聖女な私は人間が嫌いだ6
パレードが終わった後も、式典や夜会があり、忙しくて気が休まることはなかった。不快な人間に囲まれ、私の心が荒んでいくのと同時に、夜は更けていく。式典は何事も無く終わったものの、夜会についてはまあ、その、ノーコメントで……。
夜中となりいつもは寝静まっている時間でも、城内の空気は浮足立っていた。着替える時間は無かったので、夜会のときのままのドレスで、殿下に呼び出された大広間を目指した。
二人で会うには広すぎる部屋の、長い長いテーブルの向こう側に殿下はいた。殿下も着替えておらず、夜会での衣装のままだった。ワイン片手に私を待っていたようだ。
私が席に着くと、私の前に紅茶を置いて侍女は退室していった。広すぎる部屋で二人だけになる。
「た…………わ……て…………い」
遥か遠くで、殿下が何か言っている。……何を言っているのか、さっぱり分からん。
声が届かないということを考えなかったのかと思いながら、ジェスチャーで聞こえないとアピールをする。自分のワイングラスと椅子をもって、殿下が場所を移動したので、数メートル殿下が近づいた。
そして相変わらず何か口走っているが、私には何を言っているのか全然分からない。殿下が再び場所を移動した。
なかなかにシュールで、情けない光景を何度も繰り返し、ようやく殿下が何を言っているのかが分かった。何度も同じ内容のことを繰り返し言ったせいで、雑になっていると思う、たぶん。最初と言葉の長さが、全く合っていないし。
「俺と結婚してくれ」
「嫌です」
条件反射で即答した。
「まだ話は終わっていない。最後まで話を聞いてくれ」
「嫌です」
殿下は自分が何を言っているのか、分かっていないのだろうか。
「第三王子ジークラート・ドラゴノイズの名において、リリア・エレンターレ伯爵令嬢に話を聞くことを要求する」
何と大人げないのか、そう言われたら一伯爵家の人間は言うことを聞くしかない。
「殿下の仰せのままに」
込められるだけ不満を込めて、返事をした。大人しく話を聞くのも癪なので、言いたいことは言っておく。旅の間はジークと呼んでいたけれど、王子として要求されたので、しっかり殿下呼びすることにした。
「私が人間嫌いだということは、殿下がこうして大広間を指定した時点で、分かっているはずです。私が人間嫌いと知ったうえで言っているなら、殿下は特殊な趣味をお持ちなのですか? ドМというやつですか?」
「違う。ただ一緒に旅するうちに、君のことが好きになった。結婚するならば、君以外考えられない」
「夜会で先程、あんな目に合わされたのに。やっぱりドМ」
「だから違う」
「セレンさん達も殿下はドМだと」
「なんだと!? いやもうドМから離れてくれ。はぁ、俺は君と一緒に過ごしたいが、その取りつく島も無い態度から、君が俺と過ごしたくないのはよく分かる。ならば、こういうのはどうだろうか。へーんしん!」
殿下は立ち上がり、両手を大きく振りかぶると、不思議なポーズをとって発光した。まばゆい光が収まると、そこに現れたのはあの小さな赤いドラゴンだった。もちろん殿下の姿はそこには無い。つまり殿下=ドラゴン。そりゃドラゴンに会った直後に、殿下の姿を見かけないわけだ。今さらながらとても納得だ。
「そういえば殿下は旅の間に、七色に発光したこともありましたね」
「今それ言う? もっと他に言うことがあるだろ」
「リゲルが呼吸困難になるぐらい爆笑していました。さすが殿下です」
「褒められているのか、貶されているのか……」
首を傾げる動きは、完全にチビだった。もう二度と会うことは無いだろうと思っていた、あのチビが私の目の前にいる。
「思っていたかたちではないけれど、約束守ってくれたんですね」
「約束したのだから、当たり前だ」
何よりも殿下らしい答えだった。
「思っていたより驚かないな。まさか分かっていたのか?」
「まさか。今まで分かりませんでしたよ。分かっていたなら、旅の間にあんな愚痴を言ったりしません」
