16 わずかな魔法
翌日、グイドとヴァレリオとレオーネは、揃って騎士団の合同修練会を見に行った。
グイドとヴァレリオは一番よく見える席で見学したが、レオーネは妹に見つからないように、と少し離れ、柱に近い端の席に座っていた。
王に近い第一騎士団、貴族の警護が多い第二騎士団に比べ、第三騎士団は見るからに荒くれ者が多かった。しかし、実戦を積んでいるのは圧倒的に第三騎士団で、品はないが実力を持つ者が多かった。
体格のハンデをうまく解消しながらも、ルーチェはトーナメントでは三回戦負け。しかしヴァレリオにはまだ伸びしろはあるように見えた。
隠れて応援していたレオーネも、少しハラハラしながらも負けた試合が終わるとその健闘を称え、拍手をしまくっていた。本人はこっそりと見ているつもりでも、あれでは大目立ちだ。あれでほとんど口をきいたことがないというのだから、早く仲直りすればいいのに、と友と部下の微妙な関係修復を願わずにはいられなかった。
二日後、終業後の刺繍のレッスン中に、先日の客がルーチェの兄達だったことを伝えると、ルーチェはヴァレリオと兄達が知り合いだったことに驚いていた。世間は結構狭いものだ。
「…何か言ってましたか?」
ルーチェは恐る恐る探りを入れたが、ヴァレリオの返事は至ってシンプルで、
「妹をよろしくって。…あと、これ」
ヴァレリオは、初めて裁縫を師事した日に持ってきた、青地に白い刺繍の入った髪紐を取り出した。
「レオに聞いた。これ、多分おまえの母親が作ったものだ。モンテヴェルディを離れてから、時々レオに頼んで繕い魔法の入った紐を送ってもらってたんだ。レオが、あいつの知ってる中でおまえの母親が一番腕が立つ繕い魔法師だって言ってた」
ルーチェは髪紐を手に取り、ああ、やはり母のものだったのか、と思わず懐かしさに笑みがこぼれた。今こうして触れていても、自分が知っている母の繕い魔法を感じることができる。以前に見せてもらった時に自分が感じたものは間違いではなかった。
ルーチェ自身、母の繕ったものはもうほとんど持っていなかった。仕立ててもらった服は全て小さくなって処分されており、繕いの魔法が入った物は売り物で、自分に与えられたものはほとんど記憶になかった。
「それ、やるよ。古い使いかけで良ければ」
「えっ?」
ヴァレリオからの申し出に、ルーチェは信じられないといった目でヴァレリオを見た。
「使わずに置いてあるものはないが、何本か持っている。いい繕い魔法のものは見本にしているから、全部をやるわけにはいかないが」
「ありがとう、ございます。…すごく、嬉しい…」
髪紐を両手で持ち、柔らかく目を細め、心からの感謝を込めた笑顔で礼を言われ、ヴァレリオもつられて笑みを浮かべながらゆっくりと頷いた。
「あの、これ。…魔法はないので、代わりにはならないでしょうが」
ルーチェは、白地に二色の緑の糸で蔦の模様を刺繍した紐をヴァレリオに手渡した。ヴァレリオに刺繍を教えながら自ら針を刺していたものだった。
ヴァレリオは手に取ると、ステッチの出来に驚いた。緑色の糸には魔力がきれいに込められているが、魔法は展開されていない。
見ると、針山の近くに、同じ模様を刺しかけている紐があった。
「ありがたくもらっておく。そっちの、まだ閉じてないよな」
「はい、もう少しですけど」
ルーチェがそう答えると、
「終わりそうになったら、閉じる前に声をかけて」
そう言われても、何をしたいのかピンとこなかったが、
「? …はい」
と返事をした。
しばらく、互いに自分のものに黙々と針を刺していたが、ルーチェが
「もうすぐできます」
と言うと、ヴァレリオは自分の手を止めてルーチェの背後に立ち、右手の上に手をのせ、ルーチェが手にしている針に軽く指先ではじいてから、針を持つ人差し指を自身の人差し指でそっと触れた。
「どんな願いを込める?」
「願い?」
「願いだ」
繕い魔法を試そうとしているのだと、ルーチェには判った。
「…無事の、守りを」
「願いながら、指先に集中して…魔力に絡めるように、祈りを乗せる」
触れていた手がほんわかと温かくなり、針が少し熱を持った。
自分の中にある魔力と、祈りに込めた自分の願いとがつながり、軽くつつくように指示されるタイミングで祈りを追加すると、何かが手から抜けていったような気がした。
「玉留めをして、…糸を切る」
緊張したのか、玉留めにいつもより時間がかかりながらも、ようやく糸を切ると、魔力の多さとは裏腹に、うっすらと小さな魔法がほとばしり、発するのは弱い力ながらも、繕い魔法のかかった紐ができあがった。
「ヴァレリオ様の魔法」
「様はいらない。ヴァレだ」
呼び捨てにするには勇気がいる。ドキッと強い鼓動を感じた。しかし、このときのヴァレリオは、愛称で呼んでもいいくらいに、いたずらっ子のような、愉快そうで無邪気な笑みを見せていた。
「ヴァレの魔法を組み合わせたんですか?」
「いや。魔法もおまえ自身が組んだんだ。俺はそれを指先から流す手伝いをしただけだ」
今まで、魔法は使えない、そう思い込んでいた。
魔力はあるのに残念、とばかり言われていた。自分にとって魔法は、オイルは入っていても火のつかないランプのように役に立たないものだと思っていた。
しかし、今ので、もしかしたら練習すれば、繕い物に魔法を込めることも、魔法を使うこともできるかもしれない、そう思えるほどに、魔法は確かに流れ始めていた。
「最後だけじゃなくて途中でも魔法を込めれば、そこそこのものができるんじゃないか?」
「れ、練習します! 練習…」
ルーチェは少し深呼吸しながら、自分の中のドキドキを収めようとしたが、なかなか収まらなかった。
ヴァレリオは、ルーチェが魔力とつながる魔法を実装できたことに満足した。自分の見立て通りだ。ほんのわずかに手助けしただけで、ルーチェ自身が魔法を紡ぎ出せたのだ。自分の中の劣等感が、苦手なものをますます閉ざさせていたのだろう。もちろん、魔法としてはまだまだだが、できるとできないの差は大きい。
「…ありがとう」
その笑顔は、ヴァレリオにとって何よりの礼になった。
そのまま、ヴァレリオに手助けしてもらいながら魔法を紡ぐ方法を何度も練習し、その日のうちに自力で繕い物に魔法を込めるコツが判るようになっていた。あくまでうっすらと、で、魔法騎士団員達がさくさくと身につけていた繕い魔法に比べるとないも同然だったが、糸の中で止まっていた魔力が動き出すのを感じると、繕い歌の中に込められていた祈りの流れを感じるようになり、どうして故郷でみんな繕い物をしながら歌っていたのか、その理由が判ったような気がした。
宿舎への帰り道、ルーチェは魔法を込める方法を教えてもらっている間ずっと自分の手に乗せられていたヴァレリオの手の温もりを思い出していた。
自分の魔法が魔力と共に指先から紡がれ、糸に送るタイミングを外すことなく伝える振動が、今でも手の中に残っている。
魔法が使えた喜びとはまた違う思いが、ルーチェの心を揺らしていた。