82 寂れた町 8
「あ、はーい。俺も行く?それとも、ここで守りに徹しておこうか」
「ん。にーさんはこっちをよろしく。あの錠剤は造血剤。一人2粒飲ませて」
「おっけー」
翔馬とハニー・ビーが緊張感のない会話をしていると、話していた三人だけでなく部屋の中にいる無気力な人たちも彼らを見た。
この施錠された地下室から出て行くなど荒唐無稽に思えるが、もしかして……という希望が生まれた瞬間である。
「隠形」
「えっ!?」
「消えた……」
ハニー・ビーが隠形を使うと、彼女の姿が見えるのは翔馬だけになる。
周囲の驚愕の声を気にせずに出入り口へ向かった彼女は「開けゴマ」と唱えると、確かに鍵がかかっていた筈の鉄格子が音もせずに開いた。
「ビーちゃん!」
出て行こうとするハニー・ビーに翔馬が声を掛ける。ハニー・ビーは隠形で皆の目に映らないので、傍から見れば翔馬の一人芝居のようだ。
「ん?」
「その”開けゴマ”って……」
「師匠に教わった開錠の呪文だけど?」
どうかした?というように首を傾げるハニー・ビーに、今はその話を掘り下げている場合じゃないと翔馬は思い直して「何でもない、行ってらっしゃい」と送り出した。
ハニー・ビーが去ったあと「やっぱ、師匠さんが日本人か、周辺に日本人かその関係者がいるかだよなぁ」という呟きは、誰の耳にも届かなかった。
翔馬が地下室の住人たちに造血剤と果物を取らせ待つこと暫し。あっけないほど簡単にハニー・ビーは証拠を見つけて戻ってきた。
「領主夫人てばマメな人で日記付けてたんで貰ってきた」
あっさりと言うハニー・ビーに、翔馬以外の人々は驚きを隠せない。年端もいかぬ少女の手際の良さと規格外の能力の一端が誰の目にも明らかに映っていた。
ハニー・ビーが出した日記は7冊。流し読みしてきたというハニー・ビーが言うには、やはり領主夫人は翔馬が言った血の伯爵夫人と似たようなことをしていたらしい。
血の伯爵夫人と違うのは、処女の血に拘らない事と拷問や殺人には興味が無かったことだ。
純粋に――というのもおかしいが、自分の美貌を保つためだけに血を欲していたのである。
「これ、証拠になるし、脱走して訴えようか」
電光石火である。
アリウス達もまさか依頼をしたその日にここまで話が進むとは思っていないだろう。
依頼したというより、依頼させられた形かもしれないが。
「いや、でも、これだけの人数、しかも弱ってる人たち連れてガラウェイまで行くのは厳しいんじゃないかな」
「んー。どうしよっか」
「あ、あれは?王都の狂騒事件の時の”動くな”と来訪者転移魔法陣!」
王都でハニー・ビーを攫おうとし、フォセカらを拉致して売りさばこうとしていた狂騒一味。その隠れ家に乗り込んで一味を魔力を乗せた声で金縛りにし、屋敷に訪れた人間を玄関に設置した魔法陣で地下に転移させて拘束したというハニー・ビーの武勇伝を聞いていた翔馬は、あれと同じでいいだろうと提案した。
「あー、ん、そうしよっか」
ハニー・ビーも納得して頷く。
「あたしとにーさんは馬がいる。それぞれに一人ずつ同乗させてガラウェイに行こう。この館にいる人間は行動不能にしておくし、だれかがやってきても地下に飛ばすようにする。安全にしておくから、皆さんには待っててもらおう。あ、もちろん地下じゃなくて、上のもっといい環境の場所でね」
とりあえず声で縛って来るとハニー・ビーはまた地下室を出て行った。今度は鉄格子の扉は開けたままだったので、捕えられていた人々は今にもここから出たい様子でソワソワしている。絶望しかなかった地下室で見えた初めての希望は弱り切った体と心をも復調させた心持ちだろうが、気持ちはともかく体はそうすぐに回復する訳もない。翔馬は穏やかに彼らを宥めて歩く。
最初に翔馬らと話していた男女三人が直訴に行く意思を見せたが、あいにく馬は二頭しかいないので、話し合ってもらって体力が劣る女性は居残りという事になった。
「おまたせー。みんな、上に行こう。ここを空っぽにして、上にいた人たちを纏めて詰め込むから」
「ねー、ビーちゃん、それって領主夫人も含む?」
「あ、その人はいなかった。えらそーな人に聞いたら、今は王都にいるんだって」
ハニー・ビーを先頭に階段を歩きながら翔馬が訊ねる。
「ああ……通りでここ何日かは血を抜かれてない」
「ん?そうだったんだ?」
「ああ、たまにあるんだ。数日から半月位のブランクが。不在とは知らなかったが、そのブランクに俺たちの順番――血を抜かれる番が回ってくるはずだった。それが抜けたんで、幾分持ち直した感じだな」
「そっか。ローテーションだったんだね」
血液の供給者がむやみに死なないように人数をそろえてローテーションを組んでいたのは、決して慈悲ではないだろう。道具を長く使うための手段として、ロストを防ぐための措置
それゆえに彼らは死ななかった。それゆえに彼らは苦しみを長引かされた。
今この状態ならば生き残った事を喜べるが、ほんのついさっきまでは、いつまでこの地獄が続くのかと絶望しかなかったのだ。
階段を上るのにも息を切らすほどに体力が低下している彼らは、それでも表情は明るかった。




