11 繕い物はお断り
明日は休日、と言う日の夕方。
少し時間をずらして宿舎に着いたにも関わらず、ブルノがいた。
姿を見つけ、ダッシュで逃れようとしたものの、あと一歩のところで肩を掴まれ、引き戻されてしまった。
「何逃げてんだよ! ほら」
有無を言わさず、手に持っていた袋を無理矢理渡すと、
「待たせてんじゃねえよ」
と悪態をついてきた。
人に仕事を頼む人間の態度じゃない。第三騎士団にいた頃は仕方がないとあきらめていたが、こうして離れてみるとやはりおかしい、と思えるようになった。
「自分が引き受けたなら、自分でやればいいじゃない」
「おまえが異動になったから、こっちに押しつけられてんだろうが」
自分が進んで異動になったわけでもないし、異動にならなければずっとルーチェ一人にやらせて手伝いもしなかったくせに。このままでは定期的に持ってくるようになるだろう。あまりの理不尽さに、黙って受け取るわけにはいかなかった。
「…これ、団長も知ってるの?」
「ああ?」
「よその部署の人間に手入れの仕事を回してるの、団長も承知でやってるのね?」
一瞬焦った顔をしたが、すぐに低い声で
「チクる気か?」
と言うと、すごみをきかせて睨みつけてきた。
当然、団長がこんなことを許すわけがない。
「チクられて困るようなこと、してる自覚あるんだ…」
ルーチェの溜め息をつく姿に、ブルノは口をとらがせて
「他に頼む宛てがないんだよ」
と珍しく弱音を吐いた。しかし、この一年、他の先輩方と一緒に散々こき使われてきたことを思うと、同情の余地はない。
「私が困ってる時は、助けてくれなかったのに、自分は助けてもらえると思ってるんだね」
さすがのブルノにも、少しは罪悪感があったらしい。目をそらしてぼそぼそとつぶやく言い訳を無視し、
「次持ってきたら、こっちの団長に相談するから」
そう言い切って、宿舎に入ろうとしたが、ふと振り返り、
「できあがったら持ってきてもらえるなんて、甘えたこと考えないでね」
と念を押した。
「みんなで話し合ったら? …洗濯屋さんに出せば済むことでしょう? そのための経費もあるって聞いたけど」
ルーチェがいる前は、洗濯屋に繕い物も頼んでいたと聞いていた。その金を惜しみ、中の人を働かせて、結局は酒代に化ける。
人に任せるのは簡単だ。そして慣れてしまうとありがたいとも思わない。任せられた人の苦労も省みることはない。
団のため仕方ないと思って頑張ってきたことが、悪い方に向かっていたんだな、とルーチェは自分の独りよがりな対応を少し反省した。それなりのメリットもありはしたが…
休みの半分を預かった繕い物に費やしながらも、以前はなかなかできなかった街への買い物に時間を取ることができた。第三騎士団にいた頃はとかく休みの日は寝ていたかった。
今は残業がなく、かつてはサービス残業ばかり。さほど懐具合も豊かなわけではなかったが、心に余裕があるせいか、自分の身の回りの物やお菓子を買ってみる気になった。
こんな風に過ごすのは、いつぶりだろう。
懸命に勉強し、鍛錬を受けて、入団した騎士団だった。
追いかけてきた兄に三年間の期限付きで騎士団にいることに了承を得たが、あと二年もない。
恐らく戻れば家のために嫁にでも行かされるのだろう。そうなる前に父や兄の手の届かない、東の辺境か南の地に職を得ようと考えていたが、今のところつてになる人にも巡り会えていない。それどころか、騎士としての仕事外の下働きに毎日を振り回されていた。まあ、下働きは家でもやっていたことで慣れてはいるが、できれば再就職は洗濯屋の繕い物担当より、騎士がいいと思っている。
今回の異動で、二人目の団長と知り合いになることができた。機会があったら次の仕事を紹介してもらえそうか、聞いてみるのも悪くない。
残った繕い物を昼休みにしようと、週明けに職場に持ち込んだが、その日は雨で中庭には行けなかった。
ヴァレリオは食事に出ていた。誰もいなくなった部屋で軽く昼食を済ませ、早速繕い物に取りかかる。
胸当ての紐が取れているのを縫い付け、ボタンを付け、刃物で切れたと思われる袖口を縫う。
縫い目は 愛しき君のため
込めし祈りは 君の無事…
気配に気がついてふと顔を上げると、いつからいたのか、ヴァレリオがルーチェの繕う作業をじっと見ていた。ぼそぼそと歌を歌っていたことにはっと気がつき、急に恥ずかしくなったが、
「懐かしいな、その歌」
と言われて、同郷だったのを思い出し、嬉しくなった。
「剣だけじゃなくて、針も使えるんだな」
話しながらもすいすいと動く手さばきを、ヴァレリオは感心して見ていた。
