政略ではなく戦略では?3
翌日王宮内にあるむさ苦しい騎士団棟の廊下に、そぐわない軽やかな足音が響いた。
「お仕事お疲れ様」
書類仕事をするリゲルの前に、セレンは現れた。ローブではないドレス姿に、灰色の髪は結ばず下ろしたままだ。
「さあ、準備してきたから、書いて書いて」
そう言ってセレンがリゲルの目の前に差し出したのは、後はリゲルが署名するだけになった婚約届だ。昨日の今日で仕事が早いと、リゲルが無表情で呆けていると。
「まさか昨日は酔っぱらってたから、今更なしとか言わないわよね」
リゲルは返事代わりに、持ったままになっていたペンですぐさま署名した。インクが乾くのを待てなかったセレンは、風の魔術でインクを一気に乾かした。
「じゃあ教会に提出してくるわ」
リゲルとろくに話もせず、弾むような足取りで、セレンは部屋を出て行こうとする。
「待ってくれ、セレン」
三つ編みにしていない灰色の髪が、振り返った勢いでふわりと揺れた。
「今日一緒に昼食を食べないか?」
「うん。これを受け取ってもらったら、また戻ってくるわ」
満面の笑みで手を振るセレンに、リゲルも手を振り返した。セレンの足音が遠ざかると、リゲルは自分のデスクから立ち上がり、窓から外を見下ろした。リゲルの思った通りに、セレンが建物沿いの道を歩いて行く。
うきうきのセレンは魔力制御が甘くなっているのか、漏れ出た魔力をキラキラエフェクトにしてまき散らしていた。魔術とは縁がないリゲルでも目視できるので、相当ゆるゆるなことになっている。幸せオーラを目に見える形で出しまくるセレンを、騎士団の職員達は微笑ましげに眺めていた。
セレンがあれほどまでに嬉しそうにしているのは、自分が見ているとは思っていないからだと、リゲルは分かっていた。素直になれないのは、リゲルも同じだ。
リゲルは近くにいた、騎士団付の文官に声をかけた。
「すみません! 好奇心に負けて見ていたとかありません。ありませんから、お許しを!」
「休暇についてなのだが」
「はははい! 休暇ですね! すぐに確認したします!」
文官は騎士団の今後の予定表や個人の出勤簿を取り出し、次々と机の上に広げていった。
「長めの休みはとれるか?」
「調整すれば可能です」
ここは男気を見せる時だと、リゲルは覚悟を決めた。
騎士団の執務室を出て、王宮に隣接した教会に向かったセレンは、そこで見知った顔を見つけた。魔術で水を出せないレクスは、魔道具の如雨露で教会の花壇に水やりしている最中だった。
「あらレクス久しぶりね。婚約届の受け取りをお願いできるかしら」
「今日の担当は奥にいるが。いやいいさ、受け取ろう」
手に持っていた如雨露を傍らに置き、レクスはセレンから書類を受け取った。
「ここに示された契約は、汝らを結ぶ糸であり、汝らを縛る鎖である。我らは神の代理となり、この契約を、この縁を見届けよう。この縁に世界の祝福があらんことを」
レクスが決められた言葉と共に、桜色の光を舞い散らせる。記載漏れがあると、桜色から赤に光が変わるが、セレンとリゲルの届に不備は無かったようだ。
「これを自分の目で見ることになるとは、思いもしなかったわ。しかもかつての旅の仲間に、受理してもらうなんてね」
魔術で婚約届を複製しながら、レクスはその中身を確認した。
「やはり相手はリゲルか、ようやくとは長かったな」
リゲルがセレンに好意を持っていたことを、レクスは知っていた。魔王討伐を終えてからは、レクスがリゲルの相談に乗ると称して、時々二人で一緒に飲みに行っている。的確な助言ができていたかは、お察しの通りだ。
「原本は教会での預かりで、こちらの複写をそれぞれで持つように」
「分かったわ。ありがとう」
「ジークとリリアの婚約も私が受理したのだ。私が神官でいる間に、仲間たちの婚約を受理できるとは嬉しいものだ」
「その言い方だと、神官は辞めるみたいね」
「結婚すればブラックマン家の仕事があるから、他の仕事をしている余裕はないだろう。だから結婚と同時に辞めるつもりだ。私にとって神官というのはただの職業で、取り立てて思い入れがあるわけではない」
「アンとは最近どう?」
何気なく聞いたセレンだが、聞いたことを後悔することになる。
「マリアンは今長期の任務に行っているのだ。毎日でも会いたいのに、会えないのがつらい」
「け、結婚したら毎日会えるんだから、それまでの辛抱だわ」
膝をつかんばかりに落ち込むレクスを、適当なことを言って慰めるセレンだった。
レクスをどうにか立ち直らせ教会を出たセレンは、騎士団棟にいるリゲルの元に戻った。レクスに渡された婚約届の複写のうち一枚をリゲルに渡し、二人は王宮職員向けの食堂へと向かった。
リゲルはAランチの大盛り、セレンはBランチを選び、窓際の席で食べている最中、リゲルは勝負に出ることにした。
「セレン、デートをしないか?」
「いいわよ」
「では一週間ほど休みを」
「え、デートにしては長くない?」
