ほつれた糸
この疾走の先には、きっと『さくら』がいる――。
幾世にあっても同じの名の下に生まれ、すべてを捨てて待っていてくれた開耶姫=「サクラ」。
世界の誰に、下らぬと言われようとも、 俺が決めればそれで良い。「サクラ」こそが『さくら』だと――。
もし『さくら』がサクラであって、俺が頼朝で無かったら……。
『さくら』はきっと悲しむのだろう。
その時こそ、俺は『さくら』を諦めようと今は思える。自分が頼朝だという片鱗など、どこにも感じない。
朝日は自分の心に、深く問いかけていた。
(それでも良い――)
(俺は俺で、『さくら』がサクラであるならば、頼朝さんに託そう――)
(ただ解るまでの間だけでも、この思いを貫き通したい)
頼朝とサクラの物語が、本当であったという根拠はどこにも無い。
しかし、朝日はそう願っていた。
自分は『さくら』に相応しい男と言えるだろうか――。そんな想いが、いつも胸を締め付けてきた。
一緒に居たいのか――。
『さくら』の運命人である誰かに奪って欲しいのか――。
朝日の胸の内には、矛盾が交錯している。
けれど潔いほどの強さを秘めた決心も、胸の内に漲っていた。
朝日は、『狩宿の下馬桜』の前に辿り着いた。月は円満にして、この世界を照らしている。
地表から照らし返された月明かりが、流れ行く雲を鮮明に浮かび上がらせていた。
何度見ても、巨大で威厳のある下馬の大樹。その威厳の上に咲く優しく可憐な桜達。
それは人の心の内を顕しているようで、もし弱った心であるならば、この桜に相談してしまいそうな感覚さえ覚えた。
辺りを見回してみても『さくら』の姿はどこにも無い。
朝日はコートの襟を立てると、そこへ座り込んだ。
時計は0:00時を回ったところだ。
不思議と、不安に駆られることは少なかった。
思い出されるのは、『さくら』との楽しかった日々である。
流れ行く雲を見ていると、少し冷静になった。
東京に居るであろう『さくら』が来れるはずもない。終電でも間に合うことは無いだろう。
そもそも、『さくら』は俺を忘れてはいないのか?
そんな事を考えていると、何だか自分が笑えてきた。
俺はバカだ――。
一人、この場所で笑う青年を見たならば、誰の眼にもそう映るに違いない。でも、朝日には彼女と決めた約束がある。
何度朝を迎えても、この場所で待ち続けると――。それを貫こうとする自分は、尊敬できるようでいて、どこか笑えてくる。
今日、朝を迎えたら、それはここで迎える三度目の朝だ。
(まだ三度目じゃないか……)
いつの間にやら、朝日は深い眠りに落ちていた。
……。
…………。
誰かが、肩を揺さぶる…………。
眼を開くと、すでに朝だった。時計は、6:14分を指している。見上げると、見知らぬ老人が俺の顔を覗き込んでいた。
「ここで、寝てたんら?そんな格好じゃあ風邪引くぞ」
「すいません。いつの間にか……」
「まあええ。お茶でも入れるから、こっちゃこ」
老人はそう言うと、近くの建物に招いてくれた。部屋の中は暖かかった。
お茶を入れながら、老人が話しかけてくる。
「兄ちゃん。静岡の人け?」
「はい」
「あすこで、何してたら?」
「人を待ってました……」
「いつから?」
「昨日の夜からです」
「三月とはいえ、そんな事したら死んじまうぞ」
そう言うと爺さんは、何やらを考えている。
「ん?あんたの名前。何て言ったっけ?」
「まだ言ってませんが……」
思わず笑いが込み上げそうになった。
「藤原といいます」
「藤原?藤原……?」
すると老人は、唸りながら頭を傾げる。そして急に手を叩くと、思い出したように話し出した。
「あんた。体格の良い、いつもサングラスのあんちゃんか、背の低めな女の子知ってるけ?」
「いや、知らないです……」
「そっか。じゃあ別人だら」
俺はその言葉に引っかかるものがあった。
「なんて言う女の子ですか?」
「なんつったっけか?ちょっと待ってろ」
そう言うと、老人は奥にある押入れで、何かを探している。暫くすると、小さな赤いスチール製の箱を小脇に抱えてきた。老人は蓋を開けると、中にある封筒の束を一つ一つ見ていく。
「お。あったあった」
そういって出された三通の手紙。
表には宛書も無い。
裏にしたとき、心臓が高鳴った――。
「柏木さくら」と「朝日」の文字が眼に飛び込んだからだ。
朝日君へ
柏木さくら
2005・4・3
そう書かれている。
「彼女知ってます!!俺が待っていた人です!!」
そういうと、老人が笑顔になった。
「やっとこさ見つかったべ。三、四年掛かっただら」
(四年も前から、『さくら』が俺に宛てた何かを残している……)
そう思うだけで、朝日の涙は止まらなくなった。そんな朝日の涙を見兼ねた老人が、肩を叩きながら気遣ってくれる。
「にいちゃん。大丈夫け?じっくり読んでやってけれ」
そう言うと老人が、俺の背中を擦ってくれた。
朝日は涙でおぼつかない手元で、一通目の封を切る。折りたたまれている手紙を開いた。
「朝日君。元気にしてますか?私は元気じゃありません……。
朝日君と会えるんじゃないかって、今日、下馬桜に来ました。
朝日君ごめんなさい。私、朝日君に謝らなければいけない事があります」
そこまでを読むと、次からの文が涙で滲んでいるのが分かった。
(謝らなければいけないこと……?)
