野営訓練の後始末
「…………で?」
ヒューズ副団長は、その視線で直立不動の配下を震え上がらせた。
「指揮を執ったのは誰だ」
十四人の騎士は、同時にライリーを指差した。
「「「ライリーです」」」
「えっ⁉」
ライリーは驚いて声を上げた。
「おまえら恥ずかしくないのか。そいつは新米だろう」
「いやあ。熊が相手なら、狩猟隊長が適任だろうと思って」
「つい従っちまいました」
団長室で二列に並ぶのは、しんがりを務めて生き残った十五人の騎士と従者ひとりだ。アルはライリーに寄り添って、その陰に隠れるようにして立っている。
ライリーは脇に嫌な汗をかいた。恐ろしくて団長の顔が見れない。
(俺は狩猟のつもりなんてなかった!)
誰か熊は否定してくれ。せめて副団長、そこは叱りつけるべきだ。
「…………発案者は」
「「「ライリーです」」」
「っ!」
硬直したライリーに、アルが慌ててしがみつく。
「ライリー・ホークラム」
「はっっ」
「おまえ、自分がどこの出か、自覚はあるのか」
「はっ。ティンバートンですっ」
「…………地名を訊いているんじゃない。伯爵家の子息が、なんで落とし穴なんか掘ろうと思ったんだよ……」
今回の野営訓練、絶対に妨害が入ります。命令遂行できないように邪魔しに来ますよ。とにかく獲物を守るのが最優先です。
言い出したのはライリーだ。
罠を仕掛けよう。
その意見は誰からともなく出てきた。
奴らはきっと、闇に紛れて獲物を奪いに来る。獲物があると見せかけた場所で、待ち伏せる係が必要だ。
襲撃を待たずに、獲物だけ先に持ち帰るか?
駄目だ。こちらに向かう襲撃者と鉢合わせしたら、そこでおしまいだ。
派手に暴れる襲撃者が来たとしたら、きっとそれは陽動だろう。
陽動に乗った振りをして、小分けにした獲物を守る騎士が十人、全速力で王宮に走る。伝令の要領で、王都までの道々に等間隔で獲物運搬の交代要員を配置しよう。とにかく最速で、指定された獲物を届けるのだ。
隊長達、絶対に楽しんでやがるぜ。
ライリーと同じ時期に、郷里で結婚式を挙げた騎士が苦々しげに呟いた。
何が殉職を防ぐための特別訓練だ。戦ごっこするガキじゃねえんだから。
その呟きに、ライリーはこう返した。
こっちも本気で戦ごっこ、やってやりますか。
落とし穴、掘りましょう。子どもの頃よくやってたんですけど。あれ、けっこう馬鹿にならないですよ。
子どもの悪戯に嵌まる上官を想像すると、胸がすく思いがした。その想像は、男達の心をひとつにした。
命令遂行のための狩りに精を出すライリー達とは別の場所で、要所要所に穴を掘る班をつくった。ちなみに道具は、一番近くの農村から借りてきた物だ。
ライリーが騎士団長を待ち構えた場所には、そうと知らなければ気づけないようにつけた、落とし穴の印があったのだ。
「ゆ、有効だと思いましたので。団長がいらっしゃるとは、思ってもみませんでした」
だから断じて、騎士団長を落とすつもりで掘ったわけではない。
ライリーを助けるために戻ってきた騎馬集団に驚いて、たたらを踏んだのはわざとじゃない。途中で動きを変えた配下の脳天に木剣を叩き込むのを、すんでのところで止めてくれた団長に体当たりをしたときは、ただただ必死だっただけだ。
ライリーの全体重をかけた体当たりに、団長は半歩分しか動じなかった。たったの半歩だが、そこには深い穴があった。
団長は落ちながらも、最後まで敵を倒すことを諦めなかった。即ち、ライリーの腕を掴んで道連れにした。
体力勝負の職務を担う騎士が本気で掘った穴は、ライリーが子どもの頃に作った落とし穴とは比べ物にならない深さがあった。
下敷きになった団長は右の手首を傷め、ライリーは左足首を捻った。
「もういいだろう。こいつらは命令を遂行しようとしただけだ」
副団長の説教を制止したのは、意外なことにアドルフだった。
彼は助けに戻った騎士に、穴の底からライリーを投げ渡した。
王宮に生還したら、命令完遂だ! そいつを連れ帰ってやれ!
