06:ローレンスの告白
「買い出しなら僕も付き添おう」
花を植えた日から、また暫く日々が過ぎていった。二人の関係は相変わらず曖昧なものだけれど、変化は確かにあった。
ローレンスのらしくない申し出にオリビアがふっと笑うと、彼は特に照れる様子もなく、けれど少し言い訳くさく、
「散歩のついでだ」
と答えた。
「べつに何も言ってないですよ」
「顔に出ていた」
「それは失礼しました」
そんなやり取りをしながら、二人は昼間の眩しい町の中を歩いていく。時々、街の人々がオリビアに挨拶するのを隣で見て、ローレンスは内心、驚いていた。自分はかれこれ5年ほどこの町で暮らしているが、街の人から挨拶をされたことなど果てしてあっただろうか。仮にあったとしても、ローレンスの不機嫌そうな顔を見てみんなやめてしまった。ローレンス自身に悪気はないのだ。ただ自然な笑顔を誰かに向けることも、優しく穏やかな態度をとることも、彼にとってはどんな難問よりも難しく、またそんな振る舞いをすることが無駄な労力にしか思えなかった。
「君は、人との触れ合いが好きなんだな」
ぽつりと、ローレンスは呟いた。その呟きにオリビアは少しだけ考えてから、「そうかもしれません」と答えた。
「人と触れ合うと、世界が広がる感じがして私は好きです。知らなかった知識も、自分になかった価値観も、そういうものを教えてくれるのはいつも他人です。だから私は人との触れ合いが好きなのかもしれません」
オリビアの言葉に、ローレンスは「そうか」とだけ答えた。その気持ちは少しだけ分かる気がする、と彼は思った。
「その考えは、昔からあったのか?それとも旅の途中で?」
「恩人に教えてもらいました。世界は広いことも。世界は美しく、また醜いことも」
「……その恩人というのは、」
ローレンスが尋ねようとした時だった。とある店の主人が二人に──ではなく、ローレンスに声をかけた。
「なぁ、そこの旦那」
「……僕か?」
「あぁ。そうだ、お前さんだ。俺は最近この町に引っ越して店を始めたんだが、別の町で店をしていた時、お前を見たことがあるぞ。…‥だが、どうにも変だ。あれはかれこれ10年ほど前だというのに、お前の姿は何一つ変わっていない」
まるでバケモノでも見るような顔で、店主はローレンスを見つめた。けれどローレンスは顔色ひとつ変えずに、
「人違いだろう。僕はあなたに会ったこともない」
と答えた。
そうあっさり答えられてしまっては、流石に店主もバツが悪くなった。どうにも腑に落ちない気もするが、確証がないのは確かだ。他人の空似と言われればそれまでのこと。店主はお詫びに、自分の店で売っていた果物を何個か見繕ってローレンスに渡した。
「どうやら勘違いみたいだ。すまなかったね」
「いいや。人違いで果物が手に入るなら、安いものだ」
そんなことを軽口をたたいてはいるものの、隣に並んでいたオリビアは気づいていた。店主がローレンスに声をかけた時、彼の顔がほんの一瞬、強張っていたことに。
そんなオリビアの静かな視線に気がついて、ローレンスは短くため息を吐いた。それから、
「買い物は明日にして、今日は少し話をしよう」
と言った。オリビアは黙って頷き、二人は来たばかりの道をゆっくりと辿っていった。
◯
「さて、何から話そうか」
テーブルについて、ローレンスは言った。何か大事なことを話そうとしているということは分かるものの、その割には彼の態度は随分と落ち着いてる。対して彼の向かいに座るオリビアは、ただ黙って彼を見つめながら彼の口が開くのを待っていた。
「……僕は不老不死なんだ。もうかれこれ500年は生きている」
ローレンスの言葉に、オリビアは目を丸くした。ローレンスは、そんな彼女の様子を昆虫のように暫く観察してから、
「あまり驚かないんだな」
と言った。
「驚きましたよ」
「普通、もっと反応を見せるものだろう。それに『馬鹿にしてるのか』とか『だとしたら化け物だ』とか、何かしら言ってくるものだ」
「誰かに言われたことがあるんですか?」
「いや、……ない。そもそも誰かにこんなことを言ったのは初めてだ」
なんとなく居心地が悪くなって、ローレンスは行き場のない手で首の後ろを掻いた。
「……別に、隠すようなことだとは思っていない。ただ多くの人間にとっては気味が悪いだろうし、そうなれば町に住みにくくなる。他人にどう思われようが構わないが、住む場所を追われるのは勘弁だからな」
「では、どうして私に?」
オリビアが静かに尋ねる。
静かで、透明な空気が二人の間に流れた。扉の向こうの音はずっと遠く、まるで世界はこの部屋だけを残してどこかに消えてしまったかのようだった。
「分からない。ただ誰かに聞いてほしかったのかもしれない。この、500年の孤独を」
「……淋しかったですか?」
「いいや。だけど重たくはあったかな」
「……そう」
オリビアの顔は暗かった。彼に同情したのかもしれないし、深刻な話に心を痛めたのかもしれない。代わりにローレンスは心が少しだけ軽くなったような心地がしていた。長年ひとりきりで背負っていたものを、ようやく少しだけ下ろせたような。
「君なら誰か言いふらすような人間じゃないと思ったんだ。それに君は彼女に似ている」
「彼女?」
「昔、君みたいに図々しい女がいたんだ。台風みたいに大げさで、かと思えば春の昼下がりみたいに穏やかな人だった。一緒にいた頃はうっとしいだけだと思っていたが、いなくなったら日々が少し退屈になった。君はそんな彼女に似てるから、久しぶりに話がしたいと思ったのかもしれない」
オリビアは少し笑って、「あまり褒められた気はしませんね」と答えた。
それから二人に短い沈黙が流れた。互いに、気持ちの整理をしているというより、揺れている心の波が落ち着くの待っているという感じだった。暫くして、先に口を開いたのはローレンスだ。彼は何でもないような口ぶりで、
「こんなことを言ったが、言いふらしたければ言いふらしてもいい。どうせもう暫くしたらこの町も離れる」
と言った。
「え?どうして?」
オリビアは少し身を乗り出して尋ねた。
「5年も姿の変わらない人間を見て、君はどう思う?5年ならまだしも、10年、15年となれば流石におかしいと気づくだろう。だから僕はだいたい5、6年したら別の町へ引っ越すことにしているんだ」
「確かに……。それもそうですね」
だとすれば、ローレンスとオリビアが共に暮らすこの生活も暫くのうちに終わるということだ。オリビアは内心焦っていた。けれど「引越しはやめて」と言えるような間柄ではないし、そんな事情がある彼に言えるはずもなかった。
「何であれ、誰かに打ち明けられてよかった。話を聞いてくれて、感謝する」
珍しく表情を柔らかくするローレンスに、オリビアは曖昧に微笑むことしかできなかった。