引き裂かれた絆
そんな関係が一ヶ月もすると、孝太は『さくら』を俺に譲ると言い出した。
どういった風の吹き回しか、負けず嫌いの孝太が、そんな事を言い出すなんて到底思えない。
俺は孝太を問い詰めた――。
「冷めたのか?」
「……お前もバカだねぇ。好きに決まってんだろ。ただ……『さくら』はお前の事が好きなんだ。
見てれば解かる。俺は、片思いは嫌だね」
「……」
「恋愛ちゅうのは、二人でするもの……忘れられなくなる前に、忘れるのが一番。
俺はこれからキューティーなハニーを見つけるから気にすんなっ」
孝太は、バカだけどKYな奴じゃない。それに、強がってはいるが、きっと一人の時は落ち込んでいるに違いない。
孝太とはそんな奴だ。
それから数日のうちに、孝太は驚くほど早くハニーを見つけてきた。いま思えばそれもきっと、俺を思ってのことだったのだろう。
それから暫くして俺と『さくら』は、付き合うようになった。もちろん、俺から告白しての話しだ。
デートを重ねるうちに、グリンピースが苦手であることを知った。
何気ない会話の中で、チョコレートより、生クリームが好きであることも知る事ができた。
『さくら』は、犬や猫を、わんちゃん。にゃんちゃんと呼ぶ。
ひとつ年上でありながら、それを感じさせず、妹とさえ思える瞬間まで合わせ持つ可愛さがある。
かと思えば、やはりお姉さんのような気配りと、心に染み入るような優しさ――。
この頃の俺の気持ちはというと、抱きたくないと言ってしまったら嘘になる。
ただ、そうしてしまったら、『さくら』に傷を負わせてしまうのではないかという不安があった。
いや、正確にはガラス細工の花が、壊れてしまうのではないかという、怖さに似たものなのかもしれない。
俺の心は、日を追うごとに鷲掴みにされていった――。
ちゃんと付き合い初めてから二ヶ月が過ぎる頃。
その日は突然きた――。
電話越しに泣きじゃくる『さくら』。
俺は言葉を失い、ただ黙り込むことしかできなかった。
家庭の事情で、『さくら』は東京へ引っ越すことになったのだ……。
それを聞いた瞬間、全身を電流が貫いた――。
この体中を痺れさせたものは、電流としか思えないほどリアルで……
熱くて……
痛くて…………
…………苦しかった。
俺は、携帯を握ったまま、『さくら』の住む隣町へと走り出していた。
心のするがままに。
手の指先――。
足の甲――。
こめかみでさえ、心臓の慟哭を感じる――。
『さくら』の家に付く頃には、肺が喉を通して音を漏らしていた。
玄関の前には、眼を真っ赤に腫らせた『さくら』がいる。
俺は、初めて『さくら』を抱きしめた――。
両脇から俺の後ろに廻された手が、背中越しに、肺と心臓を労わるように優しく撫でる。
俺の口から吐き出される荒々しい息が『さくら』のサラサラな髪をなびかせた。
再び電流が走った――。
暖かくて。
柔らかくて。
心地の良い刺激だった。
『さくら』は、紅潮した顔で見上げるように見つめてくる。
もともと色の白い『さくら』は、桃色に染まる桜のように、優美で、優しくて、散ってしまいそうな儚さと切なさを、その表情に浮かべていた。
ふと空を見上げると、夕陽と月が顔を見合わせている。もう間もなく入れ替わる頃だろう……。
道路を行き交う物達の存在は、俺たちにとって気にならなかった。
どれくらいそうして居たのだろう。
ふと、『さくら』が、風にかき消されてしまいそうな華奢な声で、言葉を紡ぎだした。
「もし、逢えることが無くなったとしても、ずっとあの桜の下で待ってるね……」
そう言うと、『さくら』はまた大粒の涙を零す。
俺はさらにきつく抱きしめながら、今にも泣きだしそうな心を押し殺して、言葉を返した。
「ああ。もし『さくら』が遅れてくるような事があったとしても、何回目の朝が来たって待ち続けるよ……」
裏腹な気持ちを悟られぬよう、にっこりと微笑む。鏡で見たら、きっと引きつっていたに違いない。
(少しでも安心させたい……)
そんな思いが、言葉を付け足させた。
「大丈夫。携帯もあるし、電車でも東京なんてすぐだし」
つられて『さくら』も笑顔になる。
泣き腫らせた顔で作られた笑顔が、こんなにも愛しいという事も、『さくら』が教えてくれた。
それから一週間後に、彼女は東京へと旅立っていった。
初めて出会ってから三ヶ月目のことだった。
三ヶ月という時間が、俺達二人にとって、十分だったかどうかは解からない。
いま言えることは、あれからしばらくは連絡し合ってたものの、高校を卒業になる今日という日まで、『さくら』とは連絡が取れなくなっていた。
俺自身、あれから数ヶ月後同じ市内ではあるが、母親の都合で引越した事と、繋がらない苛立ちから携帯を壊してしまった事には後悔もしている。
けれど、忘れる事のできない俺はこの季節になると、時間を作ってはゲボザクラの下で『さくら』を待った。
朝を迎えた日も二度はある――。
だが、『さくら』は来なかった……。
しばらく塞ぎ込んだ時期もあったが…………それも彼女の決めたことなのだと、何度も言い聞かせてきた。
どう考えても、新しい人と出遭ったに違いない。
願わくは、俺より良い男であってくれること――。今は、それだけが望みだ。
もし仮に、とんでもない男に泣かされている所に出くわしたなら……。
俺は自分を抑える自信などない。
むしろ、自ら憎悪を吐き出そうとするかもしれない――。
けれど、『さくら』がもし本気でそんな男を好きだったなら…………。
『さくら』の事を考えていると、肯定と否定の入り交じる妄想が、暴走しはじめる。
こんな事を考えるのは、まだ彼女の事を思っているからだ――。
『さくら』の為にも早く忘れてあげた方が良い…………。




