隠密ちゃんと神官様5
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最後の街を旅立ち、瘴気に侵された魔の森を抜け、私たちは魔王城に到着した。
私が魔王を一目見て思ったことは、恐ろしいだった。旅の出発前に見せられた歴代勇者が描いたという姿絵と、実物の著しい乖離は、私に深刻なダメージを与えた。何をどうしたら、あの絵になるのかが分からない。
歴代勇者たちの絵心の無さが、私は恐ろしくて仕方がなかった。私でももっと上手く描けるというのに。魔王を見て言葉を失っていたジークのつぶやきを、私は聞き逃すことができなかった。
「あの絵と瓜二つで、なんと醜悪な姿なんだ」
私はジークを二度見した。
魔王との戦いは熾烈を極めた。アンは素早い動きで魔王を翻弄して隙を作り、ジークやリゲル、セレンが強力な攻撃を叩き込んでいった。リリアの防御結界と弱体化魔術による妨害で誰も負傷しないので、私の仕事は筋力強化と魔力強化がメインだ。時々疲労回復の魔術も使い、仲間たちを万全の状態に維持し続けた。
魔獣達との戦闘とは比べ物にならないぐらいに、魔王との戦いは長引いた。私の折れそうな心を支えていたのは、マリアンの存在だけだった。
「いけます!」
リリアの合図に、私は最大出力で皆を強化した。
丁度空中にいたアンは体勢を立て直しながら、投げ縄の要領で魔王の首にワイヤーをかけた。そのまま落下の勢いを利用し、さらに魔術で加速し勢いをつけ、魔王の首にかかったワイヤーを締め上げていった。ワイヤーがぎりぎりと首に食い込んでいき、最終的に魔王の首は地面に転がった。アン以外もそれぞれの方法で、魔王に留めとなるような致命傷を与えた。
魔王の首を落としたアンは、落下の勢いそのままに地面へと激突した。リリアの防御結界は魔獣や魔王には有効だが、物理的な衝撃には効果がない。
「アン!!」
完全に危機が去っていないのは承知の上で、アンの元に駆け寄った。魔王はまだ消滅していないが、リリアならやってくれると信じて、必ずやり遂げてくれると信頼して。
身動きしなくなった魔王を、金色の魔力で包み込みリリアが浄化していく。
その傍らで、私は頭から血を流すアンに治療魔術をかけた。未だに彼女がマリアンなのか、そうじゃないのかは分からないままだ。たとえマリアンでなかったとしても、彼女が大事な仲間であることに変わりはない。
魔王を浄化しきったリリアは、魔力切れで倒れそうになっていた。すんでのところでジークが受け止めたので、大事には至らなかったようだ。
私の治療が終わったアンは、ぐったりとしてまだ意識がない。アンには聞こえていないとしても、いつか聞いたマリアンの歌を口ずさんでいた。
「痛いの痛いの飛んでいけ」
何気ない言葉だったはずが、アンの反応に私は何も言えなくなった。
「それは歌ではなくて、おまじないだったの。レクサールが一晩寝込んだのは、私の歌の所為ではなくて、失血が酷くて意識が戻らなかったからなの」
目を開けてそう言ったアンは、確かにマリアンだった。
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私が怪我をしたものの、魔王は無事に討伐された。
ここまで無傷だったのに、最後の最後でレクサールに治療してもらうとは不覚。意識を取り戻して、昔のことをレクサールに話してしまったのは、もっと不覚。誤魔化すのはもう無理で、年貢の納め時のようだ。
その日の夜、どちらが言いだしたわけでもなく、私とレクサールは二人で過ごしていた。
「あーあ、もう言い逃れできないの。こうなったら、ちゃんと訂正しておきますの」
良い機会だ。私の歌声が一晩寝込む歌声だと、これ以上レクサールに言いふらされるのは防がなければならない。
「あの日うっかり転んだレクサールは、害獣用の罠にかかって大怪我しましたの。激痛と出血で大泣きするレクサールを落ち着けるために、私は母様に教えてもらったおまじないを、レクサールに何度も何度も言いましたの。その後治療を受けたレクサールだったけど、出血多量だったせいで、なかなか意識が戻りませんでしたの。思い出せました?」
「言われてみれば、そうだった気がする」
「だから私の歌声は、一晩寝こむような歌声ではありませんの」
今までが比べ物にならないほど、レクサールのテンションは低かった。私が思ったマリアンではなくなっていて、幻滅したのだろうか。
「マリアン」
脈絡なく感極まったレクサールに、両肩を掴まれた。
「マリアン! ずっと、謝りたかったのだ! 私が間違っていた」
顔を伏せたレクサールの表情は、私には見えない。
「幼い私はマリアンの泣き顔や嫌がる顔を見ることばかりで、そんなマリアンが好きなのだと思っていた。マリアンを泣かせることばかりするようになった。本当はそんなことをする必要なかったのだ。私が好きなのはマリアンの泣き顔ではなくて、マリアン自身だった。マリアンが好きなのに、私は道を間違えた。目の前からいなくなってようやく気付いた」
