運命を創り上げた者
校長は、掛けていた眼鏡を外して、演壇に置いた。
「というところで、この漢文は終わっています。この書を誰が書いたかは定かではありません。タイトルに漢数字の二が付いている事からも、一巻とそれ以降の巻が存在するかもしれません。
これは私の実家にある蔵から発見されたものですが、現在、歴史的資料になるかも知れないということで、知り合いの研究所に預けております。」
そこまでを話すと、校長はグラスに入った水で口を潤し、再び話しはじめた。
「ここにあった内容の事が、実際の出来事だったとは到底思えません。ですが、今日あえて皆さんにご紹介したのは、人の歴史というのは、いつの時代でも何かを想像し、それを現実に形として現していく事の繰り返しだということを知って欲しかったからです。解りやすく例えるなら、現代で書かれた小説も、誰かの頭の中で想像され、本という形となって残されていく。皆さんがこれからの人生で、何を想像し、何を創造していくのか。それでひとりひとりの人生と、世の中が移り変わっていく――。若き皆さんが、価値ある未来を創造して行かれる事を願い、本日の卒業式を終わりたいと思います」
校長の話は長かった――。
しかし、色々と考えさせられた事がある。
(これって……)
朝日は、焼いたDVDを拓也から受け取ると、礼を言ってから家路に着いた。道中、なんども校長の話が甦る――。
「どこか似ている……。俺達と……」
馬鹿げた話だとは思うのだが、馬鹿にするほど気になってしまうのも人の弱さなのかもしれない。
自分の人生に何か手がかりが欲しい。と心の何処かで思っていると、要らない妄想を起こしていることに気づかないこともある。
それがまさしく今の朝日だったのかも知れない。
(頼朝達との違い。それは身の上を除けば『さくら』が人であるという事と、彼女は自分から去って行ったということだ・・・)
あれは誰かが創った話し――。
自分たちである訳が無い――。
恋という病は、時に希望と絶望を流転させ人を惑わす。朝日は未だ自分に残る恋心に疑いようが無かった。
(あれは頼朝さんの話……。もしそんな逸話が本当にあったなら……。頼朝さんには良い結末であってほしい……)
朝日は自分に成し得なかったことを、勝手に頼朝達に託したいような気持ちでいた。
家へ帰ると、すでに夕飯の準備ができていた。
大人が三人寝たら、身動きが取れなくなりそうな狭い部屋。中心にはコタツがある。
その上に置かれた大きめの皿と、二つの小鉢。
今日のメインは、ラップに包まれ、冷たくなったクリームシチュー。
唯一の家族である母は、もう仕事に出掛けている。朝日は、おもむろに制服を脱ぎ捨て食卓に着いた。
一人での夕食。それはいつもの事で、朝日もとっくに慣れたと思っている。しかし、知らず知らずのうちに刷り込まれた習慣は、朝日から美味しいという言葉を奪っていた。
朝日にとっての食事とは、喜びも楽しみも無い――。死なないという為のただの義務である。
寂しいという感情は、テレビドラマなどを見なければ起きてこない。
家族団欒の暖かさを体感したことが無いに等しい朝日には、対義である寂しさも、いまいち理解できないのである。
それだけに、『さくら』との出会いは衝撃的すぎた。
あの電流の走るような感覚――。それが強烈すぎて、一人でいる時は必ずといってよいほど『さくら』を思い出してしまうのである。
(もう忘れよう……)
何度の夕食でそう思ったことか。
食事を終えると皿を洗い、部屋着に着替える。
テーブルの脇にある狭いスペースに身を横たえながら、テレビの電源を入れた。
春休みも近いということで、各局で特番を組んでいるのが目に付く。
チャンネルを流していた朝日は、音楽番組で指を止めた。
お気に入りのバンドを見つけたからだ――。しかも、どうやら生放送らしい。朝日は、思わぬ幸運に顔が緩んでいる。
「次のゲストはデルタチェリーの皆さんです」
そう――。チェリーの名を冠するグループであったから、興味を持ったバンドだ。よくよく曲を聴いていると、ROCK主体のこのバンドを本当に好きになった。
声の高い女性MCに紹介されたデルタが雛壇から降りてくる。音楽一筋に生きているであろう彼らは、やはりかっこ良かった。
「さあ、デルタチェリーの皆さんですが、今回は新曲を披露してくださるということですが、どのような曲なのですか?」
そう問われると、リーダーがそれに応えた。
「今回の曲は、テーマが『出会い』です。毎年やってくる春に、どんなドラマがあるのだろうと、ファンの中からエピソードを募集して、メンバー全員で一つのエピソードを選びました。それを曲にしたものです。詩はファンの方本人が書いたものです」
「ファンの皆さんからの募集ですか?それでは、選ばれたファンの方も喜ばれたでしょうね」
「喜んでくれていると願っています」
「きっと、喜んでくれていると思いますよ。それでは、デルタチェリーの皆さん。準備の方をよろしくお願いします」
比較的リリースが早いデルタにしては、四ヶ月ぶりの新曲だ。
「準備の方が出来たようです。では、参りましょう。デルタチェリーの皆さんで『さくら』です」
「デルタが『さくら』・・・」
思わず声を上げてしまった。どこからどう見ても、デルタは『さくら』なんてタイトルを付ける柄じゃ無いからである。今までの曲も、日本語のタイトルなんて一曲しかない。
思わぬところで、「さくら」を忘れるという先ほどの決意が挫かれてしまった。と同時に、デルタが奏でる『さくら』がどんな曲になっているのか、興味が湧いた。
画面を見ていると、俺はある事に気がついた。
いつもは、リードギターを弾いているリーダーが、今日はピアノの前に座ったのである。明らかにバラードだった。
彼らに奏でられたメロディは、暖かさを切なさで包み、それをさらに野風にさらしたような響き――。
そんな感覚を具えていた。
ゆっくりと、ボーカルの浩二がマイクを口に近づける。
俺は、浩二の声に合わせて、字幕の歌詞を追っていった。
……
…………
偶然って、どこからくる?
