デルタチェリー
天にも昇る気持ちとは、この事なのだろう――。シュウヤは、その瞬間を何度も噛み締めていた。
後日、集められた数名の若者。
それがデルタチェリーの始まりだった。
シュウヤは音楽に重点を置きながらも『さくら』の幸せを願っていた。
(早く朝日君に出合わせてあげたい……)
と同時に、突き上げてくる別の衝動があった。
(本当に朝日君は、今でも『さくら』を待っているのだろうか……)
待っていなかったとしたら『さくら』は本当に可哀想だ。
そんな思いが込み上げてくる。
それからまた数ヶ月が経った。
陽が痛く刺さるような夏も、祭りの後のような哀愁が漂い始める秋にも、人肌に愛しさを感じる寒い冬も、シュウヤ達は下馬の桜へ足を運んだ。
だがやはり、朝日の来た痕跡はどこにも見当たらない。ひどく落ち込む『さくら』に、そっとシュウヤが声を掛けた。
「春になったらまた来よう……。そのときはまた手紙を書こう――」
『さくら』は頷く事しかできなかった。
その後、デルタチェリーは徐々にファンを増やし、仕事としての音楽が成り立ちつつあった。
『さくら』もこの頃はデルタの曲を部屋で聴きながら、シュウヤ達の活躍を心の内で見守るのが、一つの生き甲斐となっていた。
そうして二度目の春が来た。
やはり、朝日君の姿はどこにもない――。
シュウヤ達は、例の老人が住む建物へ立ち寄ると再びお願いした。
老人は、去年と変わらず快く引き受けてくれた。
『さくら』の指が、シュウヤの掌をなぞる。
「お体に変わりは無いですか?今日も、朝日君には会えませんでしたね……」
そう書き出す『さくら』の気持ちの変化が、シュウヤにも伝わってきた。
「あれから、私も色々と考えました。朝日君の事は忘れた方が良いんじゃないかって、それが朝日君の為になると思うから。でも、その前に一度だけでもいいから、ちゃんと会って話しがしたいです。
来年もまた来ます。その時は、笑顔で話せるように頑張るね」
(『さくら』は朝日君を忘れようとしている……)
考えてみれば、眼と口の開かなくなってしまった『さくら』を、朝日君が受け止めてくれる保証などどこにも無い。それは『さくら』の方が痛いほど感じている事だろう。
現に、これだけ足を運んでいながら一度も朝日君に逢えていない。
(それが答えなのか……)
そう思うと、シュウヤのさらに奥にある別の感情が頭をもたげてきた。
シュウヤには、『さくら』を受け入れる覚悟がある。それは二年の時を経ても、変わることのない気持ちだった。
(『さくら』と出会えたあの事故は、運命だったのかもしれない……)
そんな事さえ頭に浮かんでくる。
もし、朝日君が受け止められないのなら……。『さくら』が受け止めてくれるなら……本当に自分の一生を捧げよう――。
それがシュウヤの答えだった。
あるとき、シュウヤは胸の内を明かしてしまった。
「朝日君には、もう別の誰かが……」
それは『さくら』も考えていたに違いない。
瞳に涙を浮かべながらも、笑顔で文字を連ねる。
「そうかもしれませんね……。きっと朝日君はモテると思いますから……」
だが、そう指でなぞった後、寝室ですすり泣く『さくら』にシュウヤは気付いてしまった。
『さくら』の中には、今も朝日君がいる――。
シュウヤは『さくら』にとって一番の幸せを掴ませてあげたかった。
その気持ちは今も変わっていない。
『さくら』の一番の幸せ、それはきっと、朝日君が待っていてくれて、全てを受け入れてくれることだろう。
シュウヤは『さくら』の幸せに貢献できることは無かったのだと、苛立ちすら覚えていた。
三度目の春が来た。
そのときの『さくら』の心境は、書き残した手紙にも現れている。
「こんにちは。新しい彼女はできましたか?今年も下馬桜に来ちゃいました。
