政略ではなく戦略では?4
「俺も混ぜてもらおう」
いつの間にか、赤い髪の人物が部屋を訪れていた。遠くから見ても目立つ彼は、ジークこと、このドラグニア王国の第三王子ジークラート・ドラゴノイズだ。
女子会中の居心地が悪い空間でも来るとはやはりドМと、セレンやマリアンに思われているとはつゆ知らず、ジークは空いていたリリアの隣に腰かけた。リリアはそそくさとジークの分の紅茶を用意し、ジークの前に差し出した。ジークは礼を言い、リリアに淹れてもらった紅茶をおいしそうに飲んでいる。
リリアとジークのやりとりに不仲な様子は見られず、セレンは思い切って聞いてみることにした。
「ずっと聞きたかったのだけれど、リリアはどうしてジークとの婚約を受けたのかしら? あんなに誰かとの婚約を嫌がって、王宮に押しかけ聖女するぐらいだったのに」
「えっと、体……質?」
ジークがドラゴンに変化できることを隠した結果、リリアの返答が不思議なものになった。
「え、体質??」
想定外の返答に、セレンが反応に困る。
「はい、私はジークの体質が目当てです。ジークでないと私の欲求が、満たせないんです」
自信を持ってリリアが言う。人語を解する人間ではないものと話したいという欲求なので、リリアは間違ったことを言っていない。
「体質、つまりは身体目当てということですの?」
マリアンが話をややこしくしていく。
「身体目当て、間違っていないのが悔しい」
ジークがドラゴン姿の自分に嫉妬したので、ややこしさが増した。
「え、二人はそんな関係だったの??」
結局やぶを突いたら蛇どころかツチノコが出てきたので、セレンは理解に苦しんだ。皆ずれてはいるが、間違ったことは言っていないから性質が悪い。
「これは良い機会ですの。ジークに言っておきたいことがありますの」
マリアンが更なる燃料を投下した。
「人がいなかったとはいえ、リリアのスカートの中に頭を突っ込むのは、どうかと思いますの。見たのが私だったからよかったものの、他の人に見られていたら大惨事でしたの」
「ええ~、それはないわ」
セレンの中で、ジークはドМからド変態に進化した。セレンの視線がジークに刺さる。
これの真相に関しては、リリアがドラゴン状態のジークと王宮内で会っている時に、人が通りかかりそうになったので、リリアが焦ってスカート内に隠したら、ジークが人型に戻ってしまったというものだ。ジークは邪念があると、ドラゴン状態を維持できないので、当然の結末だった。安心してほしい。ジークは何も見ていない。
「クソ、弁明のしようがない」
ジークは早々に弁明を諦めた。女性のスカートの中に頭を突っ込む正当な理由など、この世に存在するはずがない。横で肩を落とすジークを見て、リリアは淡々と語り出した。
「たとえジークがどんなことをやらかそうと、私はジークの婚約者です」
胸を張ってそう言ったリリアに、ジークはきゅんとした。時と場合によっては良い口説き文句と言えるが、今この場ではただの事実確認だ。
「あれは婚約者である私が、同意した上でやったことです」
ばーんと効果音が付きそうなほどに、リリアは堂々と言い切ってくれた。マリアンは気心知れたお茶会だからと、扇子を持って来なかったことを後悔した。だって面白すぎるから。
アンとして、国王陛下の隠密をやっているマリアンだ。ジークは知らないが、マリアンは王族がドラゴンの姿になれることを知っている。マリアンがこの場でジークの醜態を暴露したのは、もっと周囲に気を使えという忠告の意味合いがあったのだ。それが妙な方向に話が進み始めたのは、マリアンにとって嬉しい誤算だった。
セレンは事の成り行きを、黙って見守ることにした。ここからどう向かうか、セレンには想像がつかない。
「ジークが頭を突っ込んだのは、大量にある布の間です。ジークの視界に入ったのはどうせ布だけ、布一枚見られた程度で人は死にません」
ジークは目を閉じていたので、実際は布一枚さえ見ていなかった。
「私はあの失態を、素直に受け入れています。私は全く気にしていませんし、ジーク相手に恥じらいも何もありません。私の同意があったとしても、あれは不幸な事故でもありました。事故でもないとジークは、私に何もできません。未だに私の好感度低下を危惧し続け手も握れないこのへたれが、間違いを起こすことは決して無いので、心配していただかなくて大丈夫です。あのようなことは二度とありません」
リリアはフォローしたつもりになっているが、どちらかというと貶して終わった。
「リリア」
