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妻の戦場

 ライリーは建国記念祝賀会の会場に入って、己の考えの浅さを思い知った。

 会場には、すでに多くの貴族が集まってきていた。

 高価な蝋燭を使った燭台と硝子の反射を利用して作られた灯りは、月齢の低い夜とは思えない明るさを創り出していた。着飾った男女が気取って挨拶する、非日常的な優雅な空間。

 足を一歩踏み入れた瞬間、ライリーの心に疲労が押し寄せた。場違い感が甚しい。もう既に帰りたい。

 怯む夫を励ますように、ハリエットは彼の左肘の内側に掴まる手に力を込めた。ライリーは応えて、ハリエットの右手の上に自身の右手を重ねた。なんとか頑張ります。

 入口から三歩進むまでは、何事もなく通過できたのだ。

 受付で王家の紋が入った招待状を提示し、混み合う場所では周りに会釈し、譲り合って前へ進んだ。

 ひとりが別人のように装ったハリエットに気づくと、噂は波のように広がった。

 侯爵夫人。結婚した。子爵。身分違い。従者のような夫。

 途切れ途切れ、耳に入ってくる囁き声は、あまり気分の良いものではなかった。

 好意的な視線もあった。ハリエットに憧れる令嬢はたくさんいる。

 瞬く間にできた人だかりに、ホークラム子爵夫妻は囲まれて身動きが取れなくなった。

「ハリエット様、ご結婚されたのですね。おめでとうございます」

「ええ。ありがとうございます」

「ご主人は騎士団の方ですのね。こんな素敵な方、お会いしたことがあったかしら?」

「夫は普段隊務に就いておりますから。わたくし、騎士の方と結婚するのが夢でしたの」

「まあ素敵!」

 ライリーは顔に貼り付けた笑みが剥がれ落ちないよう、表情筋を全力で動員した。

 隣を見ると、ハリエットは優雅な仕草でライリーに寄り添って笑っていた。彼女のその立ち姿は、ぴかぴかに磨いた甲冑で全身を鎧っているように見えた。

 なるほど。ここがハリエットの戦場か。

 彼女は百戦錬磨の司令官だ。一兵卒のライリーは、彼女の指示通り、時には無言のままその意を汲んで動けばいいのだ。

 従者のような夫、で間違っていない。元より望むところだ。

 入れ替わり立ち替わり新婚の子爵夫妻に祝福の言葉を伝える人々に応えながら、ふたりは少しずつ奥へ進んで行った。

 伯爵以上の貴族は、今通ってきたところとは反対の入口から入場する。ふたりの親族に挨拶するには、奥に進まなくてはならない。

 別口から入場する貴族同士が交流するには、それぞれが中央付近まで進む必要がある。ハリエットの叔母夫妻は王族のそばが定位置だし、今年初参加のロブフォード侯爵もその近くにいるはずだ。

ライリーの両親は、もっとこちら寄りだろうか。ぎりぎり上流、そこそこ、そこまで、な家柄だ。

 ホークラムはティンバートン伯爵の属領でしかなかった。それを継いだライリーを当主とする子爵家は、興したばかりの新参の家だ。

 大人しく隅に立っていたいのが彼の本音だが、周りが放っておいてくれない。ならば開き直って、出身家のある『上』に向かってしまうほうが心安いというものだ。 

 元が『あちら』の出であるふたりを面と向かって諫める者はいない。

 ライリーの両親と兄は、予想通りの場所にいた。息子夫婦に気づくと、すぐに近づいて来る。

「ライリー、おまえまた不精してそんな格好で……」

 久しぶりに会った、一言目に小言。安定の父親だ。

「別に問題はないでしょう」

「まあお義父さま。ライリー様はこの制服がとってもお似合いですから、わたしがいいのではと申しあげましたの」

「そうねえ。まあどのみち、ハリエット様の添え物でしかないのだから、構わないのではなくて?」

 結婚式以来、顔を合わせていない母親の言葉には棘がある。

 伯爵夫人が手を差し出してくるのは、きちんと挨拶をしろという意味か。ライリーの母は息子に貴婦人への礼を求めたことはないが、分家したことにより、けじめをつけろと言いたいのだろう。

 ライリーが母の手を取って口を近づけようとすると、掌に鋭い痛みが走った。

(そういうことか!)

