7 ペナルティ
魔犬討伐の後、せっかく魔犬の最後のあがきを防いだにも関わらず、ルーチェは居残りを命じられ、上司である第三騎士団長グレゴリオと共に第二魔法騎士団長執務室に呼び出されていた。
机の上には、さっきルーチェが切り落とした、薄茶色の髪束が置いてあった。
机を挟んだ向こう側には第二魔法騎士団長のグイドが人好きのしそうな笑顔を向け、それとは対照的に、ざんばらに短くなった髪もそのままに、怒りを隠すことなくただひたすらルーチェに憎悪の視線を向ける副団長、ヴァレリオ。
いつも冷静、無表情で容易くポンポンと魔法を出すヴァレリオがこんなに感情をむき出しにしているのを、ルーチェは初めて見たように思った。
それはグレゴリオも同じだったようだ。
「いやあ、すまないねえ。討伐直後のお疲れの時に」
軽く話し出したのは、グイドだ。
グレゴリオは出されたお茶を一気に飲み干した。
あれだけ動いた後だ。腹も減り、喉も渇いている。団長も本当は家に帰りたいに違いない。
「…何か言うことはあるか」
お呼び出しの原因は、目の前にある、ルーチェがうっかり切り落としてしまった髪だ。
「か、髪は申し訳ありませんでした。…く、首が無事で何よりでした」
髪が切れたと言うことは、下手したら首が切れていた、と言うことだ。
首が切れていたらあの世行きで、もうつながることはないが、髪なら、また生えてくる。
ルーチェはそう思ったのだが、あまりにヴァレリオの怒りがすごいので、
「…ごめんなさい」
と謝るしかなかった。
「こいつ、髪が短くなると魔力の行使に影響しちゃうんだよ。笑っちゃうよね」
グイドはそう言っても、ルーチェには笑いどころはなかった。グレゴリオも、
「それはそれは…」
と言ったところで、切れてしまったものは仕方がないと思っている。魔犬に嚼まれるか、髪が切れるか、なら髪を犠牲にするのが一番だろう。その判断はグレゴリオもルーチェも揺るがない。
「人事だと思って…」
「丁度いい機会だから、しばらく事務仕事してくれればいいよ。招集があれば、僕が出ておくからさ」
グイドの言葉に、ヴァレリオは露骨に嫌な顔をした。
「冗談じゃない! あの書類はおまえの仕事だ。あんなに溜めといて、今さら俺にやらせるってのか?」
「溜めたんじゃない、溜まるんだよ、勝手に」
団長の机の上には、山と積まれた「未決」の書類。もはや、決済箱に入りきっていない。
その隣の、副団長のものと思われる机は整然と片付き、数枚の書類しか置いていなかった。恐らく早々に処理を終え、団長の卓上へ行っているんだろう。
大きく溜め息をつき、腕を組んだまましばらく目を閉じていたヴァレリオが目を開けると、ルーチェを睨み付けたまま、口を動かした。
「おい、おまえ。明日から髪が伸びるまで、俺の補佐をしろ」
「って言うんだけど、どう?」
いきなりの申し出に、ルーチェは目を丸くした。
しかし、ここに団長まで呼ばれ、座らされてお茶まで用意されたのはそのためだ。
謝罪なら、座るなんてあり得ない。
そもそもあの場面でのあの判断に、謝るべき要素など何もない。いかなる時であっても優先すべきは命だ。それを髪を優先しろなどと、仮にあの場で言われても、そんなことできる訳がない。
ルーチェは、ちらりとグレゴリオの顔を見た。
横目で視線を送ってきたグレゴリオも、ちょっと首をかしげて判断しかねているように見えた。
「の、伸びるまでって、いつまでですか?」
「肩までなら、六ヶ月ってとこかな」
半年近くも自分の所属を離れ、第二魔法騎士団に奉公に行くなど、通常では考えられない。魔法による攻撃・防御・治癒を専門とする魔法騎士団に行ったところで、何の役にも立てそうにないし、自分だって暇ではないのだ。今日のように討伐に呼ばれることもあるし、日々の訓練だって大事だ。
「いやあ、こいつこう見えて敵も多いんだよ。剣も使えないわけじゃないんだけど、日頃使い慣れてる防御魔法を使えない状態だと、いろいろ狙われやすいしさ。護衛的な役目も頼めるとありがたいなあ」
グイドが軽いノリで説明を重ねるが、魔法騎士団で副団長にまでなっている者に護衛など必要だろうか。
それなら魔法騎士団で防御魔法を使える者を補助者をとしてそばに置いた方が…、とふと思ったところで、言うなれば、ルーチェは加害者。被害者に被害者側で何とかする問題だ、と言えば、この怒りの炎に油を注ぐことになるだろう。
「第三騎士団が、彼女がいないとどうしようもないくらい人手不足だっていうなら、無理は言えないけどねえ…」
それはグレゴリオに向けた明らかな挑発発言。
しかしグレゴリオは、意外と穏やかな顔をしている。挑発に乗る時にはもっと鬼のような笑みを浮かべる人だ。この程度の挑発では動かない、とルーチェは思ったのだが、
