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舞踏会の準備を

 今夜、キャストリカ中の貴族が王宮に集まる。建国を祝う舞踏会を皮切りに、毎夜どこかの邸宅で夜会が開かれる。普段領地に籠っている貴族の社交が始まるのだ。

 当主は世界情勢の情報交換、夫人は王都の流行を領地へ持ち帰り、歳若い令息令嬢は、結婚相手を探す。それぞれの目的を持って、夜会に繰り出すのだ。

 社交界に無関心だったライリーも、今夜ばかりは欠席するわけにいかない。子爵宛てに国王の名で招待状が届くのだから、強制参加と同じだ。

 ライリーは騎士団の式典用の制服を着るだけだから、準備に悩む必要はない。悩んでもいいのだが、騎士贔屓のハリエットの目を気にして制服以外の選択肢を捨てたのだ。

 青褐色の制服を着て、鏡を覗き込んで髪を撫で付ける。髭の剃り残しを見つけて処理してしまったら、もう準備完了だ。

「ハリエット、準備はいいですか?」

 子爵夫人はそうは言っていられない。ライリーは普段は閉め切っている衣装部屋の扉を叩いた。

「まだです、旦那さま。もう少しお待ちください」

 返事をしたのはアンナだ。

 女性の支度には時間がかかる。ライリーでも知っている一般論だ。多分急かすのは悪手だろう。侍女の冷たい視線に晒されて怯む自分が目に浮かぶ。

 ライリーは階下で待つことにした。

 妻はあまり悪感情を表に出さない。それは淑女教育の賜物なのかもしれないが、ライリーは時々不安になるのだ。

 やらかしたことに気づけなければ、自分はきっと悪い夫になる。妻を傷つけ、不快にさせてもそのことを知らないまま日々を過ごす。

 ハリエットの代わりに、ライリーに厳しい態度をとるアンナの存在は貴重だ。

 彼女は職務に忠実でありつつも、視線ひとつで主人の行動を評価する。

 それは主にハリエットに関することだから、ライリーはアンナの視線の温度で、自分の行動を量るようにしていた。

 我ながら悪くない心得だと思う。その証に、ハリエットの柔らかい笑顔がある。

「お待たせしました」

 侍女の手を借りて階段を降りてくるハリエットは、夢のように美しかった。

「いいえ。待った甲斐がありました」

 見覚えのあるドレスだ。婚礼の日に花嫁の身体を飾っていた、天青色。手首に向かって広がっていく袖の飾りは、繊細に編まれたレースだ。

 高位の貴族を除いて、婚礼衣装は使い回しが基本だ。名門侯爵家出身のハリエットであれば、その日限りの衣装にすることも可能だっただろうに。

 ライリーは居たたまれない気持ちになったが、失敗した結婚式の挽回ができるのだと思い直すことにした。この美しいドレスの想い出を塗り替えてもらうのだ。

 式のときには長く引き摺っていた裾は、ひとりで歩ける程度の長さに作り直されている。このドレスで、彼女は軽やかに踊るだろう。

 憂鬱だった舞踏会が、急に楽しみに思えてきた。美しく着飾ったハリエットとダンスができるなら、そう悪い行事でもない。

 アンナから妻の手を受け取って外に出てから、はたと気づく。馬車の待合所まで、ドレスを汚さず華奢な靴で歩くのは不可能だ。

「……アンナ。ハリエットを抱き上げたら、せっかくの支度が台無しになるかな?」

「いいえ、旦那さま。想定内です。もし崩れても、馬車の中で直せます」

「さすがだ。ハリエット、失礼しますね」

 着崩れさせないように、細心の注意を払ってハリエットを抱き上げる。

「こんなときには不便ですね。やはり馬車を横付けできる家を探しましょうか」

「城下にですか? 隊務の行き帰りが大変ではないですか?」

「そうでもないですよ。去年の今頃は、実家から通ってみたこともあります」

 そのときは、使用人に世話を焼かれる生活に慣れるのが怖くなって、すぐに官舎に戻った。ティンバートンの未子に戻ってしまったら、下っ端の役割を果たせなくなる。

「ホークラムの財政状況にもよりますが、まあ考えてみましょう」

「無理はしないでくださいね。こうやって運ばれるのも、なかなか楽しいですし」

 手配しておいた馬車に乗り込んで、王宮の奥まで進んでいく。

 王宮の敷地は広大だ。ちょっとした町ほどの規模があり、これから祝賀会が開かれる城はライリー達の住む長屋から遠く離れた場所にあった。

 ライリーひとりであれば徒歩で構わないのだが、貴婦人の足では辿り着けるかも怪しい距離だ。

 昨年、ライリーは会場警備の任に就いて、会場のハリエットを遠目に見ていた。今年は夫婦として出席するのかと思うと、感慨深いものがある。

 彼女は昨年までとはまったく印象が違っていた。

 その特徴的な金髪と青い瞳がなければ、彼女だと気づかない者も多そうだ。

 纏めてネットを被せた髪型は既婚女性らしいが、輝く金髪を完全には隠さず一部を見せている流行の形は新妻らしく初々しかった。

 精緻な刺繍を施した絹のドレスは、ハリエットの上半身の曲線を品良く強調して、床に向かって少しずつ広がっていく。ドレスの胸元に縫い付けられた小さな石は、婚礼のときにはなかった気がする。そのほとんどが、ライリーの瞳と同じ色の翡翠だ。

 本人曰く、厚化粧と派手なドレス、で装っていた昨年までよりも若く見えるのが少しおかしかった。初々しい、などという感想は、侯爵夫人と呼ばれていた彼女からは絶対出てこなかった。

 両親を同時に亡くすという不幸がなければ、ハリエットはきっと、こんな姿で初めての夜会に臨んだのだ。可憐な令嬢として評判になったことだろう。

 従者の少年になど見向きもせず、同じような階級の貴族と結婚して、何不自由なく幸せに暮らす姿が容易に想像できた。

 ハリエットが今ライリーと同じ馬車で向かい合っているのは、奇跡のようなものなのだ。

「あまり詳しくないのですが、夫婦で同じような色の衣装で出席するのは、ありなんですか?」

「あら。気づきましたか」

「そりゃ、ここまであからさまなら」

 少し気恥ずかしいくらいの揃え方ではないかと心配になった。明るい空色の妻と、暗い空色の夫。

 ハリエットはライリーが制服で出席することを承知していたはずだ。敢えて合わせてきたのかと、少し気になった。

「新婚感が出て、よくないですか?」

「あなたがいいとおっしゃるなら、構いませんが」

「では問題ありません」

 それならばいいか。完全に同じ色ではないのだし、悪目立ちするほどではないだろう。

 ハリエットの隣に座って、彼女のドレスの紐の位置を微調整していたアンナが、ふとライリーを見た。

「旦那様、少し失礼します」

 アンナは手荷物から取り出した櫛をライリーの髪に差し入れて形を整えた。

「ありがとう。アンナは姉上のようだな」

「光栄です」

 ちっとも嬉しくなさそうな無表情に、ライリーは苦笑するしかなかった。

 艶やかな栗色の髪の美人なのに勿体ない。今夜、他家の従僕に絡まれたりしないだろうかと少し心配していたのだが、彼女なら軽くあしらえそうだ。

「俺はあまり夜会が得意じゃありません。早めに切り上げて帰りたいのですが、構いませんか?」

「ええ、もちろん。お義父さま方にご挨拶だけしたら充分でしょう」

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