強制力の存在
並木道を歩いて数分。学園の門前で待機している見慣れた一台の馬車へ近付いた僕は馬車の前に立ち、此方に頭を下げた人物を見て目を疑った。
「ジレット様。」
頭を上げて憂いを帯びた瞳で此方を見詰めているのは女中のフィリス。彼女を見ると今朝の情けない出来事を思い出してしまい、妙に気まずい。
「学園内で倒れられたと聞きました、お身体の具合は大丈夫でしょうか?」
「あ、ああ...もう大丈夫だ。」
僕がそう言うと、彼女は顔を綻ばせて胸を撫で下ろす。驚いた、普段は無表情を貫いているフィリスが今日に限って笑顔を見せるとは。シンシアが上機嫌だった事もそうだが、今日は珍しい事がよく起こる。
「安心しました、今日は屋敷に戻ってゆっくりとお休み下さい。」
フィリスの言葉に相槌を打ち、彼女が開けてくれた馬車の扉から中へと入る。そして中に備え付けられている座席へ腰を下ろした僕は窓の外を眺めながら、医務室で考えていたイヴ・ローリー男爵令嬢の奇行について、再び思考を巡らせた。
今学園内で広がっている噂は僕が不貞を働き、浮気相手に一方的に振られたと言うもの。正直に言うと、こんな根も葉もない噂は公爵家、父の後ろ盾があれば揉み消す事は簡単だ。よって噂の件は問題ではない。今一番問題視すべきなのはイヴ・ローリー令嬢と言う人物だけ。聖誕祭の時との性格の変わり様に一度きりしか話した事のない相手に対する反抗的な態度、僕を陥れる為の行動だったとしても、顔を合わせてから僅か一日で一気に畳み掛けてくるとは考えにくい上に、やはり彼女には何のメリットも無い。今の今まで気にしないようにはしていたが、他にも留意すべき点はある。
今朝、あの並木道では乙女ゲームの主人公と一人の攻略対象とのイベント起こるはずだった。否、既に起こっていたに訂正しよう。前世の記憶を探ってみる限り、あの場所で起こったイベントはジレット・レイ・ハリスとイヴ・ローリーの邂逅。簡単に言えば主人公がジレットルートに入るか否かを選択肢で決められるイベントシーンだったと言う事。
前世の僕はそのイベントの選択肢でジレットルートを回避した、要は前世の僕と同じ判断を下したのがこの世界のイブ・ローリー男爵令嬢。乙女ゲームとこの世界での台詞に違いはあれど、彼女は僕のルートを選ばなかった。僕と彼女はもう交わらない運命にある。そしてそれは、この世界にゲームとしての強制力が存在する場合、僕が破滅する可能性がより高まった事を意味する。
つまり僕が言いたいのは、イヴ・ローリー男爵令嬢にゲーム世界の力が働き、一日で彼女を変えてしまった可能性があると言う事。もし強制力が存在しているのなら、その影響を受けてしまったが最後、僕は乙女ゲームの異常な設定通り、殺人鬼になり兼ねない。
「ジレット様、屋敷にご到着しました。」
フィリスの言葉と共に馬車の扉が開き、外へ目を向ければ見慣れた屋敷が視界に入る。
「もう、着いたのか...早いな。」
マイナスな思考を振り払い、馬車から降りた僕は右隣で釈然としない表情を浮かべて僕を見詰めるフィリスに気が付き、首を傾げた。
「フィリス...?僕の顔に何か付いているのか?」
「あ...い、いえ...そのような事は...。」
明らかにフィリスの様子はおかしいが、今は無理に追求する必要はないだろう。強引に問い詰めて今以上に関係が悪化しては困る。
「そうか。何か気になる事があるなら、いつでも話は聞こう。」
「ぇ......と、お気を遣わせてしまい申し訳御座いません、ジレット様。」
一瞬、僕の言葉を受けて動揺を見せたフィリスだったが、彼女はそれを隠すように即座に頭を下げる。やはり、急な態度の変化は周りに迷惑をかけてしまう。今後は徐々に態度を変えていくのが好ましいか。
フィリスとの話を切り上げて彼女に背を向けた僕は屋敷の中へと足を進め、重い体に鞭を打って足早に階段を上る。どうやら、そう簡単に疲れは取れてはくれないらしい。今は自分の為にも、自室で休息を取るべきだろう。
それに、何となく今日は自室に篭っていた方が良い気がする。