「母が繕い物をしてましたから。時々手伝ってました」
「にしても…。何縫ってるんだ?」
その質問に、思わず手が止まった。
あまり見せていいものではなかったかも知れない。
騎士団の物らしき服を手にしていることで、ヴァレリオも察しがついた。
「やらされてるのか」
言うに言えず、黙ったまま手を動かすと、
「小遣い稼ぎか?」
と聞かれた。即座に首を振り、
「いえ、お金は…」
と答えると、即
「断れ」
と言われた。少し怒っているようだった。
「…次持ってきたら、抗議するって言いました」
「断り切れないなら、俺が断るから言え。こういうことはずるずるすると相手がつけあがる」
副団長にそこまでしてもらうのはさすがに気が引けたが、団長に相談しても同じ対応になるに違いない。
「…アガッツィ様は、グローブとか、繕い物屋さんに出されますよね」
ふと聞いてみると、
「ア…、やっぱりアガッツィ様は落ち着かないな…。ヴァレリオにしてくれ」
と、名前呼びを勧められたが、そういうわけにはいかない。ルーチェが返事する前に、先の答えが返ってきた。
「繕い物を洗濯屋に出すことはないな。家で頼めばやってもらえるし、直せる物は自分で直す」
貴族階級の者に聞く質問ではなかったな、とルーチェは自分の愚問に少し恥じたが、「自分で」と言う答えにはさすがだなと思った。
「…ライバルには、任せない方がいいですよ」
そう言うと、ルーチェはくすりと笑って見せた。
「特にグローブとか、靴とか。すり減り方で、どんな指使い、足運びをするのか、体の重心の取り方とか、結構読めますから。魔法が使える人なら、滲んだ魔法の癖も判るかも知れません」
ただ仕事を頼まれていただけじゃない。情報収集もやっていたのだ。
それを聞いたヴァレリオは
「おまえ、…結構恐いな」
と言いながら、にやりと笑った。
その日の帰り、一緒に部屋を出たヴァレリオは、何も言わずにルーチェについてきた。
いつまで進んでも後ろにいるので、何だろうと思っていたら、宿舎の手前でブルノが待っていた。
「取りに来てやった…ぞ…、!!」
明らかに驚いているブルノ。視線から後ろを見ると、ついてきていたヴァレリオが、睨みを効かせていた。
「ほう、第三騎士団から頼まれていたのか…」
「お、おまえ、チクったのか」
うろたえるブルノに、氷の視線を送り続けるヴァレリオ。ルーチェは、
「残りの、持ってくる」
と声をかけると、宿舎の自室に戻った。
ヴァレリオと二人だけになったブルノは、気まずそうな顔をして、目をそらしていた。
「各団には、洗濯代も修繕代も支給されている筈だ。横領を疑われたくなければ、ちゃんと金を払って人を雇うことだ」
「あ、あれは頼まれた物で、ルーチェとは友達で…」
「おまえは友達に仕事を押しつけるのか。部署も離れた友達に、あれだけの量を」
ヴァレリオは、自分が見た袋に入っていた繕い物を言ったつもりだったが、しばらくするとルーチェは追加で三袋分の繕い物を持って来た。
さすがにこれにはヴァレリオも驚いた。
「おまえは…。これを引き受けたのか?」
「え、まあ。次はないって…」
「引き受けたんだな」
睨まれて、脅しのかかった声に弱々しく
「…はい」
と答えると、続けて
「どれだけかかった」
「お休みの半日と、昨日の夜と…」
さらに今日の昼休みもかかっているのは、ヴァレリオ自身が見ている。
「ばかたれが!」
ヴァレリオはルーチェを一喝した。思わずしゅんと俯くルーチェ。その姿をしばらく睨み続けていたが、ブルノに向きやると、ルーチェに袋を渡すよう顎で指示した。
「人の休みを奪うな。次はないと思え!」
低く、ドスのきいた声で怒鳴られたブルノは、青ざめていた。
「は、はい!」
ブルノは袋を受け取ると、そのまま走って逃げるように去って行った。
その姿が見えなくなるまで腕を組んで睨み付けていたヴァレリオは、軽く溜め息をつくと、何も言うことなく魔法騎士団の本部に戻る方向に歩き出した。
「あ、あの、ありがとうございます」
ルーチェが礼を言うと、急に足を止め、振り返った。
その顔にはもう怒りはなく、何かを思い出したかのように、
「おまえ、繕い物、得意だな」
と、問いかけた。
「はい」
その答えに軽く頷くと、
「明日、…相談がある。じゃ。」
それだけ言うと、軽く手を振って去って行った。
いい人、なんだろうなあ。
ルーチェは、ヴァレリオの姿が見えなくなるまで見送りながら、騎士団に来てから一度も味わったことのない爽快感に、こみ上げる笑みを押さえることができなかった。