やっぱり、朝日君には会えないみたいです。朝日君が元気でいればそれで良いです。いつかの約束覚えていますか?あの時の約束は無かったことにしても良いですよ。朝日君に新しい彼女が居たら可哀想だから、私との話しはしないであげて下さいね。これで最後にします。どうかいつまでもお幸せに」
そう書き残された手紙を、シュウヤは呆然と眺めていた。
(『さくら』の本心じゃない…………)
長いこと『さくら』の傍にいたシュウヤにはそれが解る。
だからこそ、そう書き残そうとした『さくら』の気持ちが痛いほど伝わってきた。
「本当にいいのか……?今ならまだ書き直せる……」
テーブルの下で、掌に書かれた指文字。
「私がずっと思っていれば、それで良いです」
シュウヤは号泣した。
『さくら』をこんな体にしてしまった自分を呪った。
あの事故の瞬間から『さくら』が幸せになれることは無かったのだと――。
「……『さくら』俺じゃだめなのか?…………」
思わず口を突いて出た本当の気持ち。その悲しみを減らしてあげられるのなら、何でもしてあげたい。
『さくら』が笑顔でいられるのなら、いつまでも支え続けたい。
でも、自分にそうしてあげられる事は無いのだと心の何処かでは思っている。
『さくら』は、それに応えた。
「その気持ちだけで嬉しいです……」
(その気持ちだけで…………)
こんなにも『さくら』が朝日君を思っているのだ思うと、背筋を電流が走った。
そうとなれば、自分がするべきことはただ一つ。
どんな事があっても朝日君に会わせてみせる――。
朝日君がどちらの答えを出すにせよ『さくら』の心の鎖は切れるはずだ。
そう決意を固めたシュウヤが居た。
四度目の春が近づいてきた。
シュウヤは、デルタチェリーの仲間に初めて『さくら』と出会ってからの全てを話した。
ボーカルの浩二も、ベースの琢磨も、ドラムスの隆二までもが涙していた。
「今年の春『さくら』は下馬の桜に行かないと言い出すだろう……」
シュウヤがそう言うと、隆二が話に割って入る。それに応える形で、皆が意見を出してくれた。
「なんとか見つけ出したいな……」
「こんど、生番組あっただろ?そんときに公開捜索しちゃえば?」
「そんなのご法度だろ!」
「じゃあ曲にしちゃうとか?」
曲にする――。
その意見に、皆の言葉が止まった。
さらに言いだしっぺの琢磨が言葉を付け加えた。
「『さくら』さんからの手紙を曲にすれば、朝日君って言う人にしか、本当の意味は解らなくて良いんじゃないか?」
名案かも知れない――。
誰もがそう思っていたが、それを聞いていたマネージャーからダメ出しがあった。
「デルタはファン全員のものなんだ。そんな事をしたら、不公平だと言うファンが出るかもしれないだろっ」
返す言葉が無かった。
ただ一人を除いては……。
それを黙って聴いていた浩二が、口を挟んだ。
「もともと、デルタはファン一人一人の心に残るような曲を作り上げて行こうと、皆で確認しあったじゃないですか?」
その声には、強い意志が伺える。
誰の返答も待たずに、浩二はさらに言葉を続けた。
「ファンに不公平だというのなら、今いてくれるファン全員に曲を作れば良い――。ファン全員からエピソードを募集して、それをテーマに毎回作曲していけば、曲創りの方向性で悩んだりすることも当分無くなるでしょう。『さくら』さんは、デルタがデルタになる前からシュウヤのファンなんです。
今回はファン第一号の『さくら』さんと朝日君に捧げる曲だというだけの話しです」
浩二の力説に、そこにいる全員が飲み込まれた。
確かに、デビュー当初にファンの応援無くしては、根強い人気は得られないし世に知られる事も皆無に等しい。
だが――。
いま居てくれるファン一人一人に作曲する――。
普通ではあり得ない選択である。
改めて、このバンドの意気込みと、そこに費やそうとする情熱をお互いが再確認していた。
