雪の日は寒くて熱い
降って湧いた私とのお茶会の時間に、ドラゴン姿のジークはそわそわと落ち着きが無かった。王宮の中庭に面した窓の前で、ジークはパタパタと飛びそこから離れようとしない。なぜジークが外を見ているのかというと、昨日から雪が降りしきり、外が雪化粧に覆われているからだった。
ドラグニア王国で雪が降ることは珍しい。積もることはもっと珍しい。慣れない雪のせいで昨日から今日にかけて、王都の動きは全体的に麻痺気味だ。私は昨日から屋敷に帰れていないし、今日の騎士団の訓練は全て中止となった。
雪への対処を含めて、私とジークが今王宮内でできることは特にない。そういうわけで、降って湧いたこのお茶会が開かれることになったのだが。
「雪の中を飛びたい」
窓の前をうろついていたジークが、奇特なことを言い出した。
「こんなに寒いのにですか」
「ああ、こんなに寒いのにだ」
ジークはドラゴンに変化すると、頭のネジが緩むのだろうか。いつまでもそわそわと落ち着きがないジークは、正直うっとうしかった。ジークが雪の中を飛びたがるのは、雪の中で外を駆け回りたくなる犬と、たぶん同じ心理だと思う。このままお茶会の最後まで、そわそわそわそわされては、たまったものではない。
私はふよふよと飛んでいたジークを、隙だらけの背後から両手で捕まえた。
「うお、どうした!?」
羽ばたくことを止めたジークは、借りてきた猫のように大人しくなった。ジークを持ち直し私の方を向かせて、私はジークの望みを叶える提案をした。
「アンに隠形の魔術を教えてもらいました。私がジークを裏庭まで運ぶので、木々に紛れて飛ぶのはどうですか。雪で視界は悪いです。窓から外を見ている人がいたとしても、注視されない限りは分からないでしょう」
「頼む!」
迷いなく答えたジークを、私はそのまま小脇に抱えた。
「この持ち方はどうなんだ」
「私が触れていないと、魔術の効果が得られません。では頭か肩の上に乗りますか? それとも胸に抱いてほしいとでも? ローブのフードの中は、触れていることになりませんのであしからず」
「小脇でいい。小脇がいい」
「分かってもらえたようで、なによりです」
隠形の魔術を展開し、部屋の外に控えていた侍女の横をすり抜け、誰にも気づかれずに裏庭まで向かった。この魔術を教えてくれたアンには感謝したい。おかげで王宮内での面倒事も、だいぶかわしやすくなった。
裏庭に続く扉を開けると、冷たい空気が辺りを支配していた。扉の周囲はかろうじて雪かき済みだ。周囲に人がいないか、窓から誰か見てないか確認してから、私はそっと裏庭に踏み出した。
吐く息は白く、上着なしでの長居は少し辛い。雪が舞い落ちる中で、私は魔術研究所の制服であるローブのフードをかぶった。
「まるでリリアの髪のようだ」
寒かったので、私はジークの発言を聞き流した。
「程々で戻りましょう」
「分かってる」
ジークは私の腕から抜け出した。雪の上に一旦着地し、雪を踏む感触を楽しんでいる。
「雪だー!」
分かりやすく、ジークがはしゃぐ。やはり人型とドラゴンでは感覚も違うのだろうかと、雪の上を転がるジークを見ながら思った。人型で同じことをされたら、私は笑い死ぬ自信がある。
「転がるならもう少し奥で転がってください。そちらの方が死角です」
白い雪の上で赤いジークは、思っていたより目立つ。ジークを死角に誘導しながら、私は人が来ないか周囲を警戒した。そうこうしているうちに、転がりまくって雪まみれになったジークは、雪の上でもあまり目立たなくなった。
まさか擬態のために雪の上を転がっていた……? ……いや違うか。
転がることを止めたジークは、当初の目的を果たすために、雪降る中を飛び始めた。私の思惑通りに、雪が積もった木々の間は、ジークが飛んでいても分かりづらい。もう周囲を警戒しなくても大丈夫だろう。
ジークをただ見ているのもつまらないので、私は手近な雪で雪玉を作り始めた。手は冷たいけれど、少しだけ楽しい。しばらくすると私の手元には、いくつかの雪玉が出来上がっていた。さてこの雪玉をどうするか。
よし。ジークにぶつけよう。
ジークをここまで連れてきたのは私であり、今はジーク待ちで寒い思いをしている。それぐらいの戯れは、許されるはずだ。
飛び回るジークを見つけだし、雪玉で狙撃しようと狙っていると、最初にあった動きの切れが無いように思えた。気付けば先程より、横風が酷くなってきている。吹雪く寸前と言っても過言ではない。
雪玉片手にジークの動きを追っていると、ジークの動きは徐々に鈍くなっていき……、あ、落ちた。
私の中ですぐさま、連想ゲームが繰り広げられた。ドラゴン、トカゲ、爬虫類、変温動物、冬眠。あ。あ! あー!!