急激に俺の心臓は苦しくなっていく。
(胸が痛い……やっぱり……)
朝日は覚悟を決め直すと、続きを読み始めた。
「今は言えません。というか話す勇気がないの」
この文が一番滲んでいて、『さくら』の気持ちが痛いほど伝わってくる。
その次には、こう書かれていた。
「来年の春、また来ます。逢えた時には、話せる勇気がありますように」
(何を話すと言うのだろう……新しい人のことか……)
俺は老人の言葉を思い出した。
「すいません。サングラスの人って、いつも女の子と一緒に来たんですか?」
すると老人は、考える事も無く答える。
「一緒じゃったよ」
(そういう事か…………)
それならそれで良いと朝日は思った。
それならそれで良いと言い聞かせた――。
『さくら』の選んだ人なら……『さくら』が幸せを感じるのならそれで良い――。
でもなんだろう……。涙が、後から後から溢れてくる。
朝日は、次の手紙を読むことが、急に怖くなった。
(でもここまで来たんだ……『さくら』の気持ちを全部受け止めてあげたい……)
そう自分に言い聞かせると、朝日は二通目の封を切った。
「お体に変わりは無いですか?今日も、朝日君には会えませんでしたね」
そう始まる文章には、よそよそしさを感じる。
どこか遠くへ『さくら』が行ってしまったような……そんな感じだった……。
「あれから、私も色々と考えました。朝日君の事は忘れた方が良いんじゃないかって、それが朝日君の為になると思うから。でも、その前に一度だけでもいいから、ちゃんと会って話しがしたいです。
来年もまた来ます。その時は笑顔で話せるように頑張るね」
俺の心に穴が空いた。そんな気分だった――。
二通目の手紙には、涙で滲んだ痕が無い。それが、『さくら』の気持ちを現しているように思えた……。
ひどく痛がる心を抑えて、次の手紙を開く決心が付いた。
もう怖いものは無い――。『さくら』との記憶を綺麗な思い出とする為、最後の手紙の封を切った。
「こんにちは。新しい彼女はできましたか?今年も下馬桜に来ちゃいました」
軽々しく『新しい彼女』だなどと切り出す『さくら』に、怒りさえ覚えた――。
(お前以外の女など……。好きになった事はない……)
そう思うと、また涙が溢れ出してくる。
「やっぱり、朝日君には会えないみたいです。朝日君が元気でいればそれで良いです。
いつかの約束覚えていますか?あの時の約束は無かったことにしても良いですよ。
朝日君に新しい彼女が居たら可哀想だから、私との話しはしないであげて下さいね。
これで最後にします。どうかいつまでも幸せに」
最後の手紙はそう綴られていた。
完全に俺達の愛は終わった――。
愛なんて、そんな物なのかもしれない……。心は泣き崩れているのに、もう涙は出てこなかった。
そんな俺を見ていた老人は、一通目の手紙に目を通している。俺は呆然と、窓から見える空を眺めていた。
老人は眉を寄せながら、しきりに俺の顔を見つめてくる。老人が俺を励まそうとしているのだと、無理やり笑顔を作ってそれに応えた。
「これ女の子からの手紙じゃね。あのあんちゃん、何してたんだべ??」
(……??)
「どういうことですか?」
「いや。じゃから、手紙を書いたのは、いつもサングラスのあんちゃんだったんよ」
サングラスの男が手紙を書いた――。
(男が……何故?……)
考えられることは限られている。
最悪を考えると、それだけで狂いそうになるほどの怒りが込み上げてきた。
俺と『さくら』の間を裂こうとした誰かがいる――。
『さくら』はその男に、そそのかされただけかもしれない。
『さくら』を信じようとする気持ちと、それを否定する気持ちの交錯が、進むべき道を惑わせる。
(『さくら』……一度で良いから、お前の口で真実を告げて欲しい――。それが、どんな結果でも構わない……)
そう思ったとき、自分は何て都合の良い男なのだろうと思った。
あれだけ『さくら』を待たせておきながら、自分の都合で、今度は逢いたいと願っている――。
『さくら』に応えられなかったちっぽけな自分に、苛立ちと情けなさが込み上げてきた。




