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5 三年の約束

 王都に着くと、ルーチェは騎士団本部へと向かった。

 書類の提出を求められたが、届く前に故郷を離れたと伝え、合格通知を見せると、再度書類をもらうことができた。

 宿舎に入れるのは三日後だった。やむを得ず安い宿を取り、王都を知るために街を歩き回った。実際に騎士団が町を警備する姿を見つけ、一部に好感が持てない者がいることを知った。しかし、それはどこに行っても同じだ。


 何かあったときのために騎士団本部に滞在している宿を伝えていたが、そこから情報を得たのか、翌日、兄のランドルフォが宿に訪ねてきた。

 領主の館で過ごした五年間で、十回ほどしか会ったことがない兄だ。顔は合わせても、ほぼほぼ話をしたことがない。

 妹とはいえ部屋に入ることを遠慮したランドルフォに誘われるまま、近くにあった洒落たカフェに移動した。ランドルフォは時々王都に来ることがあるらしく、こうした店の情報も把握していた。

「すまなかった」

 はじめの一言が、謝罪だった。

 自分のような小娘が十歳近く年の離れた男に頭を下げさせているのだ。兄妹と知らない周りの好奇心をそそるには十分だった。

 ピリピリとした居心地の悪い空気を感じているのはルーチェだけで、ランドルフォはそのまま話を続けた。

「父上もおまえを放っておいてすまなかったと反省している。王都の騎士団は決して楽な仕事ではない。辺境騎士団にしてもそうだが…」

「それくらい判ってます。楽をしに来たのではありません。私をそんな人間だとお思いなのでしょうか」

 ルーチェは怒りをこらえながら、低い声でつぶやくように答えた。言い方が悪かった、とランドルフォが気づいたときには遅かった。

「そんなことは思っていない。ただ…、家に帰る気は」

「ありません」

 即答が今の状況のすべてを表していた。

 言われるがままおとなしく父に従い、貴族としての教養を身につけ、衣食住に恵まれ、屋敷で悠々自適に過ごしている。それがあの屋敷で誰もが抱いていたルーチェの印象だった。

 しかし、そんな人間などいはしなかった。おとなしくしているのをいいことに満足していると思い込み、御するのをやめたのは屋敷の人間だ。自分もまた父に任せ、妹は庶民から貴族令嬢になった幸運な人間なのだと勝手に思い込んでいたのだ。

 妹は、昔会ったことのある妹の母、ルーナに似ていた。かつてルーナに会った時、ルーナは優しく微笑み、自分の話を黙って聞いてくれたが、妹は自分のことを警戒し、少しでも自分に害をなせば許さない、といわんがばかりの獣のような目をしていた。

「…判った」

 家に連れ戻すのは、今は無理だ、とランドルフォは判断した。

「だが、王都の騎士団の中でも、第三騎士団は結構きついところだ。やめる者も多い。…そうだな、…三年だ。三年はここ王都にいることを認め、連れ戻すことはしないと約束しよう。もしつらければいつでも家に戻ることができるのだと、忘れないでいてほしい。決して悪いようにはしないよ」

 ランドルフォは、家族として今後を話し合うまで三年間の猶予をつけるつもりで話した。

 しかし、ルーチェには、三年後は連れ戻されるとしか受け取れなかった。

 それでも今は、時間を稼ぎたかった。

 はい、という言葉を口にしようとしたが、どうしても言葉が出ない。

 こくりと頷くことを返事にした。

 そのときの兄の嬉しそうな顔を見て、自分のことを心配してくれていたのだとようやく気づくことができた。


 客観的に見れば、十六の小娘が突然家出し、片田舎のモンテヴェルディから王都に逃げて来ているのだ。心配をかけていない訳がない。しかし、ルーチェには今の家族が自分のことを心配するほど関心を持っているとは思えなかった。

 むしろ、見合いも嫌がり、家出するような娘など、騎士団の遠征で死んで消えてしまった方が喜ばれるんじゃないかとさえ思うほどに、家族のことも、自分のことも信じられなくなっていた。

「…兄上。このような遠方までお越しいただき、大変ご足労をおかけしました」

 堅い口調ではあったが、初めて兄と呼ばれて、ランドルフォは改めて自分に妹ができたことを実感した。

 モンテヴェルディからいなくなる前に、もっと一緒に遊んでやればよかった。ファストが言うように剣の腕がたつなら、時々剣を合わせてもきっと話は弾んだだろう。街の中には庶民の友人だっている。友人とは身分の差など何ら関係なく付き合ってきた。それを妹だ、女だと変な遠慮をしてしまった自分を反省し、今この瞬間からでも兄としてできることをやっていこう、そう心に誓った。

「入団の書類に、保証人がいるだろう? 父から預かってきたよ」

 ランドルフォは、旅立った日に父の手元にあった書類を差し出した。保証人の欄には父の名前が入っていた。

 それをじっと見たルーチェは、

「あの…、兄上にお願いがあります」

 そう言うと、共に宿に戻り、保証人以外の欄がすべて埋まった書類を見せた。

「…兄上に、…お願いできませんでしょうか。父の名前だと、…重すぎて」

 仮にも父は辺境伯、辺境騎士団の統括者だ。

 庶民として入団する自分には、保証人としてあまりに重すぎた。

「ルーチェリア、じゃだめなんだな。…判った」

 ランドルフォはそう言うと、保証人の欄に自身の名前をサインした。

「俺も、レオーネも、これからはおまえのことをルーチェと呼ぼう。おまえも気が向いたらでいい、俺のことはランドと、レオーネのことはレオと呼ぶといい。俺たちは兄妹なんだから」

 すると、ルーチェは顔をこわばらせて、

「兄妹、で、いいんです、か?」

と消えそうな小さな声でランドルフォに問いかけた。

 ランドルフォは、ルーチェが辺境伯の実の娘であることさえ疑っていることを察したが、余計なことは言わず、

「当たり前だ」

とだけ言って、手で頭を力強く撫でると、帰って行った。


 数日後、宿舎に入ったルーチェのもとに荷物が届いた。

 ランドルフォとレオーネが、新しい生活に必要な日用品を送ってくれたのだ。

 下着類は侍女たちが見繕ってくれたものなので、安心するよう書かれていた。

 その中には、あの日置いていった裁縫箱や刺繍糸も入っていて、真新しい帯剣ベルトもあった。

 自分の部屋に入られたことは少し恥ずかしく思ったが、自分が受け取れる範囲に絞って与えられたものは素直に受け取ることができ、ルーチェは礼状をしたためることにした。

 しかし、なかなか文面が思い浮かばず、考えに考えてようやく書き上げた手紙はあまりにガチガチだった。


 コレッティ閣下

 ランドルフォ コレッティ殿

 レオーネ コレッティ殿


 ランドルフォ兄上におかれましては、王都までご足労いただきましたこと、恐悦に存じます。

 また、このたびはこのようなお心遣いを拝領し、御礼申し上げます。

 三年間の猶予を頂戴し、研鑽を積む覚悟です。

 かような愚かな娘のことなどお気にかけず、健やかに過ごされますことを切にお祈り申し上げます。


 感謝を込めて

 ルーチェ 拝


 とても家族に当てたとは思えない手紙を前に、受け取った父と兄は大いに悩まされることになった。

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