フォークを動かしていたセレンの手が止まった。
「俺の領地に行こう」
「ええ、急じゃない? もっと順序? とかあると思うわ」
「俺とセレンは婚約している。何もおかしいことは無い」
「分かったわ。ただ、単発の休みならすぐにとれるんだけど、今新しい魔道具開発が最終工程に入っているから、長い休みは先になるわ」
あまりに自信たっぷりで言うリゲルに、セレンは領地への同行を了承した。急いで頭の中で開発工程を見直すが、短縮できそうな工程は無い。リゲルに言った通り、セレンの長い休みは先になりそうだ。
「何を作ってるんだ?」
「とーっても画期的な物だわ。人が見るような光景や風景を、静止画として残せる魔道具よ。これが完成すれば、今後あの魔王の姿絵問題は起こらなくなるわ。勇者やその仲間に絵心が無くても大丈夫」
「それは画期的だ」
「でしょう。午前中は急に有休取ったから、こうなったら午後から頑張らないといけないわね」
午後からの仕事に向けて気合を入れるセレンに、リゲルは微笑ましい気持ちになった。
聖女として魔王討伐に参加したリリアは、今ほとんどを王都にあるエレンターレの屋敷内で過ごしている。魔王討伐の際に魔力を使い過ぎたため体調を崩した。ということにされているが、実際はすこぶる元気に過ごしている。元気すぎて教えてもらったばかりの雷の魔術で、庭に雷を落としさすがに怒られた。リリアが今引きこもっていられるのは、ジークが交渉と暗躍と根回しを頑張った結果だ。
そんなリリアの元には、二週に一度の割合でセレンが訪ねてくる。表向きはリリアのお見舞いだが、本当の目的はリリアに魔術を教えるためと、一緒にお茶をするため。リリアが怒られることになった雷の魔術も、教えたのはセレンだ。
セレンの婚約が成立して一週間後、セレンはエレンターレ伯爵家の屋敷に来ていた。この日は普段とは違い、お茶会に加えてその後にお泊り会が企画され、さらにもう一人の参加者の姿があった。
「今日はアンではないんですね」
「お茶会に隠密の姿で参加するわけにはいきませんもの」
リリアの問いに、薄茶色の髪にリボンをつけたドレス姿のマリアンが答えた。
「マリアンって呼んだ方がいいわよね」
「アンでもマリアンでも、どちらでも構いませんの」
片側にリリア、反対側にセレンとマリアンという位置に座り、応接室でのお茶会は始まった。
「最初に報告させてもらうわ、私とリゲル婚約しました」
「おめでとうございます」
「お似合いの二人だと思ってましたの」
ぱちぱちと二人から、セレンに拍手が送られた。
「ようやく行き遅れから脱却できたわ」
ここから本格的にお茶会が始まると思いきや。
「リリア、殿下から先触れがきているよ」
リリアの兄が応接室にひょっこりと顔を出し、リリアにジークの来訪予告を告げた。
「ありがとう、兄様」
兄様と言われ悶絶卒倒するリリアの兄に、セレンは無反応だ。かたやアンは大いに困惑した。
「いつものことなので、気にしないでください」
「え、ええ、分かりましたの」
セレンが無反応なのは、何度か見て慣れているからだ。人間は順応する生物である。リリアの兄は未だリリアに呼ばれることに慣れていないので、人間は順応しない生物でもあった。
「ジークが来るそうですが、どうしましょうか」
「これから皆でお泊り会の予定でしたもの。帰るわけにはいきませんし」
「急に来ようとするジークが悪いんです。居心地の悪い思いをさせましょう。今日はお泊り会の予定です。セレンさんとアンがいていいならとお返事ください」
「承ったよ」
いつの間にか復活したリリアの兄は、リリアの返事をジークの使いに伝えに行った。ここ一月ほど、リリアとジークは会っていない。現在のジークは、正式に騎士団に所属する身の上で騎士団での仕事と、王子としての公務で忙しく過ごしている。こんな返事でもジークなら会いに来ると、リリアは確信していた。
「そうそう、婚約届なんだけど、レクスに受け取ってもらったわ。マリアンが長期任務で会えないって嘆いていたのに、よく今日の時間とれたわね」
セレンの言葉に、マリアンは意味深に笑った。
「長期任務は嘘ですの。そうでも言わないと、毎日会う羽目になりますもの」
「確かに毎日でも会いたいと言ってたわ」
「その代わり、会うときは思いっきり、でろでろに甘やかしてあげてますの。腰が砕けるぐらいに」
「腰が砕ける甘やかしとは、どういうものですか?」
興味津々なリリアに、セレンのストップがかかった。
「リリアが聞くにはまだ早いと思うわ。どうしても知りたいなら、ちゃんとジークと結婚してから、教えてもらいなさい」
「もう、ちゃんと全年齢版のことしかしていませんの」
「ええ……それはそれで結婚してから、レクスは大丈夫?」
たぶん大丈夫ではない。
取り留めのない会話と美味しい紅茶、料理人が腕によりをかけて作ったケーキを楽しんでいると、時間はあっという間に過ぎていった。




