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従者の少年

 ライリー達の天幕は、行軍一日目の基本陣形を組んだ野営地の、周囲を警戒する外側に配置されている。

 うっかり欠伸でもしようものなら、味方がいるはずの後方から、上官が放つ矢が飛んできてもおかしくない。気を抜くことなく周囲の様子に気を配った。

 訓練なので当たり前だが、何事も起こらないまま交代の刻限になり、ライリーは自分の天幕に向かった。

 ここは森の中だ。真夜中でも静寂が広がることはない。

 脅威になる大型動物が近くにいないことは確認済みだ。騎士団以外で動いているのは、虫か夜行性の小動物だけのはずだ。はず、だが。

 あれはなんだ。

 ライリーは闇の中で目を凝らした。最初は岩か何かかと思った影が、今確かに動いた。槍を構えて静かに近づく。野生動物の存在を見逃していたか。小型ではないが、脅威になるほどの大きさではない。眠っているのか。すぐそこに人間の集団がいるのに? 一撃で仕留めれば、騒いで皆を起こすこともないか。

 構えた槍を振り下ろす前に、ライリーは止めていた息を吐いた。

「……なにしてるんだ、こんなところで」

「ひっ」

 従者の少年が、木の下で丸まってうとうとしていたところだった。黒い髪に見覚えがある。

「ああ、なんだあのときの」

 従者仲間に追い立てられていた、小さな少年だ。

「こんなとこまで来て虐められてるのか。元気な奴らだな」

 勝手な行動を咎めるべき場面なのだろうが、怯える様子が哀れを誘った。幼い子にするように両手で起こしてやると、少年は上目遣いで後退った。

「す、すみません。天幕に戻りますっ」

「待て」

 ライリーは戻る気がないことが明らかな方向に踵を返す少年の襟首を掴んだ。そのまま小脇に抱えて自分の天幕まで連れていく。

「実戦じゃなくても死ぬぞ。今日はここで寝ていいから、明日の朝黙って戻れ」

 天幕の中に押しやろうとするが、思いがけない強い抵抗にあった。

「……やだぁっはなせっ」

「おい」

 力ずくで引き倒そうとして気づく。この少年は、乱暴な従者仲間から逃げてきたんじゃない。

「分かった分かった。暴れるな。泣くなよ。アル、って言ったか? 俺はさっさと寝たいんだ。この天幕の中は同じように疲れて寝てる奴らばっかだ。おまえは隅っこで小さくなって静かに寝る。できるな?」

 涙目のまま、アルはライリーを見上げた。

 これ以上世話を焼く気はない。ライリーはさっさと天幕に入って、一番手前に横になった。恐る恐る入ってきた少年に、隣の空間を指で示す。

 見つけてしまった以上、放っておくわけにいかなかった。面倒事を拾ってしまった。とりあえず連れて来たが、さて明日からはどうするか。

 訓練は四日間。やっと一日目が終わるところだ。

 ライリーは考えがまとまる前に眠りについた。

 その様子を見て、小さな従者も鼻をすすりながら丸まって目を閉じた。


 翌朝起きると、天幕内にアルはいなかった。言った通り、夜明け前に自分の天幕に戻ったのだろう。ばれて叱られていなければいいが、そこまではライリーの感知するところではない。

 粗末な寝具を片付けていると、昨夜ライリーと交代で見張りに立った騎士が、小声で話しかけてくる。

「昨夜おまえに張りついて寝てた奴はなんだったんだ?」

 くっついていたのか。保護されたことを理解したわけた。

「昨夜誰かに引き摺り込まれそうになって逃げてたみたいで。そこで泣いてたから拾っといた」

 詳しくは聞いていないし聞く気もなかったが、多分そういうことだったのだろう。

 それを利用してのし上がるくらいの気概のある者を相手にするなら勝手にすればいいが、まだ自分のされていることの意味が分からないような、小さい子どもを脅したのかと思うと気分が悪い。

「ああ。小さい子だったな。よく無事だったもんだ」

 それはライリーも思った。

 思えば初めて見たときも、追われて逃げてはいたものの殴られたような跡はなかった。足が速くてうっかり捕まえ損ねたせいで転がしてしまったし、その際も受け身を取って無傷でいた。

 昨夜も涙と洟水でひどい顔だったが、衣服に乱れはなかった。すぐに逃げてこられたのだろう。

 あの小さな身体で従者の試験に合格した理由を垣間見た気がした。

 そう考えてみると、厳戒態勢の天幕の近くで誰にも気づかれず寝ていたのも不思議だ。今朝も隣のライリーを起こすことなく出て行った。

 気配を殺すのが上手いのだろう。

 狩りに活かさない手はない。

 ライリーは出発前に、狩猟隊長としてアルの所属の小隊長に話をつけに行った。

 隊長にも思うところがあったのか、ライリーの要求はあっさりと認められた。

 次の野営地に到着すると、昨日の円形とは違い、楕円形に陣を張る。今夜は進行方向の警戒を強める形で、夜の見張り役が多くなる。先端に張った天幕で休息をとる騎士は、座ったまま寝ることが決まっている。

