狩宿の下馬桜
三月に入って間もないというのに、今年も桜が咲いた。
ここ静岡の地も例外では無く、この数年、開花予報はあまり当てになっていない。
今春は、自分にとっても高校を卒業する春になる。
毎年やってきた春という季節。
この時期に、桜を見るといつも思う……。
桜というものが初めて花を咲かせた時代から、いったいどれだけの人達がこの花に見送られてきたのだろう。
そう思うようになったのは、初めて人との別れが、こんなにも苦しくて、そして悲しいのだと知った3年前。中学を卒業する頃からだ……。
卒業式の中。
大きく開かれた体育館の外で、ちらほらと開き始めた桜の花を見ながら、俺はそんな事を考えていた。
式も終盤に差し掛かると、校長が演壇に立つ。
「今年も桜が咲き始めましたね」
そう語り始める校長の話は、きっと退屈だ。
口調に、え~。だの、ですから。などという場持たせの言葉がないところを見ると、きっと毎年話し慣れている内容だろう。お決まりで話しているのだと思うと、さらに聞く気が失せた。
いつもなら、まったく聞く耳を持たなかったに違いない。けれど、次の言葉で、俺の心根は改めさせられた。
「ところで皆さんは、桜の木が、なぜ桜と呼ばれるようになったかご存知でしょうか?」
「解かる人はいますか?」
そう言うと校長は場内を見回し始める。
(桜の由来……?)
その問いだけで、今の俺を釘付けるのは十分だった。
この卒業式で俺達はまた、仲間と離れることになる。これまでに二度は経験してきた。
その時は、何かを失うような悲しさもあったし、また何かが変わるような期待もあった。
いつの春にもそういった誰かが居たのだと思うと、どんな別れの先に、どんな出会いがあったのかを知りたくもなってくる。
遠く昔からあったに違いない桜。
その桜が花を付ける春という季節。
幾人の人達が、毎年咲き誇る桜の優美さに心を打たれ、厳しき冬の解放を喜んだことだろう。
そんな桜には、いったいどんな由来があるというのか――。
そんな俺の気持ちを知ることも無く、校長は話し続けている。
「桜の語源の一説には、『咲くもの等』という言葉が短縮されてできたのが、咲く等と言う説もあります。
まさしくこの春。新しい船出をする皆様が、それぞれの人生に花を咲かせるという意味で、ふさわしい言葉の意味を持つ花が桜であります」
(…………)
期待は見事に外された。
もっと深い意味を期待していただけに、うまいことまとめて、それを自分の挨拶にするあたりは、調子の良い大人としか映らなかった。
校長はさらに続ける。
「ところで、今日はもう一つの語源を、皆さんにご紹介したいと思います」
校長はそういうと、内ポケットから折り畳まれた紙片を取り出し、演壇の上に広げ始めた。
「もう一つの語源というのは、皆さんが一度は耳にしたことがある『古事記』と『日本書紀』という古い書物に関わってきます。この書物の中に、名称が幾つもある女神が登場します。その中の一つの名を木花之開耶姫というこの女神は、富士の山頂から、種を蒔いて花を咲かせていたとされています」
(なんだ神話か…………)
正直、そう思うと好奇心が打ち消されてしまった。
それからというもの、俺は聞く耳を持たず、自らに起こる妄想に耽っていた。
そんな間も、依然として校長の話は続いている。
時折、『さくら』という単語が聞こえて来るたびに、胸の内を締め付けられるが……。
それに刃向かうように、意識を遠くこの場所から飛ばし、自分の心を誤魔化していた。
ようやく長い卒業式も終わり、帰り仕度をしていると、親友の孝太が声を掛けてきた。
「よう!朝日一緒に帰ろうぜっ」
「おう帰るかぁ」
俺達は、長年通ってきた校門を後にした。
春の日差しが、まだ天高くから降り注いでいる。 まっすぐ帰るには、この心地よさがもったいないくらいだ。
いつも通っていた帰り道。
その途中にある川辺へ差し掛かると、孝太が口を開いた。
「なあ、朝日。結局俺たち彼女いないまま卒業しちまったな」
「男子校来ちまったんだから、そりゃ率下がるだろっ」
「何時だったか、卒業の日には、俺とお前と、彼女合わせた四人で、お疲れさんパーティーやろうって決めてたのになっ!」
「あれ本気だったのか?」
「当たりめえだろっ!。まあでも、この三年間で二人とは付き合えたから良しとするか……」
「両方とも一週間以内とか!!普通、付き合ったとか言わねえしっ」
「朝日っ!てめえ笑いすぎ!!」
「解かった。解かった。……ぶっはははははっ」
「お前だけは殺すっ!!」
「ぶっははははっ」
これが、俺たちにとって普通のやり取りだ。