「いいだろう」
と、グレゴリオはすんなりと了承した。
「だが、六ヶ月は長い。三ヶ月だ。三ヶ月でまだ魔法も行使できないなんて、副団長様ともあろう者がそんな弱音は吐かないよな」
挑発には挑発返しだ。ルーチェは恐っ、と思いはしたが、顔には出さないようにした。
「こっちだって仕事せずに休んでいられるならそうしたいくらいだ。首じゃなくて髪なら切ってもいいようなお気楽な考えでいられたらたまるもんか」
荒々しい口調で返すヴァレリオ。ルーチェは、自分には発言権はない、と思い、成り行きを見守ることにした。三人もルーチェの意見などはなから聞く気はないらしく、ルーチェに目を向けることはなかった。
「隣国、スドヴェストの王が魔法師団連れて来ることになってるんだ。今回は我々第二魔法騎士団が担当になっているんで、せめてそれが終わるまででいいから、ちょっとこいつを手伝ってやってくれると嬉しいなあ」
「スドヴェスト…、ああ、四ヶ月先のか…」
グレゴリオはそれを聞いて、今回の事件とは別枠で考えた方が良さそうだと判断し、腕を組んで、少しうーん、と考えを巡らせた。
「その件では何人かよこせと言われるとは思ってたところだ。マルコの退団も急だったしな。ちょっと早いが、まあ、一人ぐらい融通してもいいか。…じゃ、四ヶ月間、スドヴェストの連中が帰るまでだ」
「…いいだろう」
話がまとまると、ヴァレリオはいつものような無表情に近い冷静さを取り戻した。
「やっぱりグレゴリオは話が早いねえ」
グイドも、それなりに話がまとまったことに満足し、にこやかにルーチェに手を伸ばした。
「それじゃあ、四ヶ月間。魔法騎士団員としてよろしくね」
「は…はい?」
伸ばされた手に握手したものの、ただここに通うだけでよもや自分の所属まで代わるとは思っておらず、グイドとグレゴリオを何度も見遣り、ぽかんと口を開けていた。
「正式に辞令出すのか?」
グレゴリオが面倒そうに髪をボリボリと掻くと、
「執務室付けの秘書になるからねえ。機密の書類もあるし、団員とはいえ部外者だとちょっとまずいんだよね」
「…だとさ」
それを聞いたルーチェは、半泣きになって、すがるような目でグレゴリオを見つめていた。
「わ、私、魔法がダメなの、ご存知ですよね? 騎士団を追い出されたら、私…」
グレゴリオは、ルーチェの持つちょっと特別な事情を知っており、グイドに念押しの確認をした。
「…別に、魔法を使う必要はないよな」
するとグイドは不思議そうに
「この子、魔力ありそうだけど使えないの?」
と聞いた。
「ま、魔力があるだけで…、ぜんっぜん、使えないんです」
「ふうん?」
グイドは興味津々な様子で、ルーチェを頭頂から机に隠れているつま先まで、まるで見透すかのようにゆっくりと視線を向けた。
ルーチェが居心地の悪さに思わず両手を握りしめると、くすりと笑って、
「まあ、ヴァレリオも全然魔法が使えないわけじゃないから、剣の守りがあれば充分じゃないかな。少なくとも、討伐に魔法使いとして出撃させるようなことはないから安心して」
と言った。とりあえず、魔法は使えなくても大丈夫そうなので、ルーチェは幾分か安心した。
「あと、こっちの月一の修練会には参加させてやってくれ。こう見えて、こいつ、今ランキング中位どころにいるんだ。四ヶ月も参加しなくなると、また最下位からやり直しになってしまう」
ルーチェは、団長が自分のことをちゃんと把握しているのを知り、嬉しくなった。
騎士団にい続けるために、どんなに雑用を押しつけられてもくじけることなく、毎日の鍛錬だって欠かさないようにしている。その成果が修練会でのランキングに現れている。
全騎士団に所属する女性の中でもランキングは三番目だ。うまくいけば、今年中にもう少し上位を狙えるかも知れない。
「こっちはOKだよ。騎士団の連中には、君から話をしておいてくれるかな」
「承知した」
どうやら話はまとまったようだ。
ルーチェは、明日から第三騎士団を離れ、四ヶ月だけ第二魔法騎士団に異動になる事が決まった。
ルーチェは団長と共に一度第三騎士団に戻り、その場にいた者には異動の話が伝えられた。少しどよめく声がしたが、団長から副団長ヴァレリオの髪を落とした件をうけて四ヶ月だけ、と言う説明を聞くと、ペナルティか、とルーチェを蔑んだ目で見て、皮肉な笑みを浮かべる者もいた。
ルーチェが魔法を使えないことなど、周知の事実だ。
何人かから
「まあ、頑張れよ」
と肩を叩かれた。励ましの者もあれば、冷やかしの者もいる。ルーチェはそのどちらにも苦笑いをしながら、
「お世話になりました」
と挨拶をして、自分の荷物をまとめた。




