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政略ではなく戦略では?1

『聖女な私は~』と『隠密ちゃんと~』の後日談も含んでます。

「ジークは絶対ドМだわ」


 ジョッキを勢いよく机に叩きつけて、セレンは断言した。男爵令嬢である彼女はシンプルなワンピース姿で、城下の大衆向け酒場にいる。二人がけのテーブル席でセレンの向かい側には、服の上からでも鍛え上げられた身体が分かる男が座っていた。魔王討伐にも参加していた、焦げ茶髪の騎士リゲルだ。がやがやと騒がしい場所では、自然と大声になりがちになる。


「周りに聞こえる。不敬になる」

「ここは酒場だし、別にいいじゃない。それに防音魔術をかけてあるから、周りに聞こえないわ」


 苦言を呈したリゲルに示すように、セレンは何もない場所を右手でコツコツと叩いた。彼女は左手で空になったジョッキを掲げ、カウンターの方に向かって叫んだ。


「すみませーん。おかわりくださーい」

「はいよー」

「聞こえている」


 注文に対する店員の返事に、リゲルは話が違うと思わず言った。


「注文の声は聞こえるけれど、その他は聞こえないという都合が良い魔術よ」


 セレンは都合の良い魔術と簡単に言っているが、防音魔術に複数の条件付けを付与したかなり高度な魔術だ。普通はお酒片手にやるようなものではない。それをセレンは平然とやってのけている。


 平民出身で魔術が使えないリゲルは、場にそぐわない高度魔術がすぐ近くで展開されているとは知らないままだ。


「周りに聞こえていないにしても、事実無根なことを言うべきではない」

「だってそうとしか考えられないわ。はっきり言って、リリアはジークのことを嫌ってたわ。自分を嫌っている人と結婚しようとするだなんて、苦行以外の何物でもないじゃない」

「そんな苦行を進んで行う人間は、ドМしかいないと?」

「そういうことだわ」


 店員がテーブルに近づいてきたことで、セレンは話すのを止めた。


「おかわりお待ちどうさま。お二人さん、いつもありがとね。これはサービスだから、今後もご贔屓に」

「ありがとうございます」


 受け取ったエールが入ったジョッキを、そのままセレンは煽った。サービスでもらったおつまみにリゲルは手を伸ばし、セレンが空にしたジョッキに目をやった。


 お酒に強いセレンは、いくら飲んでも全く顔色が変わらない。お酒で顔を赤くしたセレンを、リゲルは見たことがなかった。


 最初に二人で飲んだ時、リゲルはペースを崩され、途中からすっかり寝入ってしまった。風の魔術で騎士団の宿舎まで運ばれたのは、リゲルにとって忘れられない出来事だ。同僚に偶然見られてしまい、しばらくからかわれることになったし、翌日身体中に痣ができていたので、恐らくこの先も忘れることは無い。リゲルは筋肉のせいでかなり重く、セレンが何度か落としたのは明らかだった。


 あの一件以来、セレンとは何度も飲んでいるので、リゲルのペースが乱されることは、もうなくなっていた。


「リリアとジークが婚約って何? 最初に聞いたときは信じられなかったけれど、今でも信じられないわ。旅の最初の方の険悪なあの状態から、婚約まで行くと誰が思う?」


 ありえないと、セレンは腕を組んでしきりにうなずいている。


「俺たちの知らないところで、何かあったんじゃないか?」


 薄い水割りを一口だけ含み、リゲルが核心を突いた発言をした。実際にそうなのだが、真実を知る術が二人にはない。


「何かって何よ。人嫌いのリリアで好感度マイナスの状態からなんて、私たちが思いつかないような、よっぽどのことがない限り無理だわ」

「そうは言うが、あの時も不仲なようには思えなかった。……あの旅からもう半年たつのか」

「……早いわね」


 魔王討伐から帰還して半年、魔王討伐に参加した面々は日常を過ごしている。懐かしいあの日々は、全員にとって大切な思い出だ。


「で、あの時ってどの時?」

「あのジークの絵の」

「ああ、あれは面白かったわね」


 セレンは思い出して、ふふっと笑った。



 魔王討伐から帰還し、王宮に泊まり込みで記録の作成や、式典などの準備に追われていた、ある日のこと。


 王宮内の一室に集まって、勇者一行と記録の取りまとめ役の文官達は、一枚の絵を見つめていた。誰も一言も発さずに、絵に見入る様子はある種異様な光景だ。


「ジーク、これは本当に魔王ですか?」


 沈黙を破ったのは、勇敢なリリアだった。ある者は空気を読んで何も言わず、ある者は単純に言葉を失い、今まで誰も何も聞かなかったというのに。本物の勇者がそこにいるにもかかわらず、勇者なのはリリアの方ではと思う者が現れる始末だ。