愉快そうに大笑いする団長を、ライリーはそのとき初めて見た。
(やっぱりかっこいい)
椅子に座って副官を諌める団長に怒りの色はなく、思い出し笑いに口許が歪んでいた。
「俺の怪我は俺が甘かったせいだ。まさか、落とし穴があるとは思わなかったんだ。こいつらの勝ちだ」
「あんたがよくても、俺がよかねえんだよ……」
ヒューズは眉間を押さえて唸った。
「ほら、解散だ。おまえらはさっさと帰って休めよ」
「「「はっ」」」
騎士団長の号令に、騎士達はすぐさま扉に向かった。
ライリーは左脇に入って杖になってくれるアルの肩に手を置いて、頭を下げてから最後尾についた。
「ティンバー……じゃないな、ホークラムだったか。足が治るまでは無理をするなよ」
「はい。…………あの、団長。お聞きしたいことが」
「なんだ」
「……妻と、過去に何かありましたか」
祝賀会でのふたりの遣り取りが、ずっとライリーの頭の隅に引っかかっていた。
アドルフは、一瞬言葉に詰まったように見えた。
「……なんの心配だ。俺の歳を考えろ」
何か、はあったのだなとライリーは思った。少なくともアドルフは、ハリエットの本当の年齢を知る程度には彼女と親しくしていた。
侯爵代理は三十歳前後、が世間の噂だった。三十半ばのアドルフとは釣り合いが取れる年齢だ。
二十三歳という実年齢を知らなければ、今の言葉は出てこない。
四つの歳の差など、大したものではない。そう思っていたが、十九のライリーにとって、ハリエットが両親を亡くした六年前はずいぶん昔の話に感じる。
ハリエットも、当然アドルフも、その頃にはすでに大人だった。
「いえ。……失礼します」
団長室を出ると、そこで待っていた騎士のひとりがライリーに肩を貸した。
「ありがとう。アル、このままもう少しついておいで」
「はい」
「エベラルドのとこでいいんだろう、ライリー」
「ああ。頼む」
野営訓練最後の夜は眠れなかった。
夜通し戦い、馬で駆け、騎士団の本拠地まで帰って来た。後始末を終えたところで団長室に呼び出され、やっとすべてが終わった。
屈強な騎士達は疲れ切っていた。
なのに、みなの顔は笑っていた。
「やったな」
「おお」
やり切ってやった。隊長達の奇襲を掻い潜って帰還した。
今まで神妙な顔で説教を受けていたが、もう限界だ。
笑いが止まらない。
「見たかよ、団長が落ちるとこ!」
「ライリー、全部おまえの手柄だ。団長に怪我させるなんて、そうそうできるもんじゃない」
「末代までの自慢になるぜ」
「助けに戻ってもらって助かりました。ありがとうございました」
ライリーは任務遂行に必要な犠牲者の数に入れられると思っていた。
豪快な騎士団長の温情もあって、仲間の馬に運ばれたライリーは生還者の仲間になることができた。
「ライリーばっかにいい格好させられないからな」
「いや、おまえは団長が落ちるとこ見たかっただけだろ」
「そりゃみんな同じだ。あんな珍事、もう一生ないぞ」
「ほんとは今から飲みたいけど、もう無理だな。夜には起きるだろうから、祝杯をあげようぜ」
エベラルドの隊長室の手前で解散し、みなそれぞれ官舎や自宅に帰っていった。
ライリーは、最後まで残ったアルを見下ろした。
その黒髪に手を置いて、ライリーは訊ねた。
「従者を続けるのは辛いだろう。辞める気はないのか?」
「……他に、行くところがありませんから」
小さな少年は俯いて、小声で答えた。
「そうか。なあ、アル。俺の家に来ないか?」
「え?」
「おまえは、騎士団に入るのが早すぎたんだ。俺の従者になって、もう少し大きくなってから騎士を目指せばいい。どうだ?」
「えっと……」
「すぐじゃなくてもいいから、考えておけよ。親がなんと言ってるか知らないが、必要なら話をしに行ってやるから」
「なんで僕に?」
「おまえが優秀だからだ。このまま辞めてしまうのは勿体無いと思った。あと」
「あと?」
「俺の家は今、すごく困ってるんだ。アルがうちに来てくれたら、とても助かる」
アルは、目を見開いてライリーを見上げた。その顔を見下ろして、ライリーはもう一度彼の頭をくしゃくしゃにした。
「じゃあな、アル。しっかり寝ろよ」




