばして、ほふく前進で逃げる吉良上野之介。
脇差しを握りしめ、やはりほふく前進で、アポロニアを押しのけて吉良を追う浅野内匠頭であった。
「せめて一太刀! あと一太刀! 武士の情けでござる!」
結局、全員、取り押さえられた。
そして浅野内匠頭と共に、田村右京大夫の江戸屋敷へ、お預けとなったのであった。
将軍綱吉は激怒した。
「おのれ浅野の痴れ者め! 異人の刺客を城中に入れ吉良殿を狙うとは、不届き千万なり。やすあき! 城の侵入経路と異人の素姓をきつく吟味すべし!」
注・御側用人筆頭、柳沢保明とは、後の老中、出羽守・柳沢吉保である。
更なる刃傷沙汰を恐れた田村右京大夫は、目を白黒させながらも、カエサルと友和そしてアポロニアを、ブルータス達6名の元老院議員とは別室に監禁した。
「何がどうしたの?」
とアポロニアは目を白黒させている。
「此処は? とにかく助かった。エモーリの言った通りだった。ふうむ……」
とカエサルも目を白黒させている。
「さすがに酒は出ないな」
と、出された食事の膳を前にして友和が言った。
翌日、取り調べの始まる寸前に、友和とカエサルそしてアポロニアは、芝愛宕下の田村屋敷から忽然と消え失せてしまった。
勿論、タイム・エキスパンダーを使って逃げ出したのである。
注・タイム・エキスパンダーは二十四時間経過すると再び使用可能となります。