ぽたぽたと滴が落ちる音がする。今雨は降っていない。
「ごめんなさい。私が悪かった。すまなかった。嫌わないでくれ、頼む」
あの嫌がらせの数々は、私が思っていたような、好きな子を苛めたくなる少年心理によるものではなかったらしい。
「今このときだけは、アンではなく、マリアンでいてあげますの」
顔を伏せたままのレクサールの頭を、そっと撫でた。
明日からは元通りに、私はアンだ。
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隙あらばマリアンに絡みに行くのを、私は止めた。冷静に考えて私は距離の取り方が下手過ぎるので、丁度良い距離感を模索中だ。
魔王城から王国までへの帰り道、私たちはある村の宿屋に泊まることになった。
「村はずれに温泉があるんです。ぜひ入っていてください」
「「温泉!」」
宿屋の主人の提案に、マリアンとセレンの目が輝いた。リリアは付いていけていないようで、きょとんとしている。
「温泉とは?」
「リリア、温泉はとても良いものだわ」
「そうでございまする。温泉に入らないのは、人生を損していることになりまする」
「そこまで言われたら、入ってみたいです」
マリアン達は完全に乗り気になっている。マリアンが行きたいと言うのなら、私に異論はない。たとえリゲルとジークを敵に回そうと、温泉は絶対だ。
「お言葉に甘えて、入らせてもらおう」
ジークが即決したため、私の決意は全然意味がなかった。
「勇者一行がゆっくり休めるように、夕飯の後の時間を貸切で手配しておきますから。ではお部屋の方ですが」
そのまま宿屋で時間を潰し夕食を済ませ、教えられた温泉へと全員で向かった。道の先を行くマリアン達の足取りは軽い。その様子を見て、魔王を倒した実感が湧きあがってきた。
到着した温泉は、勿論男女別々になっている。混浴でなくて安心した。マリアンの柔肌を、ジークやリゲルに見せるなど絶対にあってはならないからだ。
待ち合わせの時間を決めて、男女でそれぞれ脱衣所に入った。マリアンとしばしのお別れだ。
皆で入浴、俗に言う裸の付き合い。
ジークとリゲルの鍛えられた上半身を見て、ある考えが浮かんだ。
「身体を鍛えれば、転ばなくなるだろうか」
「レクスの場合は、そういう問題ではないと思うぞ」
「ではどういう問題なのだ?」
「「………………」」
なぜ二人とも黙る。私の何が悪いのだ。たとえ無駄でも、少しは体を鍛えようと心に決めた。
温泉の温かさは身に染みる。あまりの気持ちよさと解放感に、思考が溶かされていくようだ。だからだろうか、普段話さないようなことも話したくなってしまう。口火を切ったのは、ジークだった。
「神官であるレクスに聞きたいことがある。……異性に対するやましい思いというものは、どう抑えればいい」
「まさかあのジークが」
目を逸らし、気まずそうにするジーク。
「ああそのまさかだ」
っち、こんな近くに伏兵がいたとは。
「アンは渡さないぞ!? 勇者だろうが、王国最強だろうが、私は決して負けない。受けて立ってやる」
思わず私は立ち上がった。つられてジークも立ち上がった。
「違う! 俺が好きなのはリリアだ!」
「アンよりリリアの方がかわいいだと、ジークの目は節穴か」
「なぜそうなる! リリアの方が」
「アンだ!」
っち、埒が明かない。こういう時は第三者に聞くべきだ。
「リゲル! アンとリリアどちらだ。どちらがかわいい」
「リリアだよな」
「アンに決まっている」
ジークと共にリゲルに詰め寄った。
「言うから、とりあえず座ってくれ。風邪をひく」
寒くなってきたので、ジークともども大人しく再び温泉に浸かった。二人でリゲルに圧をかける。リゲルは答えにくそうにし、普段より小さな声でぼそりと言った。
「俺は二人よりもセレンの方が」
アンではなく、リリアでもなく、セレンときたか。
「…………好みは人それぞれだな。俺はリリアが好き、お前はアンが好き、リゲルはセレンが好き。俺たちの好みは違う。これでいいだろ」
ジークの意見に、不承不承頷いた。お互いの好みがばらけたおかげで、血を血で洗う争いが勃発せずに済んだのだから。むしろ二人の目が、マリアンの魅力に気づかない節穴であったことに、感謝するべきだ。
「でもそうか、リゲルがセレンを。意外だったな」
ジークにそう言われても、ほんのり赤くなったリゲルは、何も言わずに仏頂面を保ったままだ。
「思わぬ収穫はあったが……疲れた……。……相談する相手を間違えたか……。下心があると変化が……いやでも……慣れればなんとか……? ……リリアに嫌われたくは……」
顔を手で覆い、ぶつぶつとジークが何か言っているが、どうでもいい。
マリアンも温泉を楽しんでいるだろうか。早くマリアンに会いたい。




