91 海は遠かった
「おー、潮の匂いだー!ひっさびさの海!楽しみだ―」
まだその姿は見えていないが、空気の湿り気と匂いとが海が近いことを知らせる。
「遠かったね……」
「だねー、でも、もうちょっとだよ、ビーちゃん」
「今のは嫌味だったんだけど」
「え?嫌味?なんで?」
地図を見ておおよそ十日かかるであろうと見た距離だったのに、ランサの町を出てから既に四ヶ月も経っている。
なぜ時間がかかったかというと、それは偏に翔馬のせいである。
海を目指した日に大の男に絡まれている少年を救ったのを発端に、貧しすぎる村の再建、枯れた井戸の調査、貴族VS無頼漢に闘争に遭遇して調停、異常発生した虫の駆除と原因解明、孤児院を装った児童買春組織の摘発などなど。
これらをこなして四ヵ月なのだから、いっそ早かったと言えるのかもしれない。
最初は「ビーちゃん、どうしよう」だった翔馬も、数をこなすうちに経験を培ったか自ら動くようになり、ハニー・ビーはただ見ていることも多くなった。
この”経験”はハニー・ビーの行動を基にしているため、ガーラント辺りが見たら目を覆うような影響も多少受けてはいたようだが。
こんなにゆっくりと進行し、しかもあちこちで問題を解決しているのだから、彼らの噂は旅の進みよりも早かった。二人の外見が特徴的な事も相まって、行く先々で指をさされて噂されたり、困りごとがある人から声を掛けられたりして、更に進みが遅くなったのである。
こうなると詐欺やハニー・トラップ、自分に非があるのに彼らを言いくるめて相手を蹴落とそうとする輩も出てくる。
ハニー・ビーは肌と鼻でそういう相手は看破できるが、なぜか不思議な事に翔馬もその手の相手には一切引っかからなかった。
いつもの翔馬からは考えられないほどに、バッサリと頼みごとを断るのを不思議に思ってハニー・ビーが訊ねると
「んー、今の人は別に俺が手を貸す必要は無いように思ったんだよねー」
との事。
これも勇者の能力なのかなーと、ハニー・ビーは翔馬の今後を思って安堵する。
お人好しで人助けが趣味のようなこの勇者が、もしも騙されやすい性質だったら……。いっそのこと安全圏であるランティス城で、信頼できる相手とだけ付き合った方がトラブルがなさそうだと思ったのだが、その必要も無いらしい。
ライとクラウドも海の匂いを感じたか、鼻をうごめかしている。彼らもまたハニー・ビーと同じで初めての海なのだ。
「これが海の匂いなんだ?」
ハニー・ビーもくんくんと鼻を動かして、翔馬の言う海の匂いを嗅いでみた。今まで嗅いだことのない匂いで、お世辞にもいい匂いとは思えなかったが、そう言うものなのだろうと自分を納得させる。
「この匂いが強い海はねー、プランクトンが豊富で豊かな海なんだよ。きっと、魚介類も豊富だろうから楽しみだなー。刺身あるかな、刺身食べたい」
海育ちの翔馬の心は、まだ見えぬ海に飛んでいる。海にというより海にすむ美味しいものに、かもしれない。
「魚好きなんだけど捌けないんだよなー。こんなことなら日本にいたときに習っておけばよかった」
「ん?別に今からでも習えばいいよ。教えてくれる人を探すのは大変、かもだけど」
「だよねっ!そうだよねー、やらなかったことを後悔するより、今からでもやってみればいいんだ!ビーちゃん、ありがとう!出来るようになったらビーちゃんに食べさせてあげるからね。あ、ビーちゃんって、料理は出来るの?」
この旅の間、町や村に寄った時に料理や食料を買い込んでは収納して、野宿の時にはそれを取り出して食べていたため、二人とも料理と言うほどの事はしていない。お湯を沸かしてお茶を淹れたのがせいぜいである。
「んーん。あんまりしない」
「あんまりって事は、少しは出来る?」
「ん、ご飯炊いたり、肉をさばいて焼いたり、食べれる野草でスープ作ったり、くらい」
魚を捌けない翔馬と獣を捌けるハニー・ビー。
これが環境や価値観の違いと言えばそれまでなのだが、翔馬は動物を捌くのはそれを生業にしている人か、猟師さんくらいだった日本との違いを感じた。
(冒険者ギルドがあるんだもんなー。日本とはそりゃ違うよなぁ。あ、俺も冒険者になるとしたら解体くらいは出来るようにならないとダメ!?ビーちゃんに連れて行ってもらう世界で俺が出来ることって何だろう?
獣人キタコレ!とか冒険者ギルドは異世界転移のお約束ー!!なんてはしゃいでいたけど、本当に俺、冒険者とかやれるのかなぁ。
だって俺はラノベの主人公じゃないし、聖女召喚の失敗で来ちゃった勇者だし。
……あー、駄目!後ろ向きにならない!
ビーちゃんが「怒れ!」って言ってくれても中々出来ないけど、それでも新しい世界で自分が出来ること見つけて、で、楽しもうと思ったんじゃないか。
――何が出来るか、じゃない。
――何をしようか、を考えよう。
俺は聖女にも魔女にもなれないけど。
俺は、俺だから)
勝手に落ち込んで勝手に浮上している翔馬の様子を、ハニー・ビーは不思議そうに見ていた。