すると再びマネージャーが口を挟んだ。
「そんなこと言ったら、日本中全員がファンになったらどうするんだ?」
マネージャーからは、もはや屁理屈しか出てこない。
浩二は眉間に皺を寄せた――。
「あなたがそんな志だったら、僕はデルタを抜けます」
それには、マネージャーも返す言葉が無かった。
浩二の美声は、ファンの多くが支持していたからである。
「あまり調子に乗るなよっ」
マネージャーは、捨て台詞を吐くと部屋から出て行く。
静まり返った部屋で、メンバー達は作曲に当たっての構想を語り合った。
暫くすると、先ほどの件を聞きつけたであろうアルファ社の社長。三上慶介氏が、部屋を訪ねてきた。
「話しは聞いたよ。私は君達の意見に賛成だ。ミュージシャンは、誰かの為に、何かを創り出すだけで良い。売れる売れないは、ユーザーの方が決める事だ。当然、売れる曲が出なければ会社は成り立たない。しかし、売れる為を追求していくと、誰かに必要とされる何かがあるか?という事にたどり着く。
ファンの一人一人に曲を作る??面白いじゃないか――。そんなアーティストが我が社に居てくれるというだけで、私が企業した意味もあったというものだ。大いにやってくれ、会社が潰れる時は、君達と心中だ。ワッハッハぁっ!」
改めて聞いた社長の信念に、シュウヤ達には熱いものが込み上げてきた。
シュウヤが家に帰ると『さくら』は今日も窓辺に立っていた。
その瞳に夜景が映ることは無い。
何かを感じたいという思いが、彼女にそうさせているのかもしれない。
シュウヤは、そんな『さくら』を見つけると新曲の話しを切り出した。
「『さくら』。今度の新曲で君に詩を作って欲しいんだ」
その言葉に、窓辺から近づいて来ると『さくら』はシュウヤの掌を取り、指文字を走らせる。
「どんな詩です?」
「思いが溢れる朝日君に宛てた詩だよ」
やはり、その両眼から大粒の涙が零れた。
その純粋な涙を、指でそっと拭きながらシュウヤが語りかける。
「朝日君を見守るのはまだ早い。あと一回だけ下馬の桜へ行こう!」
『さくら』が小さく首を横に振ったのが分かった。
けれどシュウヤは、それを無視して話し続ける。
「『さくら』はポエムを書いてたよね。見せて貰うよ」
シュウヤは『さくら』の部屋をあさりだす。
『さくら』は、初めて強引な態度を示すシュウヤに困惑していた。壁伝いにシュウヤの後を追い、その掌を探している。
やっとの思いで見つけた掌に『さくら』は書き込んだ。
「どうしてそんな意地悪をするの?」
シュウヤはそれに、笑らいながら応えた。
「『さくら』が幸せになるのなら、俺は意地悪にでもなるよ」
『さくら』の頬を大きな雫がしたたり落ちた。その表情には笑顔が滲んでいる。
シュウヤはポエムを開いてみる。
様々な言葉で綴られる朝日への思いの数々。
こんなにリアルで涙を誘う詩は、自分には書けないだろうとシュウヤは思った。
ページをめくっていくと、ふと指が止まった。
偶然て何処から来るの?
必然て誰が決めているの?
あなたに声を掛けられなければ
私はきっと後悔していた。
あの日あの桜の下で
あなたは、笑ってくれた。
私は知っていたの。
あの日あの樹の下で逢えること。
私は待っていたの。
長い時を重ねては繰り返して
それが私の必然。
運命と人は言うけれど
私は知っています。
必然て、私が決めた道。
あなたが忘れたとしても
私は遠くで覚えています。
そこに書かれた言葉達に、シュウヤの心は一瞬で掴まれていた。
「朝日君への詩、これにするよ!」
そう言うと、シュウヤはそれを読み上げ始めた。
『さくら』にはどれだけの涙が溜まっているのだろう――。
何度でも溢れ出されてくるその涙が、悲しみの深さなのかも知れない。
「もう一度だけ、朝日君に逢いに行こう」
そう手を強く握るシュウヤに『さくら』はコクリとうなずいた。




