08 渡りかけた橋 2
通報があった、いや、連れさられていないと押し問答の末、トティに路地の奥に怪しい人影が無い事を確認させ、何より怪我もなく一人でいるのだから問題なし、とハニー・ビーが押し切った。
それで終わったはずなのに、さて、根城へ向かおう――とグリージョの生命痕を辿り始めたハニー・ビーの後を何故かトティが付いてくる。
「鬱陶しいんだけど?」
「気にしないで。巡回のついでにお嬢さんが目的地にちゃんと着くことを確認したいだけだから」
「ウザい」
「気にしない、気にしない。にしても、目的地があるような歩き方じゃないんだけど?」
目的地はある。ただ、それが何処かは分からないだけだ。
グリージョの生命痕を辿っているうちにいつかは根城に到達するだろうが、今のところは彼女が歩いた道を逆から追跡しているだけなので、あちらへふらふらこちらへぶらりと言った体に見えるだろう。足の向くままに思われてしまうのも仕方がない。
隠形を使って適当に撒きたいところではあるが、自身の容姿も服装もこの国――あるいはこの世界では非凡らしいから、捜索しようと思えば目撃情報には事欠かないだろう。痛くもない腹をさぐられて手配されても困る。あたしは、何も悪い事をしていないのに。
グリージョたちから財布を奪ったことは慰謝料の徴収なので”悪いこと”には当たらないとハニー・ビーは思っている。
私刑は元の世界においては法外でない限りある程度はお目こぼしされていたが、法律上では禁止されていた。さて、ランティスではどうなのかな?捕縛される気はさらさらないし、問答無用で来るなら返り討ちだ。そう決めているハニー・ビーは、それが出来るだけの力を持っている。
そっか。なら、やりたいようにやるか。
トティの上の人間がグリージョたちの顧客であたしの獲物を庇うなら、それごと潰してしまえ。
彼女を召喚したガーラント達が聞いたら土下座で許しを請うような決意をしたハニー・ビーは一人合点してうんうんをといた。
この国、瘴気云々以前に上つ方が腐ってんじゃね?ま、どこの世界のどこの国だって、腐敗が全く無いなんてことは無いんだろうけど。
するべきことを定めた魔女は、付いてくるトティ彼の言う通りに気にしない事に決めて歩き出し、30分ほどでグリージョの根城を突き止めたのだった。
そこは一見するとただのお屋敷だった。
塀には忍び返しがついており門には屈強な門番がいるものの、屋敷自体は少女趣味で洒落たもので、犯罪者のアジトには見えない。ただし、魔女がまた視覚を切り替えて内部をさぐると、地下に鎖付きの少女がいたり、屋根裏に衣服も付けずに四つん這いで床に置かれた何かを食べている少年がいたりと、グリージョが少女に言ったことは脅しの為の誇張ではなく真実であった事が知れた。
むっかつく。どうしてくれようか。
外観では裏家業の人間のお家には見えない。派手な装飾品をつけていたグリージョの好みにも見えないから、彼女はトップではないのかもしれない。三人の男たちに命令する様は堂に入っていたから幹部くらいではあっただろうか。
「お嬢……」
トティが声を掛けようとすると、ハニー・ビーは自分の口に立てた人さし指を当てて「黙って」と伝える。
「あたしがすることに口出し手出し無用。従士のにーさんは勝手に付いてきたんだからあたしは気にしない事にしたし。一言言っておくと、ここは犯罪者の巣だからぶっ潰しまーすってこと」
「え?は?なに?」
唐突な宣言に付いてこられないトティのことは、先ほど宣言した通りに放っておく。
隠形することなく門へと歩いて行ったハニー・ビーは、門番の前で鼻をうごめかし、匂いを確認した。うっすらと匂ってきた横道者の香りに、大した罪を犯したわけではないが真っ当でもない、と判断する。
ちょこっとお仕置きするくらいでいいか。
この国の司法機関や法律を全く知らない魔女にとって、罪状や量刑は自分の鼻と気分次第なのである。
「本日、面会の予約などは無かった筈ですが、お嬢さんは――」
「動くな、喋るな」
魔力を乗せた言葉で命令された門番が、少女が横を通り過ぎるのを阻止する事も出来ずにただ蒼白な顔で立っているを見て、トティは負けずに青い顔をして彼女の後を追った。
自分もあのようにされるではないかと言う恐怖と戦いつつも後追いをやめなかったのは、国を民を守る騎士であるという矜持をこれからも持ち続ける為、そして怖いもの見たさのせいである。
後々、あの時に少女の後を追ってあの屋敷に入った事は正しかった、むしろ付いていかなくてはいけなかった。あの時の俺、偉い!と幾度も回想することになるトティであるが、今この時は震える体を叱咤して足を進めるだけで精いっぱいだ。
彼女は誰かに行きあう度に「動くな、喋るな」と言葉を発して身体の拘束をし、勝手知ったる家であるかのように迷いなく進んでいって、ある部屋では四つん這いで素裸の少年に服を着せてやり、ある部屋では少女を拘束している鎖をその手で砕き、またある部屋では赤子のまま育ったような獣じみた威嚇をする幼児を優しく抱いてその背を撫でてやった。
俺は何を見ているんだ。
トティはこの屋敷やグリージョ達の悪名を知っていたし、証拠さえあればと悔しい思いもしていた。だが、証拠もなしに家宅調査など出来やしないし、彼らを訴えるものもいなかったために歯がゆい思いをしていたのだ。上層部との癒着のうわさが真実なのか、この件にはかかわらないよう暗に命令されてもいたが、彼はそれを良しとはしていなかった。
今日、異国の少女がグリージョに誘い込まれたと聞いてこれぞ好機と勇んだものの、その後の成り行きは想定外にもほどがある。
誰に話しても信じては貰えないだろうなぁ……と思いつつ、動く者が少女と捕らわれていたらしい子供達、それとトティだけになった時、彼は悪事の証拠を集め始めたのである。