孝太とは、中学入学と同時に殴りあった仲でもある。お互い、少し似てる部分もあってか、初対面の時から鼻に付く相手だった。
あまり頭のよろしくない俺達は、選んだ高校まで同じ。
中学の時には、好きになった女まで同じだったこともある。
その時も殴りあった事を思い出した――。
「そういえば、今日の式っ時の校長の話。面白くなかったか?」
どうやら孝太には、面白い話であったらしい。
「途中まではなっ」
「そっかあ?ゲボザクラの話オモシロかったべ?」
「??ゲボザクラの話しなんかしてたか?」
「お前も相変わらずだねえ。将来が思いやられるぜ」
孝太はそう言うと、眉間に皺を作って、頭を横に振りながら笑っている。
『ゲボザクラ』
俺達がそう呼ぶ桜は、富士宮市内にある巨大なヤマザクラのことだ。
聞いた話によると正式には、『狩宿の下馬桜』と言い、特別天然記念物にも指定されてるらしい。
以前、俺と孝太は、中学のころ同じ女の子を好きになったことがある。その時、どちらが彼氏に相応しいかで、その桜の下でゲロが出るまで殴りあった――。その日以来、俺達の間では「下馬桜」を「ゲボザクラ」と呼んでいる。
その場所を、決着場所に選んだのは、俺達が愛した女の子――。
「柏木さくら」と出会った場所だったからだ。
『さくら』と出逢えたのは、ほんの偶然だったのかもしれない。
名前の如く、桜の花を好む『さくら』は、この下馬桜を毎年のように見に来ていたらしい。が、本来花などに興味の無い俺達がそこへ行く確率は、二人して東大を目指すような有り得無さだ。
それがたまたま、そこへ居合わせた。
そこへ行った理由を問われても、理由など見つからない。
強いて言うならば、少し遠出して遊んでた。それぐらいだろう。
『さくら』と出会った俺達は、お互い顔を見合わせてどちらからともなく声を掛けていた。
いや……正確には声を掛けずにいられなかった。
「ねえ。僕達と桜に付いて語りませんか?」
そう話し掛けた孝太は、言ったあとに気まずい顔をしている。
俺達には、その当時から全くと言っていいほどセンスが無い。
それでも勇敢に話し掛ける孝太に、同情さえ涌いてきた。
それを見兼ねて、孝太に替わり声を掛けてみる。
「この桜ってずいぶん大きいですよね?あっ!すいません。藤原朝日って言います」
すると彼女は、にっこり微笑みながら話し出した。
「この桜は『狩宿の下馬桜』と言うんです。日本でも古い桜だってお祖母ちゃんに教えて貰った事があります。あっ。すいません。私は木内さくらと言います」
『さくら』は、透き通るように白い肌で、笑うと八重歯が見え隠れする。右の口元にある小さなホクロが可愛らしかった。
眼には、優しさが溢れているような可愛らしい女の子でありながら、どこか大人びた雰囲気も持っている。
いま思い返してみると、あれほどの一目ぼれは、孝太も俺もしたことが無い。
それから、三人の何気ない会話が始まった。
と言っても、孝太からの質問攻め――。俺の目にはそう映った。
俺も負けじと会話に入り込むが、孝太に悉く遮られる。
『さくら』は、ずっと笑っていた。
俺は、それを見ているだけで良いと思える瞬間があるほど、彼女の仕草と振る舞いに見惚れていた。
もちろん、彼女の連絡先は聞き出している。バカな俺達にしては、頑張ったほうだ。
ここで聞き出していなかったら、二度と逢えることは無かっただろう――。
そんな思いにさせられてしまうのも、彼女の魅力の一つなのかも知れない。
それから数日の間、それぞれ連絡を取るようになったが、結局は一週間と待たずして、俺と孝太のどちらが告白するかで決闘をすることになった。
結果は――。両者ゲロって引き分けとなり、どちらかを『さくら』に選んでもらうということで話しが付いた。だが、二人が『さくら』に告白した事で、妙な結論にたどり着いてしまった。
それは『さくら』が提案したものであった。三人で友達として付き合うことになったのだ。
争いを嫌う彼女らしい答えだったのかもしれない。
それから、俺達の奇妙な付き合いが始まった――。
映画に行くにも、買い物に行くのも三人。
カラオケに行くのも、ビリヤードをするのも三人だった。
そんな関係であっても、俺と孝太は、みるみる『さくら』に惹かれていった。
一つ言えることは、俺達の中に、唇を奪いたいとか、抱きたいとか、そういう気持ちは湧いてこなかった。
もし、そういう気持ちがあったならば、少々拒まれても、強引にそうしてもおかしくない俺達であったと思う……。
だからこそ、そうしなかったという事は、そういう気持ちじゃ無かったからだと、今なら言える。




