05:花を植える
ローレンスの家にオリビアが住むようになって一ヶ月が過ぎた。ローレンスは相変わらず仏頂面で、愛想もなく、お世辞の一つもないような男だが、オリビアを家から追い出すようなことはしなかった。そしてオリビアも相変わらずだった。彼女はよく笑い、家事を一生懸命こなし、良くも悪くもローレンスを振り回していた。とても『上手く付き合っている』とは言えないかと思いきや、この近すぎず、遠過ぎない距離感はローレンスにとって嫌な感じではなかった。
「ローレンスさん。花を育ててもいいでしょうか」
それは朝食を共にしている時のことだった。オリビアが突然そんなことを言ったので、ローレンスは一度食事をする手を止めた。
「花を?」
ローレンスをよく知らない人が今の彼の顔を見たなら、彼は怒っているのだと勘違いするだろう。眉を顰めて、口もへの字に曲がっている。けれどオリビアは彼のそんな顔に臆することなく頷いた。
「掃除をしていたら、空のプランターを見つけました。ちょうど育ててみたい花があったんですよね」
「君、潔いくらい居座るつもりだな」
「育ててる途中で旅立つことになれば、ちゃんと花も持っていきますから!」
両手をパンッと合わせて頼み込めば、ローレンスは「仕方ない」といった表情で、
「好きにするといい」
と答えた。
彼の態度はぶっきらぼうではあったものの、オリビアはその様子を少しも気にしていないようだった。彼女は柔らかく目を細めてふっと微笑んだ。
「私、やっぱりあなたが好きです」
決まりが悪くなってそっぽを向くローレンスに、オリビアは微笑んだきり何も言わなかった。
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次の日、早速オリビアは空のプランターに苗を植えた。その様子を隣にしゃがみながら眺めていたローレンスは、彼女の鼻の頭についた土を服の袖で拭いながら、
「結局、何の花を植えたんだ?」
と尋ねた。
「カネツキ花という花です。仲良くなった市場の人が苗を分けてくれるというので、今日頂いてきました。育てる許可をくれてありがとうございます」
「一ヶ月も居座るのと比べれば、花の一つや二つ安いものだ」
「ふふ。確かに」
オリビアは楽しそうに肩を揺らした。
「(本当によく笑うやつだな)」
この一ヶ月だけで、自分の一生分は笑っている気がするとローレンスは思った。天気がいいと笑って、料理がうまくできたと笑って、きっと花が咲けばまた笑うのだろう。
単純な女だ。けれどここまでの素直さがなければ、とっくの昔にローレンスが家から追い出していたか、オリビアの方が先に根を上げて宿を探すことになっていただろう。そういう奇跡的なバランスで、この二人の共同生活は成り立っていた。
「せっかくの機会ですし、何かお話ししませんか?」
小さなジョウロで水を撒きながら、オリビアは言った。言われてみれば、確かにお互いのこと何も知らない。もともとローレンスが他人の事情に関心がないことが原因の一つではあるが、そもそもこんなに長い付き合いになるとは思っていなかったのだ。遠からず別れは来るものとしても、気まぐれに会話を交わすくらいはいいかもしれない。とはいえローレンスは会話を広げることも、自分のことを語るのも上手くはない。少しの間考えてから、彼は口を開いた。
「君はどうして旅をしているんだ?」
尋ねたものの、とても「今更」という感じだった。きっと普通ならば、出会ったその日にはあがったはずの話題を、彼は今更尋ねた。ローレンス自身、この話題を振ったことをほんの少しだけ後悔したほどだった。
対してオリビアはそんなローレンスの後悔も気にしてはいないようだった。「んー」と少し考える素振りを見せたあと、
「人探しのために旅に出ました」
と答えた。
「……答えにくかったら答えなくていいが、肉親と生き別れたとか、そういうことか?」
「いいえ。恩人を探すためです。どうしても恩返しがしたくて」
「それは……」
ローレンスは言葉を詰まらせた。頭の中にはいくつも言葉が浮かんだが、そのどれもが彼女の考えを否定するような気がしたからだ。
「分かってますよ。そんな理由で旅をするのは馬鹿だ、とか、そもそも恩人だってそんなことは望んでないだろう、とか」
ローレンスの考えを読み取るように、オリビアは言った。ローレンスは否定しようかとも考えたが、何となく嘘をつきたくなくて口を閉じた。
「理由は色々とありますが、結局、私が会いたかったんです。たったそれだけの理由で、気づけばこんなところまで来ていました。でもね、ぜんぜん後悔していないんです。他人からどう思われたって、何度過去に戻れたって、私はどうせこの道を選ぶんですから」
そう言うオリビアの横顔は、どこか儚げで、それでいて力強いものだった。それから彼女はぱっと表情を明るくさせて、
「でも、否定しないでくれて嬉しかったです。ありがとう、ローレンスさん」
と言った。
彼は転がっていたシャベルを手で持て余しながら、「あぁ」と短く答えた。
「あぁ、そうだ。ローレンスさんはカネツキ花の花言葉を知っていますか?」
わざとらしくオリビアは話題を切り替えた。それからローレンスの返事を待つ間もなく、言葉を続けていく。
「『感謝』『誠実』『節操』……それから、」
「『後悔』」
ほんの少し目を丸くさせてオリビアはローレンスを見つめた。ロマンチックとはかけ離れているであろう彼の口から、花言葉なんてものが出てきたことに驚いたのだ。隣に腰を下ろす女がそんな失礼なことを考えていると気づいているのか、それとも気にしていないだけなのか、ローレンスは相変わらず分かりにくい表情のまま言葉を続けた。
「古い物語に由来するんだろう。恋人の命を救えなかった勇者の話だ」
「知ってたんですね。ちょっと意外でした」
「自分で調べたわけじゃない。教えてくれた人がいただけだよ」
オリビアは、淡々と話をするローレンスの横顔をじっと見つめていた。涼しげな表情だ。なんの感情にも捉われていない、孤独を愛するひとの横顔だ。
けれどオリビアは見逃さなかった。彼の灰色がかった瞳の、さらにもっと奥。冷たい表面に隠された、夏の夜のようなじんわりと肌を伝う熱を。
「…‥忘れちゃえばいいのに」
ぽつりと、オリビアの口から言葉が溢れる。呟いてからハッとしてローレンスの顔を見上げたけれど、どうやら彼の耳には届いていなかったようだった。彼は焦るオリビアを不思議そうに見つめながら、
「なんだ?」
と尋ねた。
ローレンスの様子にオリビアはほっとして、それからにっこりと笑ってみせた。
「いいえ。なんでもないですよ、ローレンスさん」