新米騎士の受難の理由
一日休んで、一週間にわたる鍛錬地獄の疲れはほぼ取れた。
ライリーは元気に仕事に向かった。
今日午前中は畑で野菜の世話をする予定だ。収穫量が多ければ、新鮮な野菜を持ち帰ることもできる。
騎士の中には畑仕事を嫌がる者も少なくないが、ライリーは存外土いじりが好きだった。
騎士になれていなかったら、農民になるのも悪くなかったな、と思ったりもする。それはさすがに父が許さないか。なら荘園の管理でもいい。
引退したら、領地でハリエットの好きな果物でも育ててのんびり暮らそう。理想的な余生ではないか。
昨夜は久しぶりに、ハリエットが眠ったことを確認してから眠りについた。今朝目覚めると、彼女の頭と肩の間にできた空間に、ライリーの左腕がぴったり収まっていた。
彼女はまだ夢の中で、無防備な寝姿を好きなだけ眺めることができた。初めて共に迎えた朝に起こしてしまった反省を活かして、触れるのは我慢したのだ。
目を開けた彼女は恥ずかしがって怒ったが、その様子も可愛かった。うっかりニヤニヤしてしまったらしく、朝から臍を曲げられてしまった。
彼女の希望はなんでも叶えて差し上げたいと思っているが、寝顔を見るなという言葉には、どうしても首肯くわけにはいかないのだ。
「ライリー・ホークラム、鍛錬場へ行け。他の者は隊務表通りだ」
「げっ」
一週間前にも、同じ台詞を聞いた気がする。
「畑はひとり減っても構わんだろう。今日は対複数戦の訓練やるぞ」
「いやいやいやいや」
「解散。全員、持ち場につけ」
エベラルドは、淡々と担当場所の確認だけして、朝の引継ぎを終わらせた。
「「「了解」」」
ライリー以外の全員が綺麗に唱和するのも先週と同じだ。
「隊長? エベラルド小隊長!」
ライリーは上官に食ってかかった。自分は何かしたか? ほとんど虐めのように、理不尽なしごきを受けなければならないような失態を犯した覚えはない!
「鍛錬漬けは一週間って話じゃなかったんですか? なんで今日も?」
「顔がきめえ」
「はあああああ⁉」
エベラルドは男前かもしれないが、顔で隊務内容を決めていいわけがない!
「その脂下がった面が治るまでは、一生警護なんか就かせねえ。オスナバ遊びなんざ以ての外だ」
かお? ヤニ下がってる? そんな理由で?
「まあまあまあ。上官命令だ。行くぞ、新人」
鍛錬組が、ライリーの首に腕を回して連行していく。
「午後から俺も参加するから、それまで頼むぞ」
「了解でーす」
「何を了解したんですかっ?」
「新人の教育」
その日もライリーは、ボロ雑巾のようになるまで叩きのめされた。
屈強な、に加えて百戦錬磨の、が付く先輩騎士ふたりを相手にして勝てるわけがない。実戦経験が違う。
一対一の試合なら、ライリーだってそれなりの成績を残すことができる。幼い頃から正統派の剣術を学んできたのだ。ほぼ自己流の、癖の強い剣を使う騎士の隙を突くのは、それほど難しいことではない。
実戦を模した訓練になると、どうしても経験値が物を言う。敵に囲まれたときにどう立ち回るか、考えなければ動けないライリーとは違う。身体に染み込んだ経験が、勝手に最適な立ち位置を見つける熟練の騎士には敵わない。
周りを見ると、転がっているのはライリーと同じような若手ばかりだ。ふたりの敵を相手にして、十秒以内に攻撃を受けた者は不合格。合格するまで何度でも挑戦しなければならない。
最後まで残った三人は、罰として居残り素振りだ。鍛錬後に千回。数えられる気がしない。
「だから、なんで俺の相手があんた方なんですかっ」
「なんだ、俺らじゃ不足か。もうひとり増やすか?」
ライリーと同じ中隊所属の、強い順に数えて五番以内に入るふたりだ。今日の鍛錬組の中では、一位と二位。
