夜這いは返り討ちにあい、諸々は巡り巡る
扉が開く音がして、眠っていたセレンの目が覚めた。ここはロージアー領の屋敷に用意された、セレンの寝室だ。幽霊といった類のものが苦手なセレンだが、物音が聞こえても怖がったりはしない。セレンは侵入者の正体を分かっていて、対処だって慣れたものだ。
「懲りずにまた来たわ。え~い、眠ってしまえい」
部屋に侵入してきた人影は、セレンの魔術を受けてあっさりと床に崩れ落ちた。ベッド上で上半身を起こしたセレンは、目が半開きになったままで、崩れ落ちた人影の方を見る。そこでは床に寝落ちたリゲルが、穏やかな寝息を立てていた。
夜遅くにリゲルがセレンの寝室に来ては、セレンがそれを迎撃する。もう何度も繰り返されている、二人がロージアー領に来る度に起こる恒例行事だった。
「毎回毎回、向こうの部屋まで運ぶのは面倒だわ」
一人ごちるセレン。これまでセレンはきっちりばっちり、リゲルの自室のベッドまで戻していた。だが近頃いつもに増して激務続きだったため、眠くてベッドから出たくない。今日のセレンは眠さに負けた。
セレンは魔術を使ってリゲルを持ち上げると、自分の傍らまで運んだ。広いベッドは、二人でも十分に眠れる大きさだ。掛け布団を捲り、ぐっすり眠るリゲルをベッドの中へと導いた。
念の為に強めに魔術をかけ直してから、セレンはリゲルに背を向けて目を閉じた。背中に感じる温もりは、セレンに幸せを実感させてくれた。
翌日目を覚ましたリゲルは、隣で眠るセレンに大いに慌てることになる。
そんなことがあった数日後、王宮内騎士団棟の一室にジークとレクス、リゲルの三人が集まっていた。それぞれの手にはお酒が入ったグラスがあり、乾杯してからもうしばらくの時間が過ぎている。
元々はレクスとリゲルの二人で、城下町の酒場に行く予定だった。そこにジークが混ざりたいと言い出し、王子が一緒では城下町の酒場に行くわけにもいかず、騒いでも問題ない場所としてこの騎士団棟の一室が選ばれた。
既に軽く出来上がっている三人は、だいぶ口が軽くなっていた。
「リゲル、婚約者とはいえ、セレンを夜中に襲いに行くのは感心しない。貴族において婚前交渉は、褒められたものではない。リゲルも貴族の端くれなのだ。もっと貴族としての自覚を持つべきだ。この私自らが貴族としての心構えを――」
くどくどと説教し出したレクスは面倒くさい。夜這いの件はセレンから聞いたアンがレクスに話をし、今この場でリゲルに戻ってきていた。巡り巡っている。
説教から始まったレクスの話は、いつの間にかマリアン萌え語りに変わり、酔ったレクスの通常運転が始まった。レクスは酔うとだいぶ面倒くさい。慣れたリゲルは全く動じない。ジークも事前にリゲルから聞いていたので動じない。
初めて聞く酔ったレクスのマリアン語りを、ジークは王子らしく華麗にスルーした。リゲルもきれいさっぱりスルーして、レクスではなくジーク相手に、夜這いの件の弁明を図った。
「最初の二、三回については、襲いに行っていたのは否定しない。だがそれ以降は断固として違う」
「夜這い以外に部屋に行く理由が?」
「長年の騎士生活のせいか、俺は夜間すぐに目が覚める。セレンが隣の部屋にいると思うと、ますます眠れない。しかもセレンは俺との部屋の間のドアの鍵を、かけようとしてくれない」
行き場のない滾りをジークは察した。
「だがセレンの催眠魔術で眠らせてもらうと、朝まで熟睡できる。しかも目覚めも最高だ」
「要はセレンに寝かしつけてもらいに行ってると」
「ああ」
ジークの問いにリゲルが首肯した。
「そんな理由だったのか。ならばマリアンには弁明しておこう」
マリアンについて独り語り散らかしていたレクスは、意外にもリゲルとジークの話をちゃんと聞いていた。
「二人とも婚約者と仲が良さそうで羨ましい。はぁ~」
