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診断結果

「患者は彼か。頭を打ったのかね」

「おそらく、いいえだ」

「ふむ。脈も呼吸も正常。彼の仕事は?」

「騎士だ。今朝まで野営訓練に行ってた」

「酒を飲んではないだろうな」

「ああ」

「歳は」

「十九だ」

 医者はライリーの体を調べ、追加でいくつか質問をした。そして結論を出す。

「寝てるだけだろう」

 彼はさらりと言って、診療道具を片付けにかかった。

 エべラルドは、さもなんでもないことのように診断結果を告げた医者の胸倉を掴んで、大声で恫喝した。

「そんなわけないだろう、しっかり診ろよヤブ医者!」

「何度診ても同じだ。寝てるだけなんだから、放っておけばそのうち起きる」

 激昂するエベラルドに、子爵夫人到着の報が告げられる。

 それとほぼ同時に、ハリエットが駆け込んできた。淑女らしからぬ駆け足で、スカート(コット)の裾が膝近くまでからげてしまっている。

 非常事態にも関わらず、その場に集まった騎士の目が釘付けになった。

 団長が手の動きだけで騎士達の視線を遮った。室内に滑り込み、ハリエットを奥に押しやって扉を閉める。

「ライリー! エベラルド様、ライリーは⁉」

「……おい、ヤブ医者。この方は、結婚したばかりのそいつの奥方だ。この方の前でも同じことが言えるのか?」

 医者がハリエットをちらりと見て、鼻で笑った。

「おお。小僧には勿体無い別嬪さんだ。残念ながら、旦那は寝てるだけだよ、奥さん」

 ハリエットは奥歯を噛み締めて、長椅子のライリーに近寄った。

 エベラルドが吼える。

「じゃあなんで起きないんだよ!」

 ライリーは周りの騒ぎにぴくりとも反応せず、目を閉じたままだった。

 震える手でその頬に触れて、ハリエットはライリーの胸に突っ伏した。頼りない肩が細かく揺れている。

 その光景に、エベラルドは胸を締めつけられる思いがした。自分でもらしくないと思うが、涙が溢れてくるのを止められない。

「……エベラルド様」

 ハリエットの声は震えていた。

 当然だ。夫が目を覚まさないのだ。

 その細い肩を支える資格は、エベラルドにはない。それはライリーだけに許された権利だ。

 幸せの絶頂期に殉職する騎士。あれは昔の話じゃなかったのか。

 ただの不注意。浮かれる騎士には特別訓練を課して、気を引き締めるよう促す。

 ライリーはよくやっていた。新婚の家庭に思いを馳せながらも、厳しい鍛錬にも音を上げず、訓練とはいえ大きな成果を上げた。

 呪いなんて、存在しない。そのはずじゃなかったのか?

 そんなものあるわけがないと、誰もが言っていた。

 だってそうだろう? ライリーが死ぬなんて道理は存在しない。

「寝ています」

 ハリエットが遠慮がちに、だがきっぱりと宣言した。

「……え?」

「大丈夫です。お医者様のおっしゃるとおりだと思います」

「……どういうことです」

「彼はいつもこんな風に眠っていますよ」

「………………」

 エベラルドは混乱した。とりあえず、頭が痛いという素振りで顔を手で覆い、こっそりと指で涙を拭う。

「こんな子どものうちから、こき使ってるんだろう。身体中傷だらけじゃないか。眠るというより、ほとんど気絶だ」

「子どもっても、もう十九だ。正規の騎士だぞ」

「赤子の世話をしたことはないか。小さい時分は、睡眠が足りなければ何をされても起きないだろう。あれと同じだ」

「……ガキか」

「だからそう言ってる。せめてこの足が治るまでは仕事を減らしてやれ。普段からこんな寝方をしているようじゃあ、そのうち本当に目を覚まさなくなるぞ」

「…………」

 エベラルドはようやく、ライリーの身に起きていることを理解した。彼は疲れて眠っている。それだけなのだ。

 医者に掴みかかってしまった。エベラルドは無言で初老の医者の襟元を整え、一歩下がって頭を下げた。

「失礼しました。名医の先生に、とんだご無礼を。診察に感謝します」

 ふん、と鼻を鳴らして、医者は去って行った。

「……問題ないならよかった。俺も隊務に戻ろう」

 アドルフが胸を撫で下ろしたところに、ハリエットの冷たい視線が突き刺さった。

「やっぱりいじめてらしたのですね」

「何をおっしゃる。むしろ俺のほうがホークラムに怪我をさせられました」

「あら。騎士団長ともあろうお方が新米騎士に遅れを取るなんて、ずいぶんと耄碌なさったのですね」

「小娘が」

「年配者には敬意を払わなくては。おひとりで帰れますか? 杖が必要でしたら、今度お贈りしますよ」

「結構です。どうぞ杖はご夫君に。ああ、彼にそんな口をきいて捨てられないようお気をつけて」

「あなたに言われたくありません」

「次にホークラムに会ったら、侯爵代理の昔話をしてやりましょうか」

 ハリエットが団長を睨みつけると、彼は高笑いして去って行った。

 扉の外に集まる騎士に、もう大丈夫だ、隊務に戻れと解散を促す団長の声が聞こえる。

 残されたエベラルドは、武人の誇りを掻き集めて無表情を保っていた。

「子爵夫人。ご主人には、今日まで特別訓練を課していました。その加減を間違ってしまいました、私の責任です。申し訳ありません」

 ハリエットは小首を傾げて微笑んだ。ライリーが夢中になるのも無理はない、可憐な仕草だった。

 先ほどの団長との遣り取りは白昼夢だったか。

「いいえ。夫は騎士の仕事に誇りを持っていますもの。エベラルド様が謝る必要はありません。先ほどのことでしたら、ただのわたしの私怨です。どうぞお忘れになってください」

 エベラルドは気を取り直して、ライリーを見下ろした。

 眠っているだけだと言われてみると、確かに寝息は安らかで、その寝顔は初めて彼に出会った十五の頃と変わらず幼い。

 この少年のような男が、屈強な騎士集団を指揮して、上官の奇襲を退けたのだ。成長著しいのも当然なのかもしれない。彼はまだ十九歳、伸びしろしかない青年なのだ。

「仮眠室に運んでやりましょう」

 エベラルドがライリーを抱えると、ハリエットもついて来た。

「側についていてもよろしいですか?」

「もちろん。……ああ、護衛を付けましょう。あなたに何かあれば、ライリーは今度こそ倒れる」

「いいえ、そんな。騎士団の本拠地で、何かがあるとは思えません」

「騎士の巣窟だからこそです」

 ハリエットは曖昧に微笑むことで、エベラルドの申し出を受けいれた。

「……アンナ」

 ハリエットは慎ましさを失わない程度の速足で現れた侍女に声をかけた。

 主の顔を見て、アンナは安堵の表情で足を緩めた。

「ハリエット様。旦那様は」

「このとおり、眠っているだけよ」

「……またですか」

「ええ、またよ」

 思い出し笑いをする主従を見るが、エベラルドにはなんのことか分からない。

 もちろんハリエットは夫の名誉のために、彼が全裸で熟睡していた話は家の中だけに留めておいている。

 エベラルドは仮眠室の粗末な寝台にライリーを降ろした。

 一服盛られたわけでもないのに、よくここまで前後不覚になれるものだ。ほとんど気絶しているようなもの、か。

「アンナ、ウィルに晩餐会は欠席すると伝えてきてちょうだい」

「それには及びません。手紙を書いてくだされば、従者を遣いに出します」

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