17 魔法のない繕い物
久々に魔犬が出没し、第二騎士団と第一魔法騎士団が東の辺境地に近い森に向かった。
七匹ほどの小さな群れで、うちの四匹を討伐し、三匹を捕らえたという知らせがあった。
捕らえたという情報に、何故倒さなかったのかと疑問を投げる者もいたが、しばらく続いていた魔犬騒ぎもこれで落ち着くだろう、と王都では安堵感がよぎっていた。
間もなく他国の王が往訪する事になっており、余計な心配事はないに限る。
捕獲した三匹は第一魔法騎士団が封印の上分析する事になったと伝えられた。捕らえた魔犬の居場所は王には報告されたらしいが、第二騎士団と第一魔法騎士団の一部の者を除き明かされなかった。理由は「安全上の秘密」とされたが、各団の団長にまで伏せられるのは異例のことだった。
一部に、今回討伐されたのは前回の群れとは別で、まだあのボスの魔犬は逃げている、と言う噂も流れており、東の辺境地の騎士団はまだ警戒を解いてはいなかった。
グイドは何度か調査にかり出されながらも、中途半端な報告しか受けられないことに不満を持っているようだった。しかし、
「それじゃ、実地調査はやるから、デスクワークを」
とヴァレリオが書類を突き出すと、
「いやいや、もうしばらくはこの状況を楽しませてもらうよ」
と、今日も元気に小隊を連れて、小さな討伐に出かけた。
ヴァレリオは面白くなさそうにグイドの後ろ姿を睨みつけながら、大分伸びてきた髪を手で掴んで、結べる長さになってきたか確認していた。
久々に勤務時間が終わると同時に宿舎に戻ると、ブルノが宿舎の前にいた。
警戒はしたが、手には箱も袋も持っていなかった。
あれから第三騎士団では団長命令で繕い物は自分でやるか、人に頼むときは洗濯屋に依頼することを義務づけた、と聞いている。
武器のメンテナンスをはじめ、自分の物は自分で管理するのは騎士として当たり前だと、グレゴリオが団員に説教し、とりあえず今のところは後輩に押しつけることは表面上はなくなっているらしい。
荒くれ者の集団とはいえ、団長のグレゴリオは団員に一目置かれており、団長ににらまれることをよしとはしないだろう。とは言え、いつまで荒くれ者達が大人しく団長命令に従うかは判らない。そうしないうちになあなあになり、また下の者をこき使いだすだろう。
ルーチェは警戒しながら、距離を置いて宿舎に駆け込もうとしたが、すぐに追いつかれ、腕をつかまれた。
「何逃げてんだよ」
「逃げるわよ。何で逃げないと思うのよ」
ルーチェのはっきりとした拒絶に、ブルノは腹立たしげな表情を隠そうとしなかった。
「頼みがあるんだよ」
「頼まれません」
「いいじゃないか、同期の仲だろ?」
「ええ、同期よ。同期は部下じゃない。女が格下なんてことはないんだから」
「いいから聞けよ」
そう言うと、ブルノは以前出してきた自分のグローブを再び出して、ルーチェに手渡そうとした。
ルーチェは断固、受け取ろうとはしなかった。
「繕ってくれよ」
「嫌よ。洗濯屋さんに出すことになったんでしょ?」
「それはそうだけど…違うんだよ」
懸命に手をほどこうとするが、ブルノはルーチェを離そうとしなかった。
「おまえの繕いがいるんだ」
「絶対、嫌っ」
かたくななルーチェの態度に、ブルノはしびれを切らせ、
「もうすぐ第三騎士団に戻るくせに、そんな態度でいいのか? 戻ってきたら、どうなるか」
「どうなるんだろう?」
「てててててっ!」
ブルノの腕をひねりあげ、ルーチェを解放したのは第二魔法騎士団長のグイドだった。
「穏やかじゃないなあ。そうやって脅していつもお世話してもらってたの? そんなことしてちゃ、嫌われる訳だよな」
そのままグイドが腕をひねって突き放すと、ブルノは尻餅をつき、グイドを見上げて顔色を変えると、そのまま走って逃げてしまった。
「…いつもあんな感じ?」
