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12 刺繍のレッスン

 翌日の昼休み。

 食堂で昼食を終えて執務室に戻ると、そうしないうちにヴァレリオも戻ってきて、ルーチェの机の前に来ると、手にしていた二本の紐を見せた。

「これを見て欲しい」

 その紐は50センチくらいの長さで、一本は濃い青色の平らな紐に白い糸で中央にフェザーステッチが刺されていた。その糸には魔力が込められているのが判った。ずいぶんと落ち着いた魔法が付与されている。

 もう一本は緑地に白いサテンステッチで葉を形取り、縁取るように赤いクロスステッチが入っていた。並ぶ×が少し不揃いで、縫い目に合わせるように込められた魔力も強弱が乱れていた。

「これはモンテヴェルディで手に入れた物だ。実は、モンテヴェルディにいた頃、繕いの魔法を一年近く習っていたんだ。急に王都に移ることになって、後は自分なりに練習をしてみたんだが、なかなか安定しない」

 ルーチェはその紐をじっと見つめ、

「これ、触ってもいいですか?」

と断りを入れてから、そっと手に取った。懐かしい故郷の繕い魔法が入った紐。青い紐からは優しい魔力が、緑の紐からは力強い魔法が伝わってくる。しかしその表情はあまり冴えなかった。

「…私、繕い魔法、使えません。そもそも魔法が使えないんです。ご期待に添えなくて、申し訳ありません」

 ルーチェは手にしていた紐をヴァレリオに返し、目を伏せた。

 ヴァレリオは、少し疑問に思った。

 ルーチェの繕い物には、魔力が込められている。何の魔法も仕込まれていないにもかかわらず、糸に魔力がこもっているのだ。しかし、あまりに落胆した表情に、もしかしたら繕い魔法をできないことに引け目を感じているのかもしれないと思った。

「刺繍を教えてもらいたいんだ。糸に魔力を込め、魔法を乗せる方法は判ったんだが、どうも縫い方が下手なようで、あまり安定しない」

「刺繍するんですか?」

 そこまで驚くか、と言うくらいに目を見開いて問われて、ヴァレリオは何となく気恥ずかしくなってきた。

「…悪いか」

「いえいえ、とんでもないです。むしろ尊敬します」

 戸惑うことなくそう言い切られて、別の意味でこっぱずかしい。何せ、うまくないと自覚しているからこそ、教えを請いたいのだ。

 魔力を込めるのに集中力がいることもあり、繕いの魔法を試す時はいつも一人でやっていた。モンテベルディを離れ、繕い魔法を学べる機会などもうないと思っていたのだ。刺繍だけでも、繕い魔法を知るものに教われるならきっと自分の力になるだろう。ヴァレリオはそう考えていた。

 ルーチェは青と緑の紐をもう一度手に取った。

「なるほど…」

 青い紐は、かなり腕の立つ人が作った物だろう。刺繍の腕も確かで、魔力もそこそこある人だ。緑の方は、白い糸は刺繍も魔法も安定しているが、やや弱く、赤い糸は魔力はあるものの、縫い方が荒いためか安定していない。むしろ強すぎる魔法で糸が弱っている。恐らく白い糸と赤い糸は違う人が縫ったのだろう。


 ルーチェは母に繕い魔法を教わってはいたが、何分魔法が使えないので、身についたのは刺繍の力だけだった。しかし繕い魔法に触れる機会は多かったので、魔法のかかった繕い物に触れれば、ある程度その力を感じることができる。この青い紐は母の繕い魔法によく似た優しさがあり、懐かしく思えた。


 母が死に、突如現れた父が自分を引き取ったが、母のように繕い魔法が使えると思っていたらしい。できないと知ってがっかりした顔を思い出す度に、自分の無力さを感じていたたまれなくなる。

 しかし、刺繍ならできなくはない。

 学ぼうとする者を手助けするのは、モンテヴェルディでは当たり前のことだ。

「縫い方なら、教えられると思います」

 ルーチェがそう答えると、ヴァレリオは目を輝かせ、無邪気な笑みを見せた。自分より年上の筈なのに、それを感じさせないほど子供っぽい顔をしていて、最初のいつも不機嫌で恐ろしげな様子とのギャップにルーチェも戸惑いを感じるほどだった。

