政略ではなく戦略では?5
セレンとリゲルが婚約してから約一ヶ月後、リゲルはセレンからの呼び出しを受け、王宮内にある魔術研究所に来ていた。ノックしたリゲルがドアを開けると、名状し難きものが入ったガラス瓶や、魔石、ガラス器具、金属器が部屋中に散乱する中で、セレンが黒い四角い箱を撫でまわしていた。
「急に呼び出して悪いわね。ついにあの魔道具が出来上がってしまったわ。だからリゲルに記念すべき、初めての被写体になってもらおうと思って」
リゲルは改めて黒い箱に目をやった。片面に大きな丸い水晶が埋め込まれた以外は、何の変哲もない、三十センチ四方の黒い箱だ。
「これが?」
「ええ。さっそく撮るから、ほらそこに」
「セレンと一緒ではダメか? せっかくならば一緒が良い」
「駄目ではないけど」
セレンが周りを見回すと、近くにいた人々は皆目を逸らした。この魔道具の唯一の問題点を知っているからだ。そこで適任の人物が奥にいることを思い出し、セレンは隣の部屋までその人物を呼びに行った。
「兄さん、頼むわ」
出来たてほやほやのこの記録用魔道具の問題点、それは撮影に必要な魔力量がかなり多いこと。だからセレンは同じナーデルの人間である、自分の兄に頼むことにした。
「兄使いが荒いよ~」
文句を言いながらも、セレンの兄は記録用魔道具を構えた。リゲルの隣にセレンが並ぶ。
「お二人さん笑って~」
前方に取り付けられた水晶が、赤く光りすぐ元に戻った。セレンの兄が魔道具を真っ白な紙の上に置くと、今度は水晶が青く光りだし、しばらくして光は収まった。セレンの兄は魔道具を紙の上からどかしながら叫んだ。
「まだ魔力消費量が多い! 改良の余地ありありだよ~これ! 僕で四割だから、実用性皆無! 底なし魔力の自分基準で考えない!」
「一旦完成してしまえば、省魔力化はそこまで大変ではないわ」
「これだから天才は~」
セレンは記録用魔道具の下敷きになっていた紙を手に取った。真っ白だったはずのその紙には、仏頂面のリゲルと笑ったセレンが写っている。リゲルもセレンが持つ写真を覗き込んだ。
「肖像画が要らなくなりそうだ」
「肖像画には肖像画の良さがあるから、無くなることは無いと思うわ。それに改良しないと、使える人がかなり限られてしまうし」
ここで再びドアがノックされた。半開きのドアからひょこっと顔を出したのは、引きこもりを止めたリリアだ。セレンの姿が中にあるのを確認すると、かつて長い時間を過ごした研究所内に歩を進めた。
「リリアまた来たのね。ジーク目当て?」
「そうです、ジークに会いに来たんです。早めに着いてしまったので、時間まで潜伏させてもらいに来ました」
リリアはその辺にいると、いろんな人に声をかけられて面倒くさいと前回に学んだ。魔術研究所なら訪れる人はかなり少ないので、時間を潰すにはうってつけの場所だ。
「前みたいにここで働いたら? 空き時間すぐに会えるわよ」
「僕らも大歓迎~」
セレンの提案に、セレンの兄が乗っかる。
「それもいいかもですね。あ、もしかしてあれが完成したんですか?」
「そう! 見て見て」
「おお、ついに」
セレンが持つ写真を見ながら、リリアはあることを思い付いた。今ここには元勇者一行のうち、半分の三人がいる。
「……あの、これ皆で撮れませんか? ジークとかアンとか皆で」
リリアの提案に反対意見は無かった。
リゲルがすぐさま教会に向かい、レクスを連れてきた。リリアとの約束の時間になりジークが合流し、ジークと陛下経由で連絡を受けたアンもすぐに姿を現した。
「アン、長期任務中ではなかったのか?」
「たった今帰ってきたところございまする。ちゃんと良い子で待っていたら、次に会うときに、たーっぷり可愛がってあげまする」
「ひゃい」
レクスは今日も良いように、アンに転がされている。
「どこか良い場所あるかしら?」