「そうだ、似ているだろう?」


 リリアの問いに嬉しそうなジークがドヤるが、全く似ていないのは言うまでも無い。謎の棒と円で構成された物体は、歴代の勇者達と良い勝負をしている。若干ジークの方が勝っていると言うべきか。より下手だと言いたいのなら、負けていると表現した方が的確だろうか。


 ろくに描けていないくせに、きっちり影を付けるあたり、なんだかイラっとさせられる絵だ。


「三歳児と良い勝負ですね」


 再び遠慮なくぶっこむリリアに、一部の文官が脱落した。要は笑いを堪えられなかったので、退室していったのだ。残った文官達にはなす術がないので、続けて声を上げた神官のレクスが神の使いのように思えた。


「リリア、そんなことを言っては失礼だ」


 レクスが止めてくれると、誰もが信じていた。


「ジークの感性はもう既に、神に召されているのだ。彼の絵の才能に未来は無い」


 ここで残った文官達は、止めを刺された。ジークを気にせず、笑ってしまっている。第三王子なのは分かっているが、笑わずにはいられなかった。不敬を気にする余裕など、彼らには無い。


 救世主面をした悪魔の話は続く。


「三歳児には、まだ向上の余地がある。これから先、素晴らしい絵を描く可能性が彼らにはあるのだ。未来ある三歳児に、未来がないジークと同じレベルであると言うのは、あまりに失礼だ」


 明かされた失礼の対象。ジークではなく三歳児の方だった。


「すみませんでした。三歳児」


 リリアが律儀に謝った。ジークではなく、いもしない三歳児の方に。笑いの被害は文官達だけでなく、今やセレンやアンにも飛び火していた。皆息も絶え絶えで、呼吸困難寸前だ。


 ここまで爆笑されておいて、ジークが黙っているはずはなかった。しかし口を開こうとした瞬間に、レクスの牽制が入った。


「まさかジーク、不敬だとか言わないよな? 旅の始まりの時に、身分を気にするなと言ったジークが、こんなところで身分のことを言い出すとは、かっこ悪いにも程がある。そもそもお前には、感性が死んでいる自覚がないのだ。私は決して忘れない。魔王に対して、あの絵と瓜二つだとジークが言ったことを。私はそれを聞いて、思わず二度見したことを。もしここで不敬だとか言い出せば、それは弱点を指摘されての逆ギレと同じなのだ」


 レクスのおかげで不敬罪は免れた。救世主面をした悪魔かと思いきや救ってくれたので、文官達は掌を返し過ぎて手首ぐるんぐるんだ。ジークも一方的に言われたままではない。せめてもの反撃を、ジークはレクスに試みた。


「そこまで言うのなら、レクスお前も書いてみろ」


 リリアに何も言わないあたり、ひよった感が滲み出ている。リリアの好感度を下げたくないジークだった。


「いいだろう。せめてこんな時ぐらい、アンに良いところを見せる」


 場違いな決意表明をしてから、レクスは鉛筆を握った。アンがなぜ私を巻き込むという顔になったのを、レクスは知らない。


 今日はもうやるべきことは他にないので、待つこと三十分。待ちくたびれてうとうとするリリアに、荒んだ空気の部屋の中は癒されていた。ちなみにジークの時は二時間待ちだった。その時することがなかったリリアは、当然爆睡していた。


「完成だ」


 出来上がった絵を見たセレンとアンは目を丸くした。


「そっくりだわ。あのおどろおどろしい雰囲気も良く表現されてるわ」

「そっくりでございまする。レクスには絵の才能があったのでございますね」


 レクスはアンに褒められて上機嫌だ。


 先程と同じように一枚の絵を見つめる、勇者一行と記録の取りまとめ役の文官達。今見つめるのは、ジークの絵ではなくレクスの絵だ、逃避から戻ってきた文官たちを含めて、このときジーク以外の心が一つになった。


 レクスの絵を残した方がいいのでは?


 今皆が何も話さないのは、誰もそれを言い出せないからだ。ここで存在感が薄かったリゲルが動き、ジークの肩を叩いた。振り返ったジークに、リゲルは首を横に振る。結局ジークに引導を渡したのはリゲルだった。


「俺の絵よりもレクスの絵を残そう」


 リリアの好感度を下げないためにも、もう二度と絵は描かないとジークは誓った。別に絵の上手下手で、リリアの好感度は変化しないのだが、シークの知る所ではないのだ。


「残す絵が一枚でないといけないというのは、決まっていないはず」


 レクスの視線を受けて、文官の一人が頷いた。


「はい、一枚である必要はありません。今までが勇者が描いた一枚しかなかったので、その慣例に従おうとしていただけです」

「ではせっかくだから、ジークの絵も残してもらおうか。せっかくだから。せっかくジークが書いてくれたのだから」


 せっかくをやけに強調してレクスが言った。ここまでされては、恥さらしだからむしろ残さないでくれと、今更言えないジークである。


 かくして絵心がない勇者という記録は、今代でも更新されていく。あの絵たちがわざわざ残されているのだ。魔王討伐の記録作りは闇が深かった。

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