「それじゃあ、明日から、仕事の後で頼む。週に何回か、都合のつく時だけでいい。謝礼も払う」

「謝礼なんていりません」

 ルーチェは断ったが、

「払わないと気が済まない」

と、引く気配がない。仕方がないので

「では、最初は材料をご提供いただくのでどうでしょう? 満足いただいたら、有料お稽古にするか相談する、と言うのでは?」

と提案すると、少し考えてからこくりと頷いた。


 翌日、就業時間が終わると、何本かの紐と縫い糸、刺繍用の糸、それに針が副団長の席の上に置かれていた。

 針に糸を通すのもお手の物で、慣れた感じがうかがえた。

 そう言えば、以前にも自分の物は自分で直すと言っていたのを思い出した。

 はじめは普通の布を使い、まっすぐ平縫いしてもらう。まっすぐに縫えていて、縫い物としては目も揃っている方だが、繕いの魔法の効果を増すにはもう少し揃っている方がいい。

 ルーチェは同じ布の、ヴァレリオが縫った横に等間隔の縫い目をつけた。明らかにルーチェの縫い目の方が揃っていた。

 布に線を引き、見本にそって何度か繰り返し練習を勧める。

さらにルーチェは別の布に何種類かのステッチを刺し、刺し方を説明しながら、練習できるスペースを残してヴァレリオに渡した。

 ヴァレリオはなかなか優秀で真面目な生徒だった。平縫いも4本目に入ると目が揃い、きれいに魔法が入った繕いの魔法ができていた。

 見本用にルーチェが刺したラインは均等ではあったけれど、ただの縫い目で繕いの魔法はない。


 ヴァレリオが慣れてきて、黙々と作業をこなす間、ちょっと手持ち無沙汰になって、そこにあった白い平紐に蔦の模様を刺繍してみた。

 気がつけば、二人で黙々と作業を続け、2時間も経っていた。


 ルーチェが来てからずっとノー残業で、定時には施錠されていた部屋が遅くまで使われ、それが何度か続いたことで何をやっているのか聞かれた。繕い魔法のベースとなる刺繍の刺し方を教えていることを話すと、私も習いたい、と魔法騎士団の団員達から便乗レッスンを頼まれた。ヴァレリオも別に構わないというので、次のレッスンは会議室で行うことになった。


 レッスン志願者の半数は繕い魔法に興味を持つ者で、半数は副団長狙いのようだった。

 針と刺繍糸、刺繍したい物は自分で用意してもらい、単純な平縫いから始めると、裁縫に興味のないものは早々に飽きていたようだった。

 基本は終え、新しいステッチを繰り返し試すヴァレリオは会議室の端で完全に集中していて、

「ここが判らないんですがぁ」

と、ちょっと甘えた声で聞く者の声がその耳に届くことはない。

 そして、のぞき込んだ者も驚くほどに、ヴァレリオの繕い魔法は強かった。

 元々魔力が確かだからこそ、副団長にまでなっているのだ。そうした人が優秀な繕う者に師事し、練習を繰り返せば、お守りなどというレベルを遙かに超えた、魔具に近いものができあがってしかるべきだ。

 これには、繕い魔法に興味ある面々が目を輝かせた。

 しかし、ルーチェには糸に魔法を込める方法は教えられない。

 それでもルーチェやヴァレリオの針の運び方を見ているうちに、一人、また一人と糸に魔力を乗せることができるようになっていく。さすがは魔法騎士団の団員だ。

 一区切りを付けて、顔を上げたヴァレリオが、うちの一人の魔力の乗った糸を見て、その魔力を魔法につなげて糸に定着する方法を教えると、早速みんなが試しだした。

 ルーチェも少し試してみると、わずかに魔法のような反応を示したものの、周りの者達が魔力さえ糸に乗せればすんなりと魔法を展開していくのに比べれば何もないに等しく、明らかに不出来だった。

 できなかったことができていく喜びに満ちた周りに対して、やはり自分は母のように繕い魔法を発することはできないのだ、ということを痛感し、落胆するしかなかった。ずっと判っていたことなのに。


 会議室を片付け終わると、今日の受講生とヴァレリオがどこかに食事に行く話をしていた。ルーチェはそこで別れ、ヴァレリオの道具も預かり、執務室に道具を置きに戻った。

 誰もいない部屋で、昔言われた一言が耳に蘇ってきた。

  できないのか…

 父の言葉。感情を抑えてはいたが、明らかに落胆した表情。引き取られた自分は、期待に添えなかった。

 ルーチェは、自分のシャツの胸の部分をぎゅっと握りしめ、一呼吸つくと、自分を励ますために無理に笑顔を作り、

「大丈夫…、平気」

とつぶやいた。


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