2 ルーチェ (1)
ルーチェはノルド王国の西端にあるモンテヴェルディで生まれた。
母一人、子一人の二人暮らしで、母は洗濯屋で繕い物をして生計を立てていた。
ルーチェが物心をついた時から父親はおらず、生活は豊かではなかったが、工夫して節約し、ルーチェも幼いながらに母の手助け、仲良く暮らしていた。
西の辺境領には辺境騎士団があり、国境でのいざこざや、国境付近の森に生息する魔物から人々を守っていた。守る者を育てるのも騎士団の大切な役割であり、領地内にいくつか剣の教場が開かれ、希望する者には騎士団員が直接剣の指導をしてくれた。
教場は人気があり、街の若者が多く通っており、子供であっても受け入れてくれた。また教場まで行かなくても学校でも剣の指導を受ける事ができた。
ルーチェも剣が好きだった。女の子で剣を学びたがる者は半数もいなかったが、男子に交じって教場へも積極的に通い、いつかは辺境騎士団に入る事を夢見ていた。
剣と同じくらい、針仕事も好きだった。
母から教わり、繕い物はもちろん、紐や布に刺繍を施すこともした。母は繕いの魔法師で、縫い糸に魔法を込め、小さな守りや願いを付与する事ができた。洗濯屋の繕い物以上に、繕い魔法の付与はよい収入になった。なので、ルーチェも母のように繕い魔法ができるよう、頑張って何度も練習し、母にもやり方を教えてもらったが、刺繍自体の出来はかなり良かったものの、繕いの魔法を付与することはできなかった。
魔力はあるのに、繕い魔法も、普通の魔法も、一切発動する事ができない。
「無理に繕い魔法をしようと思わなくていいのよ」
母がルーチェのやりかけの刺繍に少し手を施すと、ルーチェの魔力を使って母が仕組んだ魔法が付与できた。
糸に魔力を込める事はできている。しかし、それを力に変える魔法が付与できず、ただ魔力が込められているだけの装飾縫い。魔力は出口を求めることなく、糸の中で眠っているだけだった。
「お母さん、繕い魔法はできないけど、私、強くなって、騎士団に入って、お母さんを楽させてあげるからね」
幼いルーチェがそう言うと、母は笑って
「あなたが好きなものを見つけて、頑張ってくれればそれでいいのよ」
と言ってくれた。
早く大人になって、母の力になりたい。そんな思いで、学校の勉強も、家の手伝いも、剣の鍛錬も、何でも頑張った。それをいつでも支えてくれる、大好きな母の笑顔。母と一緒に生きていけるなら、それだけでよかった。
そんな生活が、ある日突然変わった。
ルーチェが十歳の時、母が隣町から帰る途中に崖崩れに遭った。
その日は帰ったら話がある、と言われていて、ずっと母の帰りを待っていたが、夜が更けても、そのまま寝てしまって朝が来ても、母は戻らなかった。
ルーチェに伝えられたのは、母の死だった。
近所の大人達の手を借りて、母の葬儀は取り仕切られた。ルーチェは呆然として、泣く事さえできなかった。
やがて一週間が過ぎ、母の他に面倒を見てくれる親戚もいないので、教会の養護院に入る事が決まったルーチェに、突然、「身内」と名乗る者が現れた。
このモンテヴェルディを治める辺境伯、リヴェラトーレ・コレッティが、「父」だと名乗り出たのだ。
街の者は皆驚くと同時に、安心した。ルーチェにこんな確かな身内がいようとは。これからの生活は、今まで以上に何不自由なく暮らす事ができるだろう。周りの者の領主への信頼は確かであり、誰もが皆口々に「よかったね」と言い、ルーチェの肩を叩いたが、ルーチェには母の死を「よかったね」と言われているように思えて、つらくてたまらなかった。
そもそもルーチェはリヴェラトーレとは初対面であり、目の前の見ず知らずの男を「父」と思う事はできなかった。
父が家を訪れてから二日後、わずかな荷物をまとめて領主の館へと引っ越すことになった。
小さい頃から知っている、隣の世話好きなアイーダおばさんが、
「困ったことがあったら、いつでもおいでよ」
と声をかけてくれたのが、何より心強かった。領主の館はこの街からさほど遠くなかった。ルーチェはアイーダに軽く抱きつき、エプロンをぎゅっと掴んで、
「行ってきます」
と答えた。