なんとしてもライリーを合格させるなという強い意思が、その場をひとつにしていた。
「始めるぞ〜」
「!」
一度目は一瞬でやられた。
二度目は、前後から飛んでくる剣戟を半身になって避けた。避けた足で踏み込んで剣を振ったが、背中を蹴飛ばされて吹っ飛んだ。
三度目の挑戦にあたる今回は、先手を取ると決めていた。
開始位置は毎回同じ、前後にひとりずつだ。後ろは見ない。前に突っ込めば、後ろの剣撃は届かないはずだ。
前に立ちはだかる騎士は、大振りの構えだ。その速さと重さは知っている。だが速さだけなら互角だ。知覚できないほどの差で先に動いた、刹那の間でも驚きを生じさせた、それだけの要因があれば、ライリーの剣が先に届く。
本当は木剣を叩きつけたかった。が、そんなことをしている間に背中を斬られる。ライリーは敵の腹を撫で斬るように刃を立てて、その脇を抜けた。
戦闘不能にできなかったのは悔しいが、とにかく包囲は抜けられた。振り向きざまに斬られるより、残りの時間走って逃げるのだ。
「残念だったな」
何が起こったのか分からなかった。背後にいたはずの敵が目の前に現れた、次の瞬間に強い衝撃を受けた。
違う。背後じゃない。前側の敵は斬られると分かった瞬間に、身体の向きをわずかに変えた。ライリーは前方に抜けたつもりが、想定よりも右に角度をつけて抜けたのだ。だから、背後じゃなくてほとんど右側にいた敵が、素速くライリーの前に回り込めた。
「…………っ!」
驚きから一拍遅れて、激痛が走る。左肩をやられた。骨が折れないギリギリの力で打たれている。
「惜しかったな」
惜しかった分の部分点が欲しい。今のは、他の騎士が相手なら十秒耐えられた。合格でいいはずだ。
どうしたって、ライリーの居残り決定は覆らない。
午前の訓練が終わると、合格した騎士が交代でライリー達不合格組の素振りの数を数えていく。のは別にいいのだが、不合格仲間のふたりに「おまえのせいで」と恨めしい顔をされる理由が分からない。
どう考えても、ライリーのせいではない。
「頑張れよ〜」
(ほっとけ)
「よっ新婚さん!」
(それ関係ねえ)
「ライリー」
「うるせえ!」
千本終わると同時に、ライリーは吼えた。
「……呼んだだけだろう」
「…………スミス中隊長。なんですか」
「いや、昨日うちのが家に招んでもらったらしいな。喜んでたよ、ありがとう」
ボロボロのライリーを見ても、スミスは平気で話を続けた。
「はあ」
剣を鞘に収めて、水場に向かうとスミスもついてきた。
汲んだ水を頭にかぶって、乾いた布で顔と頭を擦る。急がなければ昼食を食いっぱぐれるため、水分を布に吸わせながら歩いた。
「なんですか。なんかありました?」
何やら言いあぐねている様子のスミスは、ライリーの後ろについて食堂まで来た。なぜか「座ってろ」と言って、厨房で受け取ってきた食事をいそいそと並べてくれる。
嫌な予感しかしない。
「おまえも大変だな。今回は無しになるかと思ってたが、無事始まって良かった。まあ、みなが通ってきた道だからな。もうしばらくの辛抱だ」
「? なんの話ですか。……え、どうも。ありがとうございます?」
スミスの話を聞く体勢になったライリーの皿に、近くに座った騎士数人から肉が一切れずつ入れられていった。
「見舞い。頑張れよ新婚さん」
「喰って気合い入れていけ。負けるなよ」
「…………え、何? なんで?」
訳が分からないまま、ライリーは肉を頬張った。肉は貴重だ。くれると言うなら有難くもらう。
不思議そうな顔をするライリーを見て、スミスも不可解な顔になった。
「まさか知らないのか。騎士団伝統の鍛錬地獄」
「はあ?」
「はあっておまえ。知らずによく耐えてたな。明らかにおかしいシゴき方されてるだろう」
「……理由があるんですか?」
訊ねたライリーに、隣の席の騎士が身を寄せてきた。
