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02:絵描きの男と旅人の女 ②

 ローレンスはオリビアに一室の空き部屋をあてがった。当たり前だがベッドなんてものはなく、オリビアは窓辺にポツンと置かれたソファに横になり、クッションを枕に一晩を過ごした。


 次の日、オリビアは朝早くに起きてさっそく仕事に取りかかった。まずはテーブルの上に散らかった本を棚に戻して、あちこちに捨てられたメモを拾い上げてまとめる。汚れた食器は洗って、ついでに至る所に引っかけられた上着やらストールなんかも洗濯をして中庭に干した。あとはキッチンを覗いて、卵とベーコンを焼いきつつ、豆のスープを作った。滑らかな香りがキッチンの中を満たすころ、起きてきたローレンスが綺麗になったリビングを見てほんの少し目を丸めた。


「おはようございます。朝ごはん、できてますよ」


 昨夜とは逆に、今度はオリビアがトレーを持ってきてテーブルの上に朝食を並べていく。


「本当に居座るつもりなんだな」

「居座るだなんて人聞きが悪いですよ。ちゃんと家政婦の仕事をしているでしょう?」


 オリビアの答えにローレンスは短くため息を吐いて、黙って席に着いた。


「いただきます」


 ぼそっと呟く彼に、オリビアはにっこりと笑って、


「どうぞ。召し上がれ」


 と言った。

 ローレンスはなんだか調子が狂うような感じがしつつも、スプーンを手に取って豆のスープに口をつける。ひとくち口に運んで、自分の味付けとは違う、やさしい味がするのが分かった。不味くはない。むしろ好みの味付けだった。


「……なんだか懐かしい味がするな」

「そうですか?お母様と味付けが似ているんでしょうか」

「どうだったかな。もうよく覚えていないよ」


 ローレンスの言葉にオリビアは何かを感じとったのか、それ以上は何も聞かなかった。代わりに、


「私の料理はおいしいですか?」


 と尋ねた。嘘をつくようなことでもないと思ったローレンスが素直に「好きな味だ」と答えると、オリビアはまるでこの世の春を体現するように、満足そうに微笑んだ。


「私はこのあと他の部屋の掃除をしようと思っているのですが、入ってはいけない部屋だったり、触ってほしくないものはありますか?」

「正直雇うつもりはない……と言いたいところだが、君の家政婦としての腕は間違いないようだ。別にこれといったこだわりはない。好きにするといい」


 ローレンスはもうすっかり観念したようだった。


(どうせこの女は何を言っても家を出て行かなさそうだし、街に滞在してる間だけの関係だ。少し我慢すればいいだけだろう)


 ローレンスの胸の内を知ってから知らずが、オリビアはにこにこと笑っている。そんな明るい彼女の表情を相変わらずの仏頂面で眺めながら、ローレンスはまた一口、また一口と朝食を平らげていった。


「ローレンスさんはこのあとお仕事ですか?」

「あぁ。本の挿絵の締め切りも近い。僕は部屋にいるが、重要な用以外は部屋に訪ねてこないでくれ。僕は一人で、静かに作業したいんだ」

「はいはい」


 そうして朝食を食べ終わったローレンスは宣言通りに部屋に戻って行き、一人残ったオリビアも少し遅れて食べ終わり、二人分の食器を片付けた。


 部屋の掃除は思っていたよりも随分と楽だった。

 ローレンスは使ったものは後からまとめて片付けるという悪癖こそあるものの、荷物自体はそう多くはなく、あるべき場所にあるべき物をしまってやるだけで大抵のものは片付いた。

 ただ彼は絵描きとしてのアイディアをどこにいてもメモに残す習慣があるらしく、家の中では至る所でそのメモを見つけることができた。とくに彼がよく行き来しているであろうリビングは他の部屋の比ではない。オリビアはそのメモの山を眺めながら困ったように眉を下げつつ、けれどなんだか愛おしそうに見つめていた。


 そうこうしている間に、太陽がてっぺんにのぼる時間になった。オリビアは少し考えてからサンドイッチを作り、ローレンスの部屋をノックした。


「軽食を作りました。いかがですか?」


 そう声をかけると、しばらくしてから内側から扉が開かれた。ローレンスはトレーの上のサンドイッチと、それを持ってきたオリビアを束の間眺めてから、


「いや。僕はいらないから君ひとりで食べるといい」


 と答えてパタンと扉を閉めた。

 それから彼は一度も顔を出さずに、やっと部屋から出てきたのは夕ご飯の時間になってからだった。

 ローレンスは、テーブルに並べられた同じ夕食のメニューのほかに、オリビアの近くには昼間に見たサンドイッチが置かれていることに気がついた。


「それは昼間のサンドイッチか?」


 ローレンスが尋ねると、オリビアは頷いた。


「はい。少し作り過ぎてお昼には食べきれなかったので夕食の分に分けました。……あ、でも夕ご飯のおかわりはあるので、足りなければ遠慮なく教えてください」

「それは僕のために用意したものだったんだろう?それならそのサンドイッチは僕が食べる。おかわりが君が食べるといい」

「これはもうパンが固くなってきていてるので私が食べます。おかわりはローレンスさんが……」


 そこまで話して、この会話に終わりが見えないことを悟った二人は口を継ぐんだ。心なし重たくなった雰囲気に、先に折れたのはローレンスの方だった。


「分かった。それは君が食べればいい。元はと言えば、昼食は必要ないと言わなかった僕に非がある」

「……普段、お昼ご飯は食べないんですか?」

「あぁ。昔はよく食べていたが、絵描きになってからは部屋にいる時間が長いせいかあまり腹が空かないんだ」


 ローレンスがそう言うと、オリビアは「そうだったんですね」と答えた。小さなすれ違いによるぎくしゃくした雰囲気が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。


「他には?他には何か気をつけることはありますか?どんな些細なことでもいいです。あなたのことを教えてください」

「そんな急に言われてもすぐには思いつかない」

「そうですか……」

「そもそも僕に気を使う必要はない」


 ローレンスの言葉に、オリビアはぶんぶんと大袈裟に首を振って、「そういうわけにはいきません!」と答えた。ローレンスは不思議そうに小首を傾げる。


「なぜ?僕が雇い主だからといって機嫌をうかがうことはない。どうせ君がこの街に滞在している間だけの関係だ」

「それはそうですけど、」

「ではこの話はここまでだ」

「えっ……あ、うーん。それは困るというか、なんというか……」

「歯切れが悪いな。言いたいことがあるならさっさと言ってくれ」


 容赦のないローレンスに、オリビアがぐっと口ごもる。そしてしばらくの間、百面相していたかと思えば、ついに意を決した顔をしてオリビアはローレンスの目を見つめた。


「す、……好きだからです!あなたに、一目惚れ……しました。……こ、これであなたのことが知りたい理由には答えましたね。では教えてください。あなたの好きな食べ物は?嫌いな食べ物は?行きたい場所はありますか?」


 止まることを知らない猪のように捲し立てるオリビアに、ローレンスは目を丸くして言葉を失った。完全に食事をする手を止めて、目の前で顔を真っ赤にするオリビアを見つめる。あまりの突拍子のない言葉に、その言葉の意味を理解するのに時間を必要としているようだった。そしてやっと口を開いたかと思えば、


「……は?」


 出てきたのは言葉ではなく、ただの音に過ぎなかった。

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