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9 待ちぶせ

 いつにない早い時間に宿舎に着くと、入口前に見慣れた顔の男が立っていた。

 第三騎士団同期のブルノだ。

 ルーチェが戻ってきたのに気がつくと、今まで見せたことがないようなほっとした表情を見せたが、それも束の間、いつもの小馬鹿にしたような笑みを見せて

「よう」

と声をかけてきた。

 明らかに、待ちぶせされていた。その手にある箱…

「こんな早い時間に帰れるんだな。第二魔法騎士団は余裕あるな」

 そういう自分こそ、ここで待っていたとしたら、定時前に騎士団を出ているのではないか、と思いはしたが、あえて言わなかった。すると、

「そんだけ隙なら、できるな?」

 そう言って、手に持っていた箱をいきなりルーチェに押しつけてきた。

 そこには、帯剣ベルトや手袋、胸当てやシャツなどがごっそり入っていた。

 いつもルーチェが手入れするように押しつけられてきた物の一部だ。

 さすがに大きなものは箱に入らなかったのだろう。運べたなら、同じように手渡されていたかも知れない。

 ルーチェは箱を手に取ることなく、

「私はもう第三騎士団の人間じゃないよ」

 そう言って断ると、ブルノはチッと舌打ちをし、

「定時に帰れるくらい隙ならできるだろ?」

と、ルーチェがやるのが当然と言わんばかりに体に箱を押しつけ、ぱっと手を離した。

 箱は地面に落ち、中身が少し散らばった。

「じゃ、明日取りに来るからな」

 そう言うと、自分が落とした物を拾うこともなく、逃げるようにブルノは立ち去った。

 ルーチェは小さく溜め息をつき、土を払いながら落ちた物を拾い、箱に入れ直すと、部屋の中へと運んだ。


 ブルノ達が繕い物が苦手なことは知っていた。恐らく裁縫以外の仕事は渋々自分達でやることにしたのだろう。今までは何でもルーチェに押しつけ、時々先輩方と一緒に飲みに行っていた。

「男にはこういう時間が必要なんだ」

 どういう時間?

 そう思いつつも、別にルーチェは酒盛りが好きなわけでなく、酔った男達が好む話には女がいない方がいいこともよく知っていたので、知らんぷりをしていた。

 繕い物なら、金を出せば洗濯屋が請け負ってくれる筈だ。ルーチェが来る前はそうしていたと聞いている。第三騎士団の男達は、自分を母親か何かと勘違いしているような気がしていた。今回の異動で、四ヶ月はこの作業から逃れられるかと思ったが、逃れられないのなら、まあ多少なりとも減った分ラッキーだと思うべきか。…それも空しい言い訳だ。

 布や皮の補修なら小さい頃から母の手伝いをしていて慣れている。それでも、これだけの量を明日中とは。本当に何も判っていないのだ。

 手袋の裏側に書かれた名前を見ると、どういう訳か第二騎士団員の物も混ざっていた。

 ルーチェは強引に押しつけられたブルノの困った顔を思い浮かべて、鼻で笑った。


 結局夜遅くまで繕っても全てを直すことができなかったので、一部を袋に詰めて、裁縫道具と一緒に執務室に持ち込んだ。

 昼休みになると中庭に行き、持ってきた簡単な食事を済ませると、繕い物を始めた。

 硬い革製品は昨日のうちに宿舎で済ませ、残っているのは布類だ。さほど時間はかからないだろう。

 天気もよく、うるさく次の仕事を追い立ててくる者もいないので、自然と故郷に伝わる繕いの歌が出てきた。

  縫い目は 愛しき君のため

  込めし祈りは 君の無事

  願うは 君よ帰り来よ

  眠れよ安く 我が胸で


 窓の外から聞こえる古い祈り歌を耳にして、ヴァレリオはふと顔を上げた。

 立ち上がり、窓の下をのぞき込むと、さほど離れていない木の下に小さな布を敷き、ルーチェが座っていた。

 手にしているのは、誰かの衣類らしい。ルーチェは繕い物をしながら、小声で歌を口ずさんでいた。

 その指先から小さな魔力が糸にからまり、衣服の傷を塞いでいく。

 昔、街の中の洗濯屋で見かけた光景を思い出した。

 ヴァレリオはアガッツィ家の三男だったが、九歳まで西の国境近くの伯母の家で世話になっていた。

 伯母夫婦には子供がおらず、ヴァレリオを引き取ることになっていたのだが、ヴァレリオの一つ上の兄が急死したために急遽家に戻らされ、以来ずっと王都にいる。

 伯母の家がある辺境伯の領地は自然豊かで、時々魔物が出るのは困りものだったが、王都よりずいぶんのんびりと過ごすことができた。

 その領内では年齢や身分を問わず、辺境騎士団が将来の騎士を養成するために作った剣の教場に通うことができ、騎士達から直接剣や魔法の使い方を教わった。

 剣の訓練は伯母にはあまりいい顔をされなかったので、教場へは内緒で通っていたが、稽古でかぎ裂きを作ってしまい、困っていると、気のよさそうな女性が「あらあら、やっちゃったわね」と言って、ものの数分で繕ってくれた。

 その時に歌っていたのが、今の歌だった。

 あの街ではよく聞いた歌だったが、他の地域で聞くことはなかった。


 西の辺境地モンテヴェルディの出身なのか。

 懐かしさにしばらく聞き入っていたが、背後の机上の書類を見た途端、髪を切られた恨みが心に蘇ってきて、せっかく和んだ気持ちは一瞬のうちに崩れ去った。

 髪を切られなければ、明日から一週間、西の辺境騎士団の元へ打ち合わせに行く予定だった。久々に伯母や友人にも会い、一日程度ならゆっくりと過ごすこともできたかも知れない。

 しかし、髪を切られてまず最初に団長が、「代わりに出張に行くから心配するな」と言ってきた。

 ただの打ち合わせだ。討伐に行くわけでもなし、魔力を使うことなどほとんどないに違いないのに、「おまえは安全のため、王都から出ず、極力この執務室内にいること」ときた。

 そしてあの大量の未処理の書類の片付けを押しつけられたのだ。割に合わない。

 加えて、急に退団せざるを得なかったマルコの代わりにあの髪切り女を採用したい、と口裏合わせを頼まれた。本当なら顔も見たくないところだが、団長なりの考えがあるのだろう。

 幸いにして、1日目から仕事ぶりは悪くない。

 あの山のような書類を仕分けてもらえただけでも仕事の進みは早く、あと二日もあればそこそこ片付くだろう。

 とっとと山積みの机仕事を片付け、逃げた魔犬の調査や、他地域の魔物の状況の確認、スドヴェストからの来客の対応など、やるべき事はいろいろある。


 ルーチェは昼休みが終わる五分前に戻ってきて、繕い物を自身の鞄にしまった。そして、資料室から借りてきていた本を返しに再び部屋を出て行った。

 その日も、ヴァレリオは定時に部屋を出た。事務仕事を延々と続ける気がないのが一番の理由だが、新しい秘書を定時で帰らせるためにも、あえて残業をせず、率先して帰っていることなど、ルーチェが気付くはずもなかった。


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