「伝統なんだよ。結婚した騎士の特別訓練」
「は?」
「昔、続いたことがあったんだと。新婚の騎士の殉職が」
「当時はモテない騎士の亡霊の呪いとか言ってたらしいな」
「なんですか、それ」
古い城に怪談は付き物だが、あまりにひどい。
「まあ原因は不注意だろうよ。嫁のこと考えて隊務が疎かになってたんだろうって。当時の騎士団長が、結婚した騎士に特別訓練を課したのが始まりらしいぞ。それ以来、新婚騎士の死亡率が目に見えて下がったとか」
「殉職者も減って独身者のやっかみも発散できて一石二鳥ってことで、今まで伝統行事が続いてるってわけだ」
「結婚早々、大怪我する奴が増えたけどな!」
笑い事ではない。ただでさえ怪我の多い仕事なのに、このままでは殺されると思った瞬間が何度もあった。
「ふざっけんなよ……」
ライリーは食卓に突っ伏して呟いた。
「まあ伯爵家の坊やを簡単に死なすわけにはいかないからな。エベラルドも熱が入るわ」
分かっている。本来であれば配属されるはずのない伯爵家の次男が配下になって、エベラルドが扱いに手を焼いていることくらい、分かっている。
だから、これまで問題を起こさないよう隊務に励んできていたのだ。
「結婚してすぐのときはそんな空気じゃなかったから、エべラルドも配慮したんだろ」
「もう少し入団歴が長けりゃ、上手いこと手も抜けたんだろうけどな。新米が結婚したら、まあ地獄を味わう」
ライリーは、ふと違和感を覚えた。他人事だと思って楽しげに情報を開示してくるのは、なぜか別の隊所属の騎士ばかりだ。
何故、小隊の連中は今まで教えてくれなかったのだ。
ライリーが不審に思って食堂を見回すと、少し離れた席に座るエベラルドと目が合った。
「……隊長?」
ちっ。てなんだ。何故、懐から財布を取り出した。何故、隣の配下に硬貨を渡している!
「エべラルド小隊長⁉」
「あああ負けた! お坊ちゃんがこんなときに根性出すなよな」
「いやあ、俺はライリーは出来る子だと思ってたぞ」
「あの夫人と結婚するんだから、やっぱタダモンじゃねえって」
賭けてやがった! こいつら、仲間がいつ泣きを入れてくるか、賭けてやがった!
「ほら、喰ったら午後も鍛錬場だ。行くぞ」
「謝ったりとか、ないんですか⁉」
「なにに」
「配下で賭けをしてたこと! しかも隊長、俺が音を上げるほうに賭けてましたよね⁉」
「地獄の理由を知る前にベソかく、な。一日でへばるかと思ってたからな」
「日に日に内容が過激になっていくからな。エベラルドも意地になってたろ」
「そりゃそうだろ。初夜失敗、は予想通りだったのに、まさか結婚生活破綻で逆転されるとは思わないだろうが」
「どれだけシゴかれても、気づけばニヤニヤしてるからなあ」
「あんたら、どんだけ賭けてたんですかっ!」
しかも、尊敬する小隊長は全部悪いほうに賭けている。
「そういえばスミス隊長、こいつに用があったんじゃないですか?」
「昨日、何かありましたか?」
中隊長が、新米の給仕をしてまで話したいことを聞いていない。聞きたくない気もするが、そういうわけにもいかないだろう。
「……いや、また今度にしよう」
スミスの歯切れは悪い。
ライリーは気になったが、とりあえずは午後を乗り切ることを考えなくてはいけない。
「午後は対三人にするか」
「十五秒いっとく?」
「おまえらも同じことやるんだからな。自分にできないことは言うなよ。後が面倒くせえ」
いかにしてライリーを痛めつけるか、目の前で相談する上官達が恐ろしい。
「……その地獄っていつ終わるんですか」
「その面構えがまともになるまで、に決まってんだろ」
「主観かよ!」
「なんだ、割と元気だな。午後の居残り罰則、走り込みも追加だな」
新米騎士の受難は、まだまだ続く。