必然って、誰が決めているの?
あなたに声を掛けられなければ
私はきっと後悔していた
あの日あの桜の下で
あなたは、笑ってくれていた
私は知っていたの
あの樹の下で逢えること
私は待っていたの
長い時を重ねては繰り返して
それが私の必然
運命と人は言うけれど
私は知っています
必然て、私が決めた道
あなたが忘れたとしても
私は遠くで覚えています
…………
――三度目の電流が、体中に解き放たれた――。
一瞬のうちに、『さくら』とのすべてが思い出される。
俺の周りには、いつも『さくら』が溢れていた。
忘れようとすればするほど、戒めのように『さくら』を思い出させるものが俺を取り囲み、そして苦しめる――。
(もう止めてくれっ!!…………)そんな気持ちさえ込み上げてくる。
朝日は頭を掻きむしった。
すると突然、携帯が鳴り響いた。
この着信音は孝太からだ。
「おうっ!!朝日!テレビ観たかっ!!」
孝太はかなり興奮している。
「テレビなら観てるよ……」
「デルタ出てただろっ!」
「ああ…………」
「そうか!!あれ絶対『さくら』ちゃんからのメッセージだろっ!!」
孝太は、俺達の一部始終を知っている。だが、あれが『さくら』からのメッセージである確率は皆無に等しい。
「……『さくら』がデルタのファンだって言い切れるのかよっ??」
「お前……。もう『さくら』のこと忘れられたのかっ!?」
(忘れてなどいない……)
「忘れたのかって聞いてんだよオオ!!」
(忘れられるはずがない…………)
「答えやがれこのヤロウっっ!!」
「忘れるはずがないだろぉおっっ!!」
「どうせ明日から暇なんだ。行く場所は解かるだろ??」
急に孝太の口調が優しくなった。
「なあ孝太。俺と『さくら』は終わる運命だったんだよ……」
その言葉に、再び孝太は怒り狂っている。
「運命ってなんだぁぁっ!!お前が運命って言うなら、俺が運命を教えてやるっっ!!」
そう言うと、突然電話が切られた――。
後には、魂が抜けたような脱力感だけが残っている。
孝太の言うことの意味が解からない。いや、解りたくなかった――。
あの痛みに耐えられ続けるほど、俺は強くない――。
暫くすると、家の外でバイクが止った。壁の薄いこのアパートでは、それが直ぐに分かる。
不意にドアが叩かれた。その振動が空気を通じて、肌でも感じるほどに。
孝太であることは間違いない。
殴られるのは解っていた。しかし、今は殴られたとしても殴り返す気力すらない。
俺はドアの鍵を外した。
なだれ込んでくる孝太。その眼にはうっすらと涙が光っている。
そのまま俺は、胸倉を掴まれた。
「運命ってなんだ??お前が運命っていうのなら、今日、お前の大好きなデルタが、『さくら』を歌ったことは、運命って言わねえのかっ??」
孝太はその場に崩れ落ちる――。俯いたままの孝太は、さらに続けた。
「あの歌詞の内容は運命って言わねえのかよっ!!」
孝太は、肩を震わせて泣きはじめた。その声も震えている。
「『さくら』と約束したのは、俺じゃ無かった――。約束したのは、お前だろっ!!それって、運命とは言わないのかよぉおっ!!」
孝太の『さくら』に対する気持ちが、痛いほど伝わってくる。
運命――。
俺の周りはいつも『さくら』で溢れていた。
どこで何をしていても『さくら』を思い出させる事が起こる。
忘れようと、すればするほどに――。
何故だ?
(あなたが想うから……)
何がそうさせている?
(あなたのその気持ち…………)
それは、自分の声だったのかも知れない。
けれど、朝日の胸にはそう響いていた。
それは、頼朝とサクラが教えてくれたはずだった。
自らを省みないほどの誓いと、想いの強さ――。
そう思った時、胸の奥から突き上げてくる衝動が心臓を揺さぶった。
胸のど真ん中から解き放たれた電流が、全身を貫いてゆく――。
朝日は、コートを手に家を飛び出した。
『狩宿の下馬桜』を目指して。




