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流転の桜  作者: ありおん〆
下馬の桜の記憶
4/12

富士の巻き狩り

校長の画像。

それが映し出されるまでに、時間は掛からなかった。再生された校長の声には、体育館独特の反響がある。

俺はそれを見入った。


「ところで、今日はもう一つの語源を、皆さんにご紹介したいと思います」


そう話したあと、校長は懐から紙片を取り出した。朝日も見ていた光景だ。


「もう一つの語源というのは、皆さんが一度は勉強したことがある『古事記』と『日本書紀』という古い書物に関わってきます。この書物の中に名称が幾つもある女神が登場します。

その中の一つの名を木花之開耶姫コノハナノサクヤビメ)というこの女神は、富士の山頂から、種を蒔いて花を咲かせていたとされています。この女神の名前『サクヤ』から『さくら』になったという説もあるのです」


そこまでを一気に話すと、校長は広げた紙面に目を落とし、再び語り始めた。


「そこで皆様は、日本五大桜というものがあるのをご存知でしょうか?


埼玉県北本市にある『石戸蒲ザクラ』。


福島県田村郡三春町にある『三春の滝桜』。


山梨県北杜市にある『山高神代桜』。


岐阜県本巣市にある『根尾谷の淡墨桜』


それに、ここ静岡の富士宮にある『狩宿の下馬桜』の五つです。

中でも、我が県に存在する『狩宿の下馬桜』は日本最古級の桜として、特別天然記念物にも指定されています」


(ゲボザクラ……孝太が言ってたのはこの事か……)


「この『狩宿の下馬桜』は、源頼朝が富士の巻狩を行った際、この桜の下で馬から下り、この桜に馬を繋いだという事から、その名が付けられました。


実は、この『下馬桜』にまつわる漢文の古い書物を、今日はご紹介したいと思います。皆様にも解るように要約してありますので、ご安心下さい」


校長は咳払いを一つすると、また紙面に目を落とし、淡々と語り始める。

朝日はその話しに合わせて、脳裏に映像を思い浮かべていった――。



鎌倉幕府を開いた源頼朝は、1193年。富士の朝霧高原で大規模な巻狩を行う事とした。

巻狩とは、軍事訓練を視野にいれた、武士の慰安目的の野狩である。頼朝は、この巻狩りのために、天幕(本陣)を張るに相応しい場所を探していた。


見渡す限りに広がる草原の丘と、その向こうに見える深い森。そして、一つの巨木が眼に入った。

頼朝は駒を進めて近寄ると、そこで馬を降りた。


「なんと勇ましい樹だ……この巨木は良い目印となろう……」


そう言うと、狩宿の天幕を、この付近に張るよう命じた。

数日間に及ぶ巻狩は、祭りとしての要素も大きい。そんな ある日、頼朝の一行が巻狩を行っていると、辺りに霧が掛かり始めた。

山の付近では、一時的によくあることである。

一行が構わずに狩を続けていると、霧の向こうに大きな鹿が現れた。

それを発見した頼朝は、我先にと勇み、視界に獲物を捕らえ続けようと手綱を操る。


勢いあまった頼朝は、大鹿を深追いしすぎて一人はぐれてしまった。


「くっ。はぐれたか……」


頼朝は夢中に成りすぎたことを少し後悔していた。だが、馬もある――。しばらく動き回れば、すぐに従者達が見つかるだろうと思っていた。

頼朝の思いとは裏腹に、霧は濃くなる一方。もうあれから半刻(一時間)は過ぎている。


遠くからでも何か聞こえはしないかと、耳を澄ませてはみるが、馬蹄の音も、従者の叫ぶ声も聞こえてはこない。聞こえてくるのは、木々のざわめきだけである。


頼朝は、いよいよ一人取り残された事を認めざるをえなかった。


……その時、ほんの少しだけ、霧が晴れて行くのが解かった。

奪われていた視界は、うっすらと取り戻されていく。

眼前には深い森が行く手を阻んでいるのが解った。


頼朝は馬から降り、辺りの様子をうかがっている。

森の奥に目を凝らすと、その向こうに幻を見た。

普通に考えたなら、幻としか言いようが無かったからである。

深い森の奥で輝く物――。それは、明らかにこちらへと向かって来ている。

物だと思っていたそれは、者であった――。


風に任された白く輝く羽織物と、腰にまで届きそうな長い髪。

徐々に近づいてくるその者が、頼朝の目の前で立ち止まると、それまで閉じられていた眼がゆっくりと開く。

長い睫毛の間から覗く瞳には光が無く、ひどく白濁している。

次の瞬間、どこからとも無く透き通るような声がした。

頼朝がそう思ったのは、彼女の口が開かなかったからである。


「何をしておられるのですか……」


深い悲しみを湛えたような音声オンジョウだった。

白く濁った眼を除けば、どこを見ても美しい女性ではある。が、頼朝にはこの世の者とは思えない。

妖かしか、物の怪の類であろうと、腰にいた刀の柄に手を置いた。


「汝は、なぜ我が前へ現れたっ!」


その口調からも、武士としての勇ましさが伝わってくる。

この場で抜刀することも躊躇わない――。そういう覚悟がうかがえた。


「私が問うておるのです。あなたはここで何をしておられるのですか…………」


頼朝は、このような女性にこの数年出逢ったことがない。征夷大将軍になってからというもの、自分に意見する人間など一人としていなかった。


(やはり、物の怪の類……)


頼朝は、迷わずに抜刀した。

その刀の切っ先を、女の目の前に突き付け再び問うた。


「もう一度言う。汝は何奴っ」


長髪の女は、再び目を閉じるとやはり口を開かずにそれに応えた。


「ならば申しましょう。私はこの山に住む者。名は持っておりませぬ」


「名を持たぬとな?ならば物の怪の類――。我が首を所望するか?」



「ですから……私は何をしておられるのですかと申しておるのです。あなたの首を所望している者は、あなたの供の中におりまする……」


頼朝の顔は一瞬で紅潮し、怒りを露わにした。


「何を戯けたことを!!」


「嘘は申しておりませぬ。間もなく、供の方が討ち取られるでしょう……」


そう言うと、女は深い森へと消えていった。



(馬鹿な事を……)


頼朝は、生涯初めての物の怪を見たのだと思っていた。


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