13 小さな討伐
王都の東の森で、小型の魔物が出たと連絡が入った。
すぐに第二魔法騎士団と第三騎士団の一小隊が現地に向かったが、そうしないうちに応援の要請があった。ちょっとやっかいごとがあったらしい。
歯切れの悪い報告に、団長代理のヴァレリオは別の小隊と共に自分も現地に向かうと決めた。手首に繕い魔法の入った紐を巻きつけ、不安げな顔をしながら執務室を出た。
別室で作業をしていたルーチェは、後からヴァレリオが討伐に向かったと聞き、団長から大人しくしているように言われているのに大丈夫なんだろうか、と少し心配になったが、他にも団員がついているのだし、あまり考えすぎす、戻るのを待つことにした。
数時間して、戻ってきたヴァレリオは後ろ髪を上半分だけ束ね、そこに出かける時は手首に巻いていた紐を結びつけていた。
戦いで魔法がかかったのか、紐には焼けたような跡が残り、部屋に入ってそうしないうちに紐は崩れるように落ち、髪はほどけた。
疲れたのか表情をなくしていたヴァレリオが、髪が落ちると同時にいらだちをそのまま顔に出した。自分の右の掌を睨み付け、それを拳に変えたかと思うと、
「今日は帰る」
と言い残し、そのまま執務室を出て行った。
終業三十分前ではあったが、討伐後の解散は各隊に任されており、討伐に向かっていた二つの小隊はすでに解散していたようだった。
ほぼ入れ違いのタイミングで、第一小隊のダリオが執務室に入ってきた。
「あれ、副団長、いないの?」
手には今日の討伐の報告書を持っていた。
「今日はもう帰られました。お預かりしますね」
報告書を受け取り、ヴァレリオの机の未決の箱に入れようとして、目に入った文章に手が止まった。
魔黒鹿三体が出現、要請により第二魔法騎士団第三小隊および第三騎士団第一小隊が出動。討伐中に風梟が現れ、隊員の約半数が強制睡眠状態に陥り、応援を要請。第二魔法騎士団第一小隊により風梟を討伐、全隊員異常状態回復。全隊員により魔黒鹿討伐完了。
風梟討伐地点から北東方向幅1m距離200mに渡り樹木倒壊、他被害なし。
「…ヴァレリオさん、落ち込んでた?」
ダリオに探りを入れられ、この特記事項、特異な樹木倒壊がヴァレリオに関係しているだろう事は読み取れた。
「少し、様子は変でしたけど…。落ち込んでいる、と言うより、怒ってるような…」
「まあ、あの人なら、そうだろうなあ。じゃ、お疲れ」
ダリオがいなくなり、床に落ちていた髪紐の破片を拾い上げた。
ヴァレリオが、自分の髪の上半分に巻き付けていた物だ。
そんなに古い物には見えなかったのに、拾うほどにほろほろと風化したように崩れていく。魔法の影響での劣化なのかもしれない。その中に感じる、繕い魔法の、少し異様な力。
繕い魔法がほどけながら消えていくのを掌で感じ、ルーチェは魔法のなくなった破片をゴミ箱の中に入れた。
定時になり、本部を出た時、裏の林の方で妙な風の音を聞いた気がした。
そっと足を踏み入れると、奥に行くに従って、木の幹に刃物で削ったような傷がついていて、そこにはわずかに魔法の余韻があった。
遠くの方で、また風を裂く音がした。
そっと近づくと、そこには先に帰ったはずのヴァレリオがいた。林の上を見上げてじっと何かを睨み付け、はらりと落ちてきた葉に指を動かし、風魔法の基本的な攻撃技、ウインドブレイドを飛ばす。しかし、葉を切るだけにしては大きすぎる風の刃に、葉は跡形もなくなり、後ろにあった木の幹がざくりと深くえぐれていた。
どう見ても、標的に対して技が大きすぎる。
「ああっ、くそっ」
やけくそに叫ぶと、大きなため息をついてその場を立ち去った。
見ると、周りの木には、ずいぶんと傷がついていた。
どう見ても、髪を切られて魔力を減らしたのではない。魔法を制御する力が不安定になっているのだ。
その影響で、討伐の時、風梟相手に放った技が200mに渡る跡を残したとしたら…
グイドがヴァレリオにお留守番を命じた意味が判った。
魔法がなくて危険なのではない。魔法が暴れて危険なのだ。
とりあえず、見なかったことにしよう。
ルーチェはヴァレリオが進んだ方向とは反対側から林を抜け、宿舎に戻った。
その翌日、仕事を終えて宿舎に戻ったルーチェの前に、久々にブルノが現れた。
また繕い物でも頼みに来たのかと警戒したが、手には何も持っていなかった。
「おまえに、…聞きたいことがある」
あまり近寄らないよう、距離を保ってブルノの様子を伺った。
「…何?」
「おまえ、魔法使えないよな」
突然の質問の意味がわからなかった。ルーチェが魔法を使えないことなど、第三騎士団では知らぬ者はいない。
「…使えないけど」
「だよな」
そう言いながらも、納得のいってない様子のブルノに、
「何かあったの?」
と聞くと、
「この前、風梟が出た討伐で、その場にいた半分の人が風梟の睡眠魔法にかからなかったんだけど、…実は俺もかからなくて」
風梟、といえば、昨日の討伐だ。
報告書にも「隊員の約半数が強制睡眠状態に陥り」とあった。
「それと関係があるのか判らないんだけど、これが…」
ブルノがポケットから取り出して見せたのは、ブルノのグローブだった。何度か繕わされたことがある。右手の親指のあたりがよく破れ、そろそろ買い換えてもいいくらいに使われているものだった。
その繕った部分の糸が茶色く変色し、周りの皮も少し焦げているように見えた。
「俺のほかにも、あの風梟の強制睡眠から逃れた奴がいて、おまえが繕った糸が焦げてちぎれたって言うもんだから、守りの魔法か何かが入ってるんじゃないかって」
「そんな。もし魔法が使えたとしても、あんなに大量の繕いに全部繕い魔法を入れていたら、どんなに魔力があっても足りないし…。そもそも恨んではいても、助けたいなんて気持ち、あんまり持ってないし」
うっかり本音が出て、しまった、と思ったが、
「だよな…」
とブルノが少し小声になった。
その時、ふと思い出したことがあった。
「…糸、かも」
「糸?」
「手持ちの糸がなくなって、以前いただいた、かなりいい糸を使ったかもしれない。誰のに使ったかは覚えてないけど、たまたまそれに当たった人がいたら、守りがある可能性も…」
繕い手が祈りを込めていない糸で守りが発揮できるかは判らなかったが、もし特殊な祈りが先に込められた糸だったとしたら、魔法を発する可能性がないとはいえない。
「その糸はまだあるのか?」
「もうなくなった」
実は、まだ糸は残っていたが、繕えと言われるのが嫌で、ルーチェは嘘をついてごまかした。
「そうか…。ならいいか」
ブルノがあっさり引いたのが少し気になり、去って行く姿を見ていると、途中で誰かと合流したようだった。遠くて、木があってよくは見えなかったが、報告しているような様子から、自分が気になったと言うより、誰かに言われてルーチェの繕いを確認しに来たように見えた。
風梟の魔法が効かなかった原因を調べているのかもしれないが、恐らく肝心の風梟はヴァレリオの魔法暴走で跡形もなく消え去っているだろう。
もし、あの糸に守りの力があったとしたら、糸と、ヴァレリオの魔法と、どっちが強いんだろう。
不謹慎なことを考えながら、部屋に戻った。