政略ではなく戦略では?6
「で、ロージアー領はどんなところ?」
セレンは仕切り直しだと言わんばかりに、もう一度同じ質問をリゲルにした。
「……陛下と宰相閣下曰く、セレンが必ず気に入る土地だそうだ」
なぜそこで陛下と宰相閣下が出てくるのかと、セレンは疑問に思ったが、今聞きたいことはそうではないのだ。
「そういうのではなくて、もっと具体的な話よ」
「……前の前の前の前の領主家はお取り潰しとなったそうだ。……娘が王太子にちょっかいを出し、婚約者であった公爵令嬢にあらぬ罪をきせたせいで」
「何だか縁起が悪いわね」
「……前の前の前の領主家は跡取りが生まれずに、お家断絶となった。……女遊びが酷かった領主が、手を出して泣かせた女性達に呪われたからと言われている」
「何だか縁起が悪いわね」
「……前の前の領主は一家惨殺だった。……強盗に入られて皆殺しだったそうだ」
「何だか縁起が悪いわね」
「……前の領主は何だかよく分からないが不審死した」
「どんだけ縁起が悪いのだわ!? しかも最後何!?」
今のところセレンが気に入る要素はどこにもない。あまりの衝撃にセレンは立ち上がりそうになったが、すんでのところで踏ん張った。
「そんな不幸のオンパレードが起こってる屋敷が、今どうなってるのか気になるわ」
「……ここ十数年屋敷は王家が維持していて、とりあえず不幸は起こっていない」
「使用人とかいるのかしら?」
「……王家の所有地だった時に働いていた人が、そのまま働いてくれている」
「さすがに大掃除から始めたくはなかったから、それは助かるわ。でもそれなら、料理人もいるのかしら。残念、リゲルの料理食べたかったわ」
「……セレンが食べたいなら作る」
「本当! 嬉しいわ!」
ここでセレンは一度黙った。目の前にいるリゲルを改めて見る。
「はあ、さすがに見ていられないわ」
セレンは乗り慣れているので平然としているが、実はこの馬車すごく速い代わりにめちゃくちゃ酔いやすい。休憩を挟みながら進んではいるが、青い顔のリゲルは今にも死にそうだ。気を紛らわすために何か話してほしいと言われて、セレンは話を振っていたがもう無理だろう。
セレンはリゲルの向かい側から隣に移動し、リリアにも使ったあの魔術を使った。
「えい、眠ってしまえーい」
リゲルの意識はそこでぷつりと途絶えた。寝入ってしまい意識のないリゲルを、セレンはゆっくりと動かし、自分の脚にリゲルの頭を乗せた。リゲルを膝枕する幸せを噛みしめながら、セレンはぼそりと呟いた。
「転移魔術が使える土地だといいわね」
セレン程の魔術使いであっても転移魔術は、制限が多い魔術だ。ドラグニア王国内しか有効範囲ではなく、土地の魔力の影響を受けるので、王国内でも転移できないことがしばしばある。加えて必ず下準備が必要だ。転移魔術で移動できればリゲルは酔わなくて済むけれど、こうして膝枕はできないわけで。セレンの乙女心は複雑だ。
「リゲル、着いたわ」
リゲルが目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていた。頭の下の感触に膝枕されていたことを急速に理解し、もう少しこうしていたいと思いながら、起きなければとリゲルは体を起こした。
先に馬車から降りたリゲルは、セレンに手を差し出した。馬車から降りたセレンの目に入ったのは、いたって普通の屋敷だった。あれだけの不幸のオンパレードがあったという割に、極々普通の屋敷だ。
「屋敷だわ」
ひとまず屋敷にセレンが気に入る要素は無い。馬車から降りた二人が屋敷の中に入ると、屋敷を管理している初老の家令と侍女長夫婦がにこやかに出迎えた。
「リゲル様、お帰りなさいませ」
「ただ今戻った。留守ばかりで苦労を掛ける」
リゲルが領主になってから、ここを訪れたのは挨拶のための一度だけで、今回がようやく二回目だ。
「婚約者のセレン・ナーデル男爵令嬢だ」
「セレン様、ようこそお越しくださいました」
「お世話になりますわ」