「庭園はどうだ? 何か見頃の花が咲いていたはずだぞ」
元勇者一行に加えて撮影役のセレンの兄という面々で、ジークの意見に従い庭園に向かった。ジークが言っていた通り、庭園ではバラが見事に咲き乱れていた。
「じゃあここでいいわね」
六人は思い思いに並ぶ。微妙な距離感のセレンとリゲル、そっと手をつなぐリリアとジーク、腕を組むアンとレクス、三者三様でも誰もが幸せそうだ。
「撮るよ~。はい笑って~」
水晶が赤く光り、すぐに撮影は終わった。
「だから消費魔力が多い!」
間髪入れずに叫ぶセレンの兄に、皆思わず笑いがこぼれた。
「終わったから今日は解散ね。複製が出来たら皆に配るわ」
「自分をつかまえることは難しくございましょう。自分の分はレクスに預けていただければ」
「アン、次はいつ会えるのだ?」
「レクスの休みに合わせましょう」
「私の次の休みは……」
失礼いたしますると言い仲睦まじげに、レクスとアンは教会の方へと歩いて行く。途中躓いて転びそうになったレクスを、アンが転ばないように支えていた。
「失礼します」
「じゃあまた」
リリアとジークも別れの挨拶をして、約束のお茶をしに王家のプライベートスペースに向かった。
「ジーク、私決めました。また魔術研究所で働きます」
「どうしたリリア、そんなに明日雨がいいのか?」
「あまりの察しの悪さに、また嫌いになりそうです」
じゃれ合うようなやり取りに、見守るセレンの頬が緩む。
「僕先に戻ってるよ~」
セレンの兄が一足先に研究所に戻ったので、セレンとリゲルの二人だけが残った。
「明後日の時間は変更なしでいいか?」
「大丈夫だわ。じゃあ明後日、約束通りナーデルの屋敷で」
「ああ」
翌日セレンは落ち着かない一日を過ごし、リゲルと行く領地デートの出発の朝をついに迎えた。
ナーデル男爵家所有の馬車に揺られ、セレンとリゲルはロージアー領に向かう。お互い侍女や使用人は連れておらず、馬車の中は向かい合わせの二人きりだ。
「ロージアー領はどんなところ?」
外の景色を見ながら、セレンは何とはなしにリゲルに尋ねた。通常の馬車のスピードでは考えられないぐらいに、外の景色はめまぐるしく変化していく。
魔術の大家所有の馬車が普通であるはずは無く、度重なる改造を施された馬車は、もはや魔道具の一種と化していた。普通の馬車なら数日かかるロージアー領までの道のりを、この馬車なら一日中に踏破できてしまう。
膨大に消費する魔力はセレンが負担していて、一日中走らせるのは、底なし魔力のセレンだからできる芸当だったりする。御者も馬も慣れていないと乗りこなせないので、選ばれし御者と馬にしか許されない馬車として、御者界では密かに憧れの的だ。
実用性があるものも作ってはいるが、ナーデル男爵家が開発する魔道具は、新しくできた記録用魔道具を含めて、実用性がないものが結構多い。問題点の大半は、必要な魔力が多すぎることだったりする。
問いに対するリゲルからの返事がなかったので、セレンは平原にいたウサギに気を取られた。
「あら、ウサギだわ」
ひょこひょこするウサギの耳を見ながら、どこかで見たことがあるとセレンは記憶をたどった。
「ふふ、リゲルにもウサ耳生えてたわね」
魔王討伐の旅での落ち込んだレクスによる、強化魔術大暴走の時だ。セレン自身には主立った被害は無かったので、おもしろかった思い出でしかない。
「……実は尻尾もあった」
「……知りたくなかったわ」
今更のリゲルのカミングアウトに、セレンは真顔になった。一瞬でも頭に浮かんでしまったのだ。筋骨隆々な男に、ふわふわもふもふのしっぽ。
「おぞましいにも程があるわ」
鳥肌が立った。リゲルを視界に入れないように、セレンは再び窓の外に視線を投げた。
「なんでウサギだったのかしら」
独り言のようにセレンは呟いた。そういえばウサギって……頭に思い浮かんだことを、セレンはすぐさま頭から振り払った。