「それもそうだな。これについて説明しておくと、我が王家にはドラゴンの血が流れていて、王家の血をひくものは、ドラゴンに変身できる。あまりにも威厳がない姿なので、一切公にはされていない」
確かに威厳とは無縁の姿だ。一言で表すなら、かわいいしかない。私もだいぶ癒されたし、何度もなでなでした。公にしないのは、実に正しい選択だ。
もう一つ気になったことがある。
「変化の掛け声は、殿下の趣味なのでしょうか」
「君が言いたいことはよく分かる。だが建国王が言うには、変身とはこういうものらしい」
建国王とは、この国の初代国王のことを言う。建国王の感性は、常人には理解できないものだったようだ。
「話を戻すが、この姿ならば一緒に居ても嫌ではないだろう? いまさら実は嫌だったとか言われると、かなり凹むのだが」
「その姿ならば大丈夫ですよ」
宙に浮いていた殿下はパタパタと近づいてきて、私の目の前にちょこんと降りたった。
「俺は将来臣下に下って、公爵になる予定だ。勇者だからと王に推す声もあるにはあるが、俺は王に向いていない。兄上の方が王の器をもっている。ということで俺と結婚すると、公爵夫人となるが、リリアが公爵夫人となっても、何もしなくて済むようにしよう。魔王が討伐された今、今後どうするべきか考えているだろ? 魔王討伐を成し遂げた聖女を、周りが放っておくはずがない。否応なしに、人と接する機会は増える。だが俺と結婚すれば、子供のころみたいに、引きこもってもオッケーだ」
「殿下と結婚するデメリットに対して、メリットが足りません」
「もちろん君に手を出す気は無い」
「それは女としての魅力が、私にないからでしょうか」
「そうじゃない。君が嫌がるだろうからだ」
「はいもちろん、嫌です」
「ぐう、面と向かって言われると少し凹むな」
「跡継ぎは妾に産んでもらうということでしょうか?」
「その気はない。養子をもらうか、一代限りの公爵家として、爵位も領地も返上するかだな。ああ、跡継ぎができないのは、俺の子種がないからということにしよう。それなら誰も君を責められないし、周りからも跡継ぎをとやかく言われることはない」
「……つまり殿下は死ぬまで童て」
「そうはっきりと言って抉るな! 俺だってだな。とにかく君の為ならそれでもいいと言っている」
悪くない提案かもしれない。あと一押しあったら、ころっといってしまいそうだと思っていると、殿下は駄目押しの一手を付け加えた。
「今なら結婚式は理由をつけて無期限延期のサービス付きだ」
あの煩わしさの塊でしかなさそうな、苦行をやらなくて済むとは。
「そこまでしてもらえるなら、悪くない提案ですね」
うん、破格の待遇だ。エレンターレ伯爵家にとっても、王家とコネができるのは喜ばしいことであり、家族に迷惑とか心配とか、そういうことばかりかけていた私にできる、最大限の恩返しじゃないだろうか。
それに加えてなによりも、大事なことがある。私にとって、とっても大事なこと。
「分かりました。殿下との婚約は、前向きに検討させていただきます」
「ほんとか!! よっしゃーー!!」
殿下の喜びの叫びが、周囲に響いた。
嬉しさのあまり、部屋中を縦横無尽に飛び回る殿下に、つい笑ってしまった。そのためにこんな広い部屋を用意したのではないかと、思えてしまって。
その後飛び回る殿下は酔いが回っていたのか、シャンデリアに思いっきりぶつかって墜落した。まったく最後まで締まらない人だ。墜落した殿下を拾うために、私は椅子から立ち上がった。
拾い上げた殿下に、いつかの出会いと同じ言葉をかけた。
「大丈夫?」
これから先も貴方とこうして語り合えるのが、心から嬉しいということは、悔しいからもう少し内緒にしておこう。
その後の話を少しだけ。
人間嫌いな聖女はこの世から消えた。無期限延期だったはずの結婚式は、親しい者のみを招いてささやかに開かれたし、聖女には三人の子供が生まれた。人間嫌いな聖女は今や、家族と友人以外の人間が嫌いな聖女である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。リリアとジーク編はこれにて完結です。