93 夫を待つ女性
「あのね、死のうとしたわけじゃないの。夫のところへ行こうと思っただけなのよ?」
沖に向かっていた女性を翔馬が抱えて波打ち際まで連れ戻した後、ハニー・ビーの洗浄と乾燥の魔法でさっぱりしたことに女性はたいそう驚いて目を丸くした。
翔馬が
「自殺、ダメ、ゼッタイ!死んで花実が咲くものか。生きてれば美味しいものも食べられるし、綺麗なものも見れるし、楽しい事もあるよ!辛かったら話を聞くから。いったん死んだらやっぱりやめたって思っても生き返れないし、俺が助けになれる事ない?」
と言うと、ハニー・ビーが
「命はその人の物だけど、このにーさんはお節介でしつこくて鬱陶しいけど善人だし、目の前で人が死ぬのを黙ってみていられる人じゃないから」
と言う。
「え?私、死のうとしてたの?」
きょとんとした顔で言われて、ハニー・ビーたちの方が面食らう。
「え?違うの?だって、その格好で沖にずんずん進んで行ったらそうとしか見えないよ」
そこで冒頭の台詞である。
「誤解させてごめんなさいね、私はマリナ。私の夫は漁師なの。夫の実家は大きな網元なんだけど、独立心が強くてね、家の船に乗って安定した稼ぎをを得るんじゃなくて、何人かの仲間と一緒にこれまでにはなかった漁場を開拓して、あまり水揚げされていない魚を流通させようって頑張ってるの」
マリナが自殺志願者らしからぬ満面の笑みで夫のことを語るので、ハニー・ビーと翔馬は顔を見合わせた。
(ヤバくね?)(ん)と目で会話している二人をよそ目に、マリナは更に語る。
「それでね、いつも長くても一週間くらいで帰って来るのに、今回はもう三ヶ月も帰ってこないの。大きな船じゃないから食料や水もそれほど積んでないし、もしかしたら別の港で補給しているのかもしれないけどやっぱり心配なの。待っているだけって辛いわよ。だから、こっちから会いに行こうかと思って」
船で漁に出た夫が三ヶ月も帰ってこない。やむを得ない状況で他港に停泊したとしても連絡くらいはするだろう。
夫を待つマリナは考えたくない事だろうが、この状態は最悪の事態を示唆していないだろうか。
「旦那さんのこと、大好きなんだね」
マリナの夫がこの世にいない可能性が大きいだろうという事を察しつつも、ハニー・ビーはそれを面に出さずニコニコしながら言う。
「うふふっ」
恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑うマリナを痛ましく思う翔馬は、彼女は自分たちの手には負えない、事情を知る家族なり友人なり――あるいは医者の手にに引き渡した方がいいだろうと思った。
それはハニー・ビーも同様だったようで、彼女に手を差し伸べる。
「あたしたち、昨日この町に来たばっかりなんだ。もしよければ、ご飯の美味しいお店とか教えてもらえないかな?」
「あ、俺、刺身食べたいんだけど、いい店知らない?」
とりあえずは海から離れ、町中へ戻る必要があるだろうと、人がよさそうなマリナが断りにくいお願いをしてみる。
「えー……と」
「良かったら、旦那さんのこと、もっと聞かせてほしいな。あたしもこっちのにーさんも、まだ、一人なんだよ。結婚って、ずっと一緒に居たい人がいるってどんな感じ?」
逡巡するマリナの好きそうな話題を振って、やや強引に腕を取ってもと来た道を戻るハニー・ビーと後ろから付いて行く翔馬に、マリナは諦めたように笑って三人は海辺を後にした。
「ハニー・ビーちゃんはまだ15なんでしょう?私が夫と出会ったのは17歳の時で、それまで私も誰かをこんなに好きになる事があるなんて思わなかったわ」
「そうなんだ、じゃ、あたしもまだ焦らなくていいのかな」
「とてもとても優しい人よ。最初はちょっと荒っぽいし強引だしで怖い人かと思ったんだけど」
「へー、割とごつい感じの人?海の男だもんなー」
「傍にいるだけで幸せなの」
「そっかぁ、良かったね」
「早く子供が欲しいって私は思うんだけど、あの人がもう少し二人きりを楽しみたいっていうの。今、開拓している漁場の目途が立てばもっと収入も増えるから、それからにしようって」
「へー、そうなんだー」
「私も働くって言うのに、家で待っててほしいって言うのよ。その後小さな声で、お前が誰かに見初められでもしたらどうするんだなんて言って真っ赤になる可愛い人なの」
「ああ、うん、そっかぁ」
マリナの惚気に二人の返す言葉が生返事になってきたのは仕方ない。ハニー・ビーは彼氏いない歴=年齢だし、翔馬も遊んだ相手はいても惚れこんだ相手はいなかったし、今は色恋よりも異世界であるランティスを楽しむことと、まだ見ぬ異世界であるハニー・ビーの故郷に思いを馳せることしか頭にない。
二人の反応をマリナは気にする様子もなく、惚気は止まらなかった。
食いつきがいい話題として選んだが、決まった相手も思う相手もいないハニー・ビーと翔馬にとって、延々と繰り出されるマリナとその夫との愛の劇場話は、思ったよりもダメージを食らうものであった。
町に戻ると、マリナの知己らしき女性が二人駆け寄って来て、ハニー・ビーらの様子から何かを察したのだろう、礼と謝罪を口にして彼女を引き取ってくれた。
「あ、でも、ハニー・ビーちゃんたちに美味しいお店を教える約束が――」
「私が案内するよ。マリナのこと小父さんが探してたから、早く帰った方がいいと思う」
「そう?なにかしら?ハニー・ビーちゃん、ショーマさん、案内するって言ったのにごめんなさいね?」
「ん、だいじょぶ。きっとなにか用事があるんだよ、早く帰った方がいいと思う」
「マリナちゃん、また、機会があったらよろしく」
「ええ、次に会えた時には絶対に案内するわ」
マリナが去ったあと、残ってくれた女性に彼女のお勧めの地元で人気の海鮮料理屋に案内してもらう最中に海辺での出来事を話すと「やっぱり……」と沈んだ様子であった。
自分たちは旅の人間だし、他言はしないからと伝えて店の前で別れる。
「失う事を考えるだけで精神的に大きなダメージ食らうほど好きになるって、どんな気持ちだろうね」
ハニー・ビーがぽつんと言ったが、翔馬にもそれは分からない事だった。