「ジークのバカ!」
私は持っていた雪玉をかなぐり捨てて、雪が積もった裏庭に踏み入った。ローブの裾が濡れてしまうが仕方ない。ジークの元まで一直線に向かい、ジークを引っ掴んで回収した。
風と雪が吹き荒ぶ外から城の中に戻り、ジークの状態を確認する。ジークの身体は冷たく、呼吸数と心拍数は下がっている。これは絶対冬眠だ。ジークに付いた氷や雪を落としてから、私は再びジークを小脇に抱えて、お茶会をしていた部屋まで、誰にも気づかれないようにそそくさと戻った。
暖房が利いた部屋の中は暖かい。ストーブの炎は赤々として、まるでジークの髪みたいだった。
暖かい部屋の中に戻っては来たものの、私はまだ寒かった。ジークを外で待っていたのと、ジークを拾いに雪の中に突貫したせいで、私の身体は芯から冷えてしまっていた。濡れたローブの裾が冷たい。靴は浸水しないようなものだったので、足元が濡れなかったのはせめてもの救いだ。
今日はとても寒いからと、近くで温まれるように、ストーブの前にはラグが準備してあった。その気遣いに感謝して、私は靴を脱いでふかふかのラグの上に座り込んだ。
さて、この小脇に抱えたままになっている、ジークをどうしよう。ストーブで炙ればいっか。なんて冗談はさておき、冬眠している動物はゆっくりと温めた方が良かったはずだ。私は冷え冷えのジークを胸に抱き、ひざ掛け用に用意されていたブランケットにくるまった。
ジークの尾の一部が凍ってる気がする。大丈夫だろうか? ドラゴンは凍傷になったりするのか? 人間に尾は無い。尾は人間のどこに当たる。お尻か? 婚約者がお尻に凍傷を? え、ちょっとイヤ。
……何で私がこんな心配をしないといけないのか。
「はぁ」
思わず溜息が出た。翼をつって空から落ちてきたり、シャンデリアにぶつかって墜落したり、今度は冬眠。本当に世話が焼ける人だ。
でも嫌いじゃない。もう嫌いにはなれない。
暖かいストーブの前で、そのまましばらくじっとしていた。穏やかでゆっくりと流れる時間は、決して悪いものではなかった。
濡れていた服が乾き、冷え冷えジークが元のジークに戻った頃、私はすっかり眠くなっていた。いっそこのまま寝てしまおうかと考えていると、ジークが目を覚ました。私はもそもそと動き出したジークに声をかけた。
「寒いからって冬眠しないでください。ドラゴンも所詮はトカゲですか」
「すまん」
一度開いた目を再び閉じたジークは、甘えるように私の胸に顔を埋めた。私と一緒でジークも眠いのかと思っていると、ジークはすぐさま顔を上げて目を見開いた。
「あ」
ジークが小さく声を上げた瞬間、私の身体にかかる重さが一気に増した。胸に抱えていた状態で、ジークが人型に戻ると非常にまずい。ジークはジークで、私を潰さないように必死だ。
「急に戻らないでください!」
「すまん!」
「早く離れてください!」
「待ってくれ! 今どく!」
気が動転した。自分の心臓がとてもうるさい。
ジークも慌てたのか、レクスばりの転倒をかましていた。運動神経の塊のようなジークが珍しくだ。けど今はそれどころではない。うるさい私の心臓は、全然落ち着いてくれなかった。
床に這いつくばっていたジークは、一度床に座ってから立ち上がった。私はその間に脱いでいた靴を履いた。お互い表面上は冷静さを取り繕い、十分な距離を空けて、私とジークは対峙した。
「すまなかった」
ジークが一歩踏み出し、私が一歩後ずさった。
「邪念があると変化が維持できないんだ」
「だから近寄らないでください」
近寄ってくるジークに、後ずさる私。
「悪かった」
「近寄らないでください」
「本当にすまなかった」
「だから離れてってば!」
ドキドキするから離れて欲しい私と、謝りたいジークのじりじりとした攻防は、私が折れるまでしばらく続いた。