ジークは愛情をこめて、婚約者の名を呼んだ。ジークはリリアの言葉をフォローと受け取り、貶されていることに気付いていなかった。
見方によって二人のやり取りは、ドМに餌をやっているように見えなくもない。マリアンはこの二人の楽しみ方を完全に理解した。まともに取りあうセレンは、迷宮の中から抜け出せずにいる。
「リリア達ののろけが難解すぎて、私には理解できないわ」
「え、惚気てはないです」
「惚気ではなかったのか」
「惚気ていると思っていたんですか?」
「少なくとも俺は惚気ているつもりだったぞ」
「あれが惚気ですか? あれが?」
「あれは惚気とは言えないのか?」
「「…………………?」」
同じような仕草で、首を傾げるリリアとジーク。
「周りを置いてけぼりにして、二人でよく分からない袋小路に入るのは、やめてほしいわ」
その後もジークはいじられ続けた。天然なリリアに、悪ノリしたマリアンに、何かを悟ったセレンによって。
華々しい女子会は、もはやジークをいじる会に変貌を遂げていた。大人しくいじられているのだから、ジークも丸くなったものだ。いじられ役を甘んじて受け入れているので、風評被害ではなくやっぱりドМなのかもしれない。忘れてはいけないが、ジークはこれでもこの国の第三王子だ。
「もうこんな時間か。早く戻らねば。邪魔をした」
散々いじられたジークは時計を確認すると、あいさつもそこそこに部屋を出て行ってしまった。もとより長く滞在できないのは分かっていたが、それでもリリアに会いたくて、ジークは今日無理してエレンターレ伯爵家までやって来たのだ。少しだけ迷った後リリアは立ち上がり、ジークの後を追い応接室を出て行った。
「見送りに行ってきます」
リリアがジークを追いかけて行ったので、応接室にはセレンとマリアンが残された。
「何だかんだで、上手くやってるみたいで安心したわ」
「心配でしたの?」
「五年以上の付き合いでリリアは妹みたいなのだし、心配するに決まってるわ」
「その関係がちょっとうらやましいですの。でもそんなお二人と友人になれて、良かったですの」
「一つしか違わないけど、マリアンも妹のようなものだと思ってるわ」
「ふふふ、嬉しいこと言ってくれますの」
応接室で和やかな時間が流れる一方、ジークを追いかけたリリアは、玄関を出たところでジークに追いつき、彼を呼び止めていた。
「ジーク、待ってください」
「どうした、リリア?」
リリアは乱れた呼吸を落ち着けてから、一息で言い切った。
「ジークが気付いていないのではっきり言います。今日はセレンさんとマリアンがいても来たかったら来ればいい来るなとは言いませんでした。ジークが人型でいればスカートの頭を突っ込んだのをアンに見られずに済みました。私は全く人と過ごせないわけではありません。それなら今日のお茶会もお泊り会もやりません。これから先否応なしに人目がある場所でジークと一緒に居なければならないこともあると思います。ドラゴンでも人型でも中身はジークで変わりありません」
リリアにそう言われても、ジークは全く理解できていない。
「つまり?」
「つまりですか!? ……あまりの察しの悪さに、また嫌いになりそうです」
そうリリアに言われて、ジークは大慌てだ。嫌いになりそうの衝撃で、今は嫌っていないと暗に言われていることに、彼は気付いていない。
「待ってくれ。俺の頭が君より良くないのは、君も分かっているだろ。俺に伝えたいことがあるなら、はっきり言ってほしい。俺もそれに答えてみせる」
「分かったなり。一回しか言わないので、よく聞くがいいぞよ!?」
「リリア、キャラが違うぞ!?」
「お黙り遊ばせ!? だから! たまには……その……人型……でも……だい……じょうぶ……です……」
消え入りそうな声でも、ジークはきっちりばっちり聞き取った。大事なところで難聴になるような、残念系ヒーローではないのだ。
「リリアがデレただと!?」
「デレたとか言わないでください! 柄でもないことを言ってしまったと、今絶賛自己嫌悪です」
ジークは明後日の方向を見るリリアの手を取り、指先を自分の口元に近づけた。あくまで寸止めで。リリアは横目でも、ジークが何をしたのか理解した。
「また来る」
「はい」
リリアの手を放したジークは、名残惜しみながら王宮の馬車に乗りこみ、エレンターレ伯爵家を後にした。
「またはありません」
馬車を見送りながら、リリアは呟いた。人間はやっぱり嫌いだ。でも努力するジークを見ると、自分も少しぐらい頑張ろうと思えるから、次は自分から会いに行こうとリリアは心に決めた。