持ってきたトランク類を屋敷内に運び込んだ後、リゲルはセレンに屋敷内を案内した。一階をぐるりと案内し、そのまま続けて二階へ。
「ここが俺の寝室で、そっちの隣がセレンの寝室だ」
「そうよね、客間じゃないわよね。当たり前だわ」
セレンがリゲルとの婚約を実感し、神妙な顔になった。
「鍵は掛けられるように、直してあるから使ってくれ」
以前来た時に寝室間の鍵が壊れていたので、リゲルはセレンを領地に誘ってすぐに、鍵を直すように便りを出していた。
「鍵? まさか。リゲルのことは信用してるから大丈夫だわ」
リゲルの心のうちなど知らずに、セレンは無邪気に笑う。そういうところもセレンらしさではあるわけで、リゲルは内心苦笑するしかなかった。
ロージアー領に着いた翌日、ロージアー領滞在二日目は何事も無く過ぎて行った。セレンが転移魔術の下準備に、かかりきりだったからだ。
セレンは早朝から活動開始し、最初に屋敷周辺の魔力環境を調査した。調査の結果、この土地で転移魔術は使用可能なことが判明した。ぎりぎりなんとか、無理すれば、そんなレベルで。移動陣の空間への埋め込みや微細な調整は、過去最高の難易度と言っても過言ではなかった。この事実は、セレンの魔術オタク魂に火を点けた。
結果としてセレンは庭での作業に熱中し、素でリゲルの存在を忘れた。手伝って存在を思い出してもらおうにも、リゲルにできることは何もない。リゲルは泣いて良い。
昼食抜きでセレンは作業に没頭し続け、リゲルはあまりの放っておかれぶりに、無理を言って使用人たちと昼食を食べた。折角領地に婚約者と一緒に来たのに、一人で食事するのはさすがに辛すぎた。本当にリゲルは泣いて良い。
その後もちらちらと庭に様子を見に来るリゲルを一切気にとめず、セレンは陣の展開と微調整と空間内への埋め込みを何度も何度も繰り返した。
ようやくセレンの作業が終わったのは、日付が変わる直前だった。いくら屋敷の庭といえども、暗い中婚約者を一人にするのは心配で、リゲルは日が暮れてからずっとセレンを見守り続けていた。
「出来たわ! って、いつからそこにいたのだわ?」
セレンは後ろを振り返り、やっとリゲルの存在に気付いた。
「まあいつからでもいいわ。転移陣の設置が完了したから、次からは転移魔術で一瞬で来れるわ。馬車酔いする必要なんて無いんだから」
嬉々として話すセレンに、リゲルは放っておかれた不満の一つも言えなくなった。セレンが頑張っていたのはリゲルの為でもあったから。
「ただ今回の帰りは仕方ないわ」
昨日の壮絶な馬車酔いを思いだし、リゲルの顔色が一気に悪くなる。
「そんな顔にならなくても。駄目そうだったら、また寝かしてあげるわ」
うーんと伸びをすると、セレンのお腹が可愛らしく鳴った。
「お腹すいたわ。食べるもの何かある?」
「夜食を用意してもらっておいた」
「リゲルは準備がいいわね」
セレンと一緒に食べようと思っていたリゲルだが、あの三半規管を揺さぶられる感覚が蘇り、結局食べられずじまいだった。
翌日のセレンは、リゲルが起きてもまだ寝ていた。前日朝早くから起き、日付が変わってから眠りについたのだ。加えて魔術研究所での日々の激務で、セレンはすっかり疲れが溜まっていた。
ようやく目を覚ましたセレンは、待っていたリゲルと共に遅い朝食を食べた。
「先に食べてくれて良かったのに」
「折角だ。セレンと食べたい。昨日に引き続き、今日もまた何かするのか?」
「いいえ、もうすることは無いわ」
「それなら一緒に街に行かないか?」
「いいわね」
屋敷の外にどんな街が広がっているのかを、二人はまだ把握できていなかった。二人がこの屋敷に着いたとき、辺りはすでに暗くなっており、リゲルに至っては眠っていた。初めてリゲルがここを訪れた時は、ほとんどとんぼ返りだったので、領主とはいえリゲルも周囲の街の様子は知らない。
二人は午後から出かけることにして、準備を始めた。とはいっても、準備しているのは主にセレンだ。持ってきた荷物から服を出し、鏡の前で悩みに悩んだ。普段はしない化粧までして、デートに対する気合は十分だった。




