勇気か蛮勇か
ライリーはうっかり騎士団長の間合いに入らないよう、慎重に距離を目測した。
体格に恵まれた騎士達の集団にあっても、群を抜いて背が高いアドルフの間合いは広い。長い腕で操る長剣は、思いもよらないところまで伸びてくるのだ。
今の得物は木剣だが、彼の手にあれば恐ろしい凶器になる。
三人掛かりでも、このひとには勝てない。そんなことは分かっている。
倒す必要はない。みなが王宮に辿り着けるだけの、時間を稼げ。
他の隊長格に向かった騎士は順調に押しているようだ。向こうの三人が片付いたら、この場を放棄して全力で逃げよう。
その怯懦による作戦が見え透いていたのだろうか。篝火に照らされた団長の顔が、にやりと笑みの形に歪んだ。
「! ‼」
その巨体からは想像もつかない速さで、ライリーに向かって剣撃が飛んできた。
反射的に後ろに跳んだライリーは、怯える間もなくすぐさま攻撃に転じた。
アドルフはライリーが避けるのを見届ける前に、後ろに迫る剣を振り払っていた。その肩に渾身の一撃――、
当たらない。ならば次の手だ。とにかく手数を。
大丈夫、一撃目は避けられた。反応できている。慎重に、踏み込み過ぎず、中途半端な距離を空けない。最悪なのは、自分の攻撃は届かない距離なのに、アドルフの間合い内に入ること。
対三人の訓練は、嫌と言うほどやらされた。思い出せ。手練れの騎士はどう動いてライリーを翻弄した。
一瞬たりとぶれることのない剣筋を見ていると、あしらわれているような気分になってくる。
ような、で合っているのか。三人の騎士に囲まれて、あしらう余裕があるのだろうか。
(このひと、剣筋に癖がない)
熊のような体格から繰り出される、お手本のように正確な切先の軌跡を、ライリーは驚愕の目で見送った。どこにも隙が見当たらない。
対複数戦の場合はこうやって立ち回るのだという、模範演技のようだった。
例え訓練前に見せられていたとしても、今のライリーには真似できる気がしないが。
「もういいだろう! ずらかるぞ!」
三人の敵は倒せたようだ。
ライリーが意識をずらした一瞬、頬に鋭い痛みが走った。避けたはずの切先が届いたのだ。
間合いを外れたついでに、もう一歩後退る。
ライリーは強く湧き上がった恐怖を誤魔化すために、腹の底から声を出した。
「弓班援護!!」
アドルフと他の騎士の間に、一斉に矢が放たれる。
ライリー達の後方から放たれた矢は味方を危険に晒すことなく、アドルフの前の地面に刺さった。発射点が高いのだ。木に登っているのか。
逃げる余裕があるだろうかと考えたライリーの目の前で、団長は矢を払うついでとばかりに、右手の騎士を倒した。
続けて二射目、同じ高さから。
生き残った騎士が全員、団長から距離を取れたところで、三射目。
四射目は人の高さからだった。
さすがだ。彼らは短い時間で冷静さを取り戻し、二手に別れて退却時機を見計らっていたのだ。
「全軍撤退! 弓班任せたぞ!」
ライリー達は踵を返して、全力で走った。敵の攻撃は、弓班が防いでくれる。味方を信じて、ただ走るのだ。
単純な撤退方法だ。何度も演習を繰り返している。打ち合わせなどしなくても、全員が適切な行動を取れた。
やれる。俺たちの勝ちだ。
弓班が待機させておいてくれた馬に飛び乗る。
馬が全速力で駆けられる時間はそう長くない。持久力を計算して自分で走るのと変わらない速度で走らせていると、前の馬に追いついた。
手綱を握る騎士の背中に、小さな従者がしがみついている。
「なんで従者が残ってるんだ! 先に逃がしたはずだろう!」
「逃げ遅れたんだと! 仕方ないから弓班に組み込んで、木に登らせた」
まさかこんなときにまで、他の従者の妨害にでも遭ったのだろうか。
「相乗りだと追い付かれるぞ! アル、馬には乗れるな? この馬を貸してやるからこっちに来い!」
「ひとりで残る気か⁉」
「団長のご指名だ。仕方ないだろう」
騎馬の扱いで、騎士の右に出る者はない。
ライリーは馬を並走させると、右手を伸ばしてアルを受け取った。驚きに硬直する少年の背から矢筒を抜き取り、鞍に座らせて手綱を渡す。
「後ろは気にせず、真っ直ぐ走るんだ。できるな?」
アルを投げるようにして寄越した騎士が、そのまま並走して話しかけてくる。
「ライリー! 麗しの奥方に言い遺すことはあるか?」
「ああ? 晩餐会が楽しみです、以外に言うことはない!」
「よし分かった! 未亡人のことは俺に任せとけ!」
ライリーはちょうどいい木の枝を利用して馬から飛び降りると、大声で叫んだ。
「大きなお世話だ! 必ず生きて帰ります!」
続けて妻の名を口走りかけて、慌てて口を閉じた。
空気に流され過ぎだ。後で絶対後悔する。
ここは待ち伏せに最適の場所だ。ここで戦えるのは、ライリー側の幸運となる。
ここでなら、僅かではあるが勝機がある。
ライリーは矢をつがえて敵を待ち構えた。
最後まで立っていたのは、アドルフひとりだった。他にも起き上がった襲撃者役がいたらお手上げだが、これが実戦であれば死んでいるのだ。まさか復活するような理不尽はしないだろう。
アドルフが相手なら、木の陰に隠れて狙うようなことをしたって無駄だ。遮蔽物が多すぎて、長い距離を確保できない。近くから狙えば、すぐに場所を特定されて捕らえられる。
穂先を潰していない矢を本気で当てにいくわけにはいかない。弓はただの威嚇と馬の足止めだ。
ならば、最初から正面で待ち構えるべきだ。
キャストリカ王国の建国以来最強と謳われる王立騎士団団長は、すぐに現れた。
彼は弓を構えるライリーを前にして、馬脚を止めた。
大事な馬を、訓練で傷つけるわけにはいかない。ライリーが実際に弓を射ることはない。
人に致命傷を与えてはいけない。馬を傷つけてはいけない。何が実戦を模した訓練だ。何が新婚の騎士の特別訓練だ。
いい加減、ライリーも腹に据えかねてきていたところだ。
そんなにお遊びがしたいなら、とことんやってやる。
追い詰められた下っ端の意地を見るがいい。
「しんがりはおまえだけか。勝てると思っているのか」
「……団長もおひとりですので」
勝負は一瞬だ。失敗すれば、あとは投了するしかない。
「戦でそんなことをすれば、待つのは死のみだぞ」
「騎士団では、勇気と武勇で以って王に仕えろと教わりました」
弓を下ろしたライリーは訓練用の木剣を構え、己と敵の立ち位置を慎重に確認した。
「はき違えるな。おまえのはただの蛮勇だ」
柄を握る手にほんの少し力をいれた、それだけで即座に反応して、団長がこちらに向かって踏み込んだ。
そのとき、ライリーの目に騎馬の集団が映った。