 ライリーは狩猟隊長であることと、昨夜が警戒役だったため、今夜は内側で眠ることができる。

 ライリーは自分達の天幕が張り終わったのを確認して、アルを探した。

 彼は若手騎士に何やら指導を受けているところだった。ライリーが声をかけると、ぱっと顔が明るくなる。

 泣いているところしか見たことがなかったから、こんな顔もできるのかと、安堵に似た感情が湧き上がった。

「それが終わったら、アルを借りていいか? そっちの隊長に話は通してある。こいつも狩りに連れて行く」

「はあああ⁉」

 同年代の騎士の思いもよらない反発に、ライリーは半身を引いた。

「……なんだよ」

「おまえうちの大事な料理番をそんなことに使うなよ!」

 そんなこと。むしろ今回の野営訓練の裏の目的なのだが。

「……アレか。最近そっちの食事が美味いの、おまえが作ってたのか」

「はい。……あの、狩りが終わってから調理をしては駄目ですか?」

 調理は食糧調達の後なのだから、それで問題はないはずだ。アル本人からの提案に、彼を抱え込むようにして騒いだ騎士は、あっさり納得した。

「それなら問題ないな。行って来い」

「いや、今日はおまえも狩猟班だろ。来いよ」

 おっとそうだったと準備を始める騎士を呆れた顔で見守り、ライリーは隣に立ったアルに小声で話しかけた。

「今朝はバレなかったか」

「はい。ありがとうございました」

 頭を撫でると、嬉しそうに笑顔を見せた。

「アルは気配を消すのが上手いみたいだからな。今日は重要な仕事を任せる。狩りをしたことはあるか?」

「いいえ。豚小屋や鶏小屋から逃げた家畜を追いかけるくらいです」

「それはいいな。その家畜を締めたことは?」

「あります。実家では僕の仕事でした」

「ますますいい。弓も使えると聞いたぞ。頼りにしてるからな」

 アルは待ち伏せ係だ。気配を殺して森に潜み、勢子役の騎士達が追い立てた獲物を仕留めるのだ。

 ライリーは馬にアルを同乗させ、地形を見てまわりながら、追い込み場所を決めた。草叢に彼を潜ませて、他の待ち伏せ役もそれぞれ配置した。

「いいか、他の連中の場所をちゃんと覚えとけ。間違って人を射つなよ。自信がないときは射たなくていい」

「はい」

 指示のひとつひとつを飲み込むように聞いて、理解した顔で頷く。賢い子の顔だ。

 もったいないな。ライリーは思った。騎士に向いているように思うが、入団が早すぎた。痛い目を見る前に辞めたほうがいいと言うつもりだったが、素質のある子どもが、くだらない理由で将来を潰されてしまうのが惜しい。

 料理番としてのアルを大事にしている騎士には、こっそり耳打ちしておいた。今後も美味い飯が食べたいなら、夜だけでも気にかけてやれよ。

 それだけで察したようだった。特定の騎士の名を挙げようとしたが、聞かずにおいた。

 所属の違う従者にこれ以上肩入れするのは問題になる。ここらで手を引こう。

 その日もライリーは総指揮官として、狩りに慣れない騎士達の中心で馬を駆り、確実に目標地点まで獲物を追い立てた。

 雄のアカシカを追い詰めた。これ以上は望めない獲物だ。

 ライリーは獲物を追い詰めた地点で、アルを視界の端に捉えた。彼は素速い動きで野兎に飛び付くところだった。躊躇いのない小刀の一振りで、無駄に苦しめることなく小さな兎を絶命させる。

 最後まで見届けることはできなかった。ライリーはアカシカに意識を戻した。既に一本の矢が刺さっているが、致命傷にはなり得ない。むしろ手負いとなったことで、興奮してしまっている。立派な体格の成体だ。暴れられたら人間などひとたまりもない。

 囲んだことによって、下手に矢を射れば同士討ちの可能性も出てきた。下手な動きをして逃げ遅れたら、蹴り殺されることもある。

 ライリーはアカシカの動きを注視して、弓を構えた。飛び道具はあまり得意ではないが、この距離なら当てられる。獲物の動きに合わせて、確実に急所を狙うのだ。

 アルが動くのが見えた。

 駄目だ。距離が近すぎる。そこから射つ気か。

 急に近づいた小さな少年の方向に獲物が身体の向きを変える、その目に矢が刺さる。

 間を空けず、ライリーは落ち着いて弓を引いた。矢はアカシカの心臓目掛けて真っ直ぐ飛んだ。

 騎士達が歓喜に沸いた。声を抑えながらも興奮は抑えられず、アカシカに走り寄った。

「アル!」

 獲物がその場に倒れるのを目視してから、喜ぶ間もなくライリーは叫んだ。

 あんな危ないことをするとは思わなかった。賢い子だと思ったのに。判断を誤ったか。

 まだ従騎士ですらない子どもを死なせてしまうところだった。そんなことになれば、自分の責任だ。

 叱責の気配を感じて、アルが怯えた顔になる。

「怒るなよ。こいつの手柄だろ」

「分かってる」

 ライリーはアルに怪我がないか全身を見回し、苦い顔で問うた。

「なんで、あんな危ないことをした」

「……申し訳ありません。あいつの意識がこっちに向けば、ライリー様が心臓を狙いやすいかと思って。他の方の矢に当たる位置でもないから、大丈夫だと」

「…………ちゃんと見てから動いたと?」

 気が逸ったわけではなく、冷静に判断した上での行動だったと言うのか。初めての狩りで?

 不安気に見上げてくるアルの頭を撫でて、ライリーはひとつのことを腹に決めた。

「そうか。よくやったな」

 二日目の狩りの成果も上々だ。

 ライリーはその夜は危険の少ない内側の天幕で休息を取り、何事もなく三日目を迎えた。


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