深い溜息をついたジークはグラスの中身を一気に煽ると、空になったグラスにお代わりを自分で注いだ。あまりに深い溜息に、レクスとリゲルは何と声をかけるべきか悩むしかない。
「だが聞いて驚け、最近リリアがデレてくれるようになった! よっしゃー!」
お酒の影響か、ジークのテンションンの上下が激しい。またジークの発言は、全くまともに受け取ってもらえなかった。
「ジークそうか、ついに幻覚、幻聴、妄想まで」
「違う!」
「では聞くが、あのリリアのジークに対するデレとはどんななのだ?」
そこまで言うなら言ってみろと、レクスはジークに尋ねた。
「人として一緒にお茶してくれた」
「それはデレ、か?」
リゲルの鋭い指摘がジークに入った。レクスも聞かずにはいられない。
「それまで人としてでなければ、何としてお茶してくれたのだ?」
「人の言葉を話す動物……か?」
レクスとリゲル相手にはドラゴンのことが言えないので、ジークの発言が妙なことになった。
「動物扱いを受け入れていたとは、お前はやはりドМか」
「なぜだ。なぜ誰もかれも、俺をドМだと!!」
「事実だからだ」
「事実……事実か……」
落ち込みすぎてジークが机に突っ伏した。そして次の瞬間には復活した。
「そうだ! リリアが騎士団の訓練の合間に、差し入れでバターたっぷりクッキーと飲み物を持ってきてくれた! あのうまさからして、城下の有名菓子店のものだったに違いない」
「ジークお前まさか、変な魅了魔術に手を出したのか!? 王子ともあろうものが!?」
酔っ払い特有の会話の支離滅裂さが、それぞれの発言の中に見え隠れし始める。
「そんなわけあるか。純粋に俺の魅力だ」
微妙に恥ずかしいことを言ったジークに、リゲルはノーコメントだ。
「やめてくれリゲル。さっきから真顔で無言にならないでくれ。顔が怖い」
「リリアが差し入れたという、バターたっぷりクッキーに関して、詳しく聞きたい」
テーブルに肘をついてキリッと決め顔で、リゲルはジークにクッキーのことを聞いた。言っている内容は、決して決め顔で言うようなことではない。
「セレンが持ってきて、魔術研究所でテーブル二つ分山積みになっていた物を、少し拝借してきたと、確かリリアは言っていた」
「いつごろの話だ?」
「先々週あたりの話だが、ま、まさか……」
「それを作ったのはこの俺様だ。思う存分褒めるがいい」
リゲルのキャラがおかしくなっているが、ジークとレクスに突っ込む理性は残っていなかった。
「あれはうまかった! 良ければまた作ってくれ」
「口にあったようで何よりだ」
固い握手がジークとリゲルの間で交わされた。
「なぜそこまで大量のクッキーを作ったのだ?」
水を求めてテーブル上で手を彷徨わせながら、レクスが質問した。
「セレンが大量にもらったバターを消費しろと渡してきた」
リゲルの返答でレクスははっと気づいた。
「そのバターはきっと、王宮から教会に寄付されたものの一部を、私がセレンに押し付けたものだ」
「そうか、そのおかげで俺は、一ヶ月ぶりに会ったリリアとうまいクッキーを食べれたのか。隣国からの応援要請で魔獣討伐に出向いた、リリアに会えないあの期間は本当に辛かった」
ジークの話を聞き瞬時に、レクスがその隣国についての記憶をたどった。
「たしかあの国は、酪農大国ではなかったか?」
「魔獣によって輸送路が塞がれていたせいで、輸出できなくて溜まりに溜まった何かを、お礼として大量にもらって王宮内が困ったと聞いたが、ま、まさか」
ジークが真実に至る。ここでも巡り巡るものがあった。
その後も三人はお酒を飲み続け。
「リリア~、リリア~、――」
リリアの名前を呼んで感極まっているジーク。
「マリアンはそれはもう――」
マリアン語りを再開しようとするレクス。
「それを言うならセレンは――」
レクスに対抗し出すリゲル。
男三人による婚約者談義は夜遅くまで続いた。