 つねられたのだ。人前で耳を引っ張られなかっただけ御の字だと、思わなくてはならない。結婚式の翌日に家出したことに対する説教を、まだ受けていなかった。説教の代わりに、ひとつねりで済ませてやるというわけだ。

 ハリエットは顔を顰めるライリーを横目で笑いながら、義父と義兄の挨拶を順番に受けていた。

「まあ逃げずにちゃんと出席しただけ、偉いじゃないか。なあ、ライリー」

「兄上の及第点は低くて助かります」

 妻の前で両親と兄に順番に貶されて、ライリーは不貞腐れるしかなかった。

 妙に親しげな母と妻をライリーが眺めている間に、楽団による演奏が始まった。キャストリカ国王夫妻が登場する。会場のすべての人間が最敬礼で迎え、そのお言葉を賜った。乾杯の音頭で、手にした葡萄酒を飲み干す。

 ライリーには信じられないことだが、今やっと祝賀会が始まったのだ。

 先にダンスを楽しむのは、王族とその近くの上流貴族だ。キャストリカのある地方では輪になって踊るキャロラが主流で、男女の組み合わせができたら輪に加わってステップを踏む。

 ライリー達もほどほどの時機を見計らって、夫婦で手を取り合って参加した。

「あまり夜会には出られない割に、ダンスがお上手ですよね」

 ハリエットが不思議そうにライリーを見上げた。

「会場警備をしているときにご婦人に誘われて困らないようにと、騎士団で講習会があるんです」

「あら、知らなかったわ。ライリーも誘われてたのですか?」

 拗ねたように尖らせた口に気づかない振りをして、ライリーは澄まして答えた。

「ええ、まあ」

 ライリーは貴人と接する機会の多い会場近くを担当することが多かった。酒に酔った夫人の戯れで、ダンスのお相手を務めることも珍しくない。同じ歳頃の、顔見知りの令嬢と踊った過去もあることは、ハリエットには秘密だ。

「私も誘えばよかったわ」

 ハリエットは呟くが、それは無理だっただろう。一度でもそんなことがあれば、警備の担当場所を巡って、騎士団内で乱闘が起きる。まだ正式な騎士ですらなく、子ども扱いされていた昨年のライリーであれば、畏れて辞退したはずだ。

 楽しげに踊る子爵夫妻に、周囲から好意的な視線が集まった。

 歳上の妻に従う従者のような夫。奇異の目で見ていた人々の視線も変わった。

 まあ、侯爵代理も夫の前ではあんな可愛らしいお顔をされるのね。ご主人は子爵? あの制服、騎士団の方なのね。背が高くて爽やかだわ。あんな方いらしたかしら。とってもお似合いじゃない。仲がよろしいのね。凛々しいお顔の騎士様が、奥方を見る目はとっても優しそう。

 思い思いに囁かれる言葉は、夫妻を味方するものが優勢だ。この場でふたりに悪意を持って近づくことは難しいだろう。

 職業柄か、悪意に敏感になってしまっていたライリーは、空気の変化に少し肩の力を抜いた。気負い過ぎていたことに気づいた。

 この空気を作ったのは、きっとハリエットだ。意図的にライリーの意識を周囲から逸らし、仲の良さを見せつけた。

 その後はウィルフレッドがリィンドール公爵夫妻と共に合流してきて、結婚式の話になった。出奔した話は広まっていないようだと胸を撫で下ろしたライリーに、去り際の公爵が「若気の至りということで、一度は目を瞑ろう」と囁いていった。彼は青くなって、笑う公爵を敬礼で見送った。

「姉上、そのドレスさすがですね」

 ウィルフレッドの言葉に、ライリーは首を傾げた。

 褒め言葉にしては妙な言葉選びだ。

「別にいいでしょう。今日はそのつもりで来たんだもの」

 嫌そうなハリエットの言葉に、ライリーはますます怪訝な顔になった。そのつもりとはなんのことだ。

「ライリー様。姪が勝手にしたことなのね。ごめんなさい」

 リィンドール公爵夫人が、笑いながら解答をくれた。

「新婚の夫婦が同じ色の衣装を着るのはね、夫の色に染められました、という意味なの。ハティは、今まで言い寄ってきていた殿方を牽制しているのよ。あなた方はお呼びじゃないのよ、って」

「!」

 なんだその恥ずかしい風習は。ライリーは知らぬ間に、自身の独占欲を宣伝して歩いていたということになっているのか。

 実はこっそり覚悟していた、ハリエットに懸想する男から絡まれるような事態がないのも、そのためだったか。

 硬直した夫を、ハリエットは不安そうに見上げた。

「あの、ライリー? 勝手なことをして、ごめんなさい?」

 上目遣いで謝られたら、許すしかないではないか。

「…………次からは、事前に教えてくださいね。心の準備をしたいです」

 赤くなった顔を押さえるライリーを笑ってから、ウィルフレッドは近くにいた令嬢に声をかけてキャロラの輪に加わった。

 彼はライリーより歳下なのに、堂々とした貴公子振りだ。違い過ぎて見習う気にもなれない。

 それよりも、人波の割れ方が気になった。国王夫妻が近づいてきているのだ。

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