鍛錬が終わると
地獄も住んでしまえば、日常になる。
いつまでも終わらない鍛錬地獄に、ライリーの身体は慣れつつあった。
もちろん辛さは変わらない。体力の限界を超えても鍛錬場に引き摺り出される、模擬戦では集中攻撃に合う、理不尽さは変わらないが、やられっぱなしではなくなった。
課題が出たら、どんな手を使っても開始早々に合格する。模擬戦では囲まれないよう、全員の立ち位置を常に把握しておく。やられる前にやる。
ほとんど命懸けだ。
自棄になって吼えるのもお馴染みになってしまった。俺は獣か。冷静になるのは、その日の予定をすべて終わらせてからだ。
今夜は祝賀の舞踏会に参加するため、午後の鍛錬に出られないのが残念なくらいだ。一撃も返せなかった相手がいる。心残りだ。
ライリーは水場で下穿き一枚になり、いつもより丁寧に汚れを落とした。桶で汲んだ水を二杯、頭からかける。三杯目は桶に直接頭を突っ込んで、手で髪を梳いて砂埃を落とす。桶を洗って四杯目で手足に残った汚れを洗い流す。
(こんなものか)
国王主催の夜会に薄汚れたまま行くわけにはいかない。
いつものようにくたびれた格好で帰ったら、ハリエットは自分の支度の手を止めて湯の用意をするだろう。そんな手間をかけさせるくらいなら、冷たい水をかぶるほうを選ぶ。
汚れた訓練着は、洗って帰れば家人の手を煩わさずに済む。どうせまた汚れるのだからと雑に汚れを落として絞り、一纏めにしておく。
着替えてから急いで昼食を腹に入れ、家路に就いた。途中で騎士家族と思しき子どもが数人で歩くところに出くわした。そのなかのひとりは見知った顔だ。
「エイミー。中隊長のところか?」
「ライリー様、こんにちは!」
「こんにちは!」
全員がエイミーと同じ歳頃、十二、三の少女だ。四人も集まれば勢いに押される。
「中隊長なら見てないよ。別の場所じゃないか」
「ううん、今日はこの子のお兄さんの忘れ物を届けに来ただけだから、いいんです」
一緒に遊んでいるところで頼まれでもしたのだろうか。
「そうか。鍛錬場は何が飛んでくるか分からないから、気をつけて」
「はい! ライリー様、ごきげんよう」
声が高い。何やら黄色い声で喋り、笑う少女達を見送って、ライリーは首を傾げた。彼女達は一体なにがそんなに楽しいのだ。
同じ高い声でも、落ち着いているハリエットの声とは違って、幼い彼女達の声は耳に突き刺さる。
娘ができたらあんな感じなのだろうか。ハリエットに似た女の子なら、超音波のような声にも耐えられる気がする。というか、すごくいい。
娘。娘か。息子でも構わない。ハリエットが産む子なら、可愛いに決まっている。
「相変わらず緩い顔してるな。まだやられ足りないか」
「帰宅中くらい許してください……」
後ろから追い付いてきたエベラルドは、背後を示した。
「あの子ども達はなんだ」
「スミス中隊長のお嬢さんです。友達のお兄さんに届け物があるとか言ってました」
「おまえ、あんな子どもになんかしたのか」
「なんかってなんですか」
「ライリーさまきゃーとか言われるようなこと」
「きゃー?」
「キンキン声で何言ってるかよく分からなかった」
「隊長の妹さん、アデラ? でしたっけ。あのくらいだったでしょう」
「ああ。……あんなだったかな。しばらく見てないから」
「たまには帰ったらどうですか。喜びますよ」
ライリーはなんの気なしに言うが、エベラルドは鼻の頭に皺を寄せた。
「家出小僧が偉そうに」
今度はライリーが顔をしかめる番だ。
「……小僧はやめてください」
新婚早々、妻から逃げたのは事実だ。一家を構える主として、子ども扱いだけ抗議する。
「今夜は夜会に出るんだろう。おまえがいない分、俺が会場警備に入るからな。なんかやらかしてたら、外から笑ってやる」
昨年の祝賀会では、まだ従騎士だったライリーも警備に駆り出された。
普段王宮深くを警備するのは近衛騎士の仕事だが、彼らは貴族の子弟だ。出席者として参加する者が多いため、ライリー達に仕事が回ってくる。貴人と接する機会が多い場所は押し付け合いになるため、昨年は伯爵家で育ったライリーにお鉢が回ってきたのだ。
社交の場は苦手だ。だから騎士を志した。
ライリーは特別荒事が好きだとか剣の才が際立っていたとか、騎士の幼少期としては特筆すべきことのない子どもだった。
座学よりも分かりやすくていい。最初はそれだけの志望動機だったが、荒っぽい男社会に揉まれて、ますます貴族同士の付き合いに苦手意識が強まった。
「笑わず助けてくださいよ」
「一介の騎士にできるわけないだろ。しっかりしろよ、ホークラム子爵」
エベラルドは言葉遣いこそ荒いものの、黙って立っていれば、ライリーなどよりよほど貴公子然として見える。
短い髪は清潔感があるし、その下の顔は、通りかかった女官が二度見して色めき立つような造りだ。綺麗に付いた筋肉を間近で見たいと騒ぐ貴婦人の集団を目撃したこともある。
今夜、エベラルドに熱い視線を送る令嬢に、あの騎士には決まった相手はいませんよ、と囁いてみようか。面白いものが見られそうだ。
「そうですね。頑張ります」