グイドに言われて、ルーチェは軽く首を振った。
「いつもはあそこまでは…」
「そうか。こりゃ第三騎士団に戻していいもんかどうか、悩ましいなあ。でも、グレゴリオも君を買っているからね、そうそう延長はしてくれないだろうし、君は魔法が使えないし」
自分のことを考えてくれているグイドに、ルーチェは無理に笑顔を見せた。
「大丈夫です。ご心配おかけして、すみません。…ありがとうございます」
ふと見ると、グイドの手には血がにじんでいた。
「団長、手が…」
「手?」
自身の手を見たグイドは、
「ああ、この傷は今日昼間にしくじった分だから、気にすることはないよ。傷口が開いちゃったかな」
ルーチェはハンカチを取り出すと、まだ血のにじむ手に押し当てた。
「ちゃんと手当てを受けてくださいね」
「そうするよ。戻ったら治癒の魔法でぱっと治してもらおう。今日の夜勤は誰だったっけな」
そうだった。第二魔法騎士団なら、治癒魔法でこの程度の怪我なら治してもらえる。騎士団で怪我人が少ないのも、魔法騎士団の優秀な治癒魔法担当がいてくれるからだ。
「まだお仕事ですか? それなら私も」
「いやいや、君は家でゆっくりして。…このハンカチ、血がついちゃったな。新しい物を買って返すよ」
ハンカチの上から少し圧迫して血を止めるようにしながら言ったグイドに、
「いえ、そんな大した物じゃないですから、そのままお持ちください。捨ててもらってかまいませんので」
と返すと、
「じゃ、遠慮なく」
と言って上品な笑顔を見せ、グイドは第二魔法騎士団本部に向かって帰って行った。
「ありがとうございました」
ルーチェは後ろ姿に深く礼をした。
グイドが執務室に戻ると、部屋の椅子に座って待っている男がいた。王太子のフィデンツィオだ。
「ああ、手に入ったんだ」
グイドが手にしているハンカチを見て、フィデンツィオは手を伸ばしたが、
「これは僕のだよ」
と言って、グイドはハンカチを高くかざし、フィデンツィオに渡さなかった。
手の傷は確かに昼間負ったものだったが、ハンカチの下の傷は消えていて、ハンカチについていた血も浄化の魔法できれいに落とされていた。
「もうしばらく第三騎士団の連中を自由にさせておけば、あの子が繕った物を手に入れやすかったんだけどなあ。ちょっとタイミング悪かったな」
ルーチェが繕った物はたくさんあったが、風梟の討伐に参加した者の縫い目はどれも朽ちており、それ以外の物は確かにルーチェが縫ったものか、どこを縫ったのか、確かめるのは困難だった。
「繕った物を手に入れるのに、あの男にも頼んだのか? 待ち伏せしてたぞ」
「あの男?」
「第三騎士団の、…ブルノとか言ったか」
それを聞いてフィデンツィオはハハハ、と笑った。
「まさか。あの男があの子に嫌われてるのは判ってるのに、そんなこと頼んだって無駄だろう? 風梟の件で加護の力があるかもしれないと知って、急に繕って欲しくなったんじゃないのか? 全く、まだ調査中だって言うのに…」
フィデンツィオはグイドにハンカチを渡すよう二本指で招くように合図をすると、いやいやながらも伸ばしてきた手からハンカチを受け取り、そこに刺されていた刺繍をゆっくりと指でなぞった。
「…やはり、魔法はなさそうだな。本人の言うとおり、やはり繕い魔法は使えないのか」
「魔法は、ね」
グイドも先に刺繍を触り、魔法がないことを確認していた。ただし、糸の中には魔法として解き放たれない魔力がひっそりと閉じ込められている。
「じゃあ、糸を探すか? 縫うだけでいい、防御魔法入りの糸なんて、聞いたことないけどな」
「そんな便利な物があったら、王家が全部買い取ってるだろう?」
グイドの皮肉めいた言葉に、フィデンツィオはにんまりと笑って、
「当然だよ。…また来る」
と言い、ハンカチを手に部屋を出た。
風梟の強制睡眠を妨げた力の解明は、もうしばらく続きそうだった。