僕が消えた日
アルテミスの矢を始めてから約十時間が経過した深夜の一時三十分頃、階下からの異様な物音で目が覚める。どうやら攻略対象二人目のハッピーエンドを迎えた時点で寝てしまったらしい。両親は親戚のお葬式に行っているはずだから、今日は帰って来たりしないはず。隣に住んでいる幼馴染かと思いもしたが、合鍵を渡しているといった漫画的な展開は一度も無かったのでそれもない。
なら、誰だ。僕は手に持っていた小型ゲーム機をベッドの枕元に起き、寝惚け眼を擦りながら静かに起き上がる。そしてゆっくりと自室の扉を開けて下に続く階段を覗き込むと玄関を進んで左側にあるリビングの明かりが点いていた。自分以外の何者かが居る事は間違いない、そう確信した僕は忍び足で自室へと戻り、机に置いていたスマートフォンを手に取ると父へ電話した。数回の呼び出し音の後、父が出る。
「どうした、司。こんな時間に...まだ寝てないのか?」
慣れ親しんだ父の声に僕は安堵する。それと同時に驚きもした、やはり下の階にいるのは父や母ではないのだと。早くこの事を伝える為に僕は出来る限り今現在自分が置かれている状況を事細かに父へ説明した。
「...この電話は切って、直ぐに警察へ電話しなさい。分かったか?俺とお母さんも直ぐに向かうから。」
力の籠った声でそう言われた僕は改めて気が付く。最初に警察へ電話すれば良かったのではないかと、やはり僕は抜けているのだろう、こんな非常事態に両親へ確認を取るなんて。きっと信じたくなかったのだ、自分が危機的状況に置かれている事を。僕は父との電話を切ると、すぐさま警察へ電話をかける。
「はい、こちら西警察署、何かありましたか?」
「あ、あの...家に泥棒がいるかもしれなくて...。」
電話に出たその人は僕の言葉を聞き、落ち着いた声で家の住所、僕の名前を聞いてくる。住所と名前を答え終えると電話口のその人は家へパトカーを向かわせると言ってくれた、その間も通話は繋げていてくれると言う。下に居る泥棒が二階に上がって来ないとも限らないが今の所その様子は無い。数十分も経てばパトカーが到着して警察官が何とかしてくれるだろう。だが、そう上手く進まないのが現実である。微かに階段の軋む音が聞こえた。誰かが階段を上って来る音だ、この家に数十年住んでいるのだ、聞き間違いではない。
「どうかしましたか?」
僕が長らく沈黙していると、電話先のその人が気遣わしげに声をかけてくる。僕はその声に答える事が出来なかった、声自体は聞こえていたが近付いてくる足音に冷静さを失いかけていて、返答が出来なかったのだ。結局、足音が自分の部屋の前で止まるまで僕は机とベッドの間で硬直していた。
「あ...あ...。」
もう、恐怖で声が出ない。電話先の人が何か言っているが、もはや頭に入ってこない。無情にも、部屋の扉はあっさりと開いた。扉の先にいたのは黒い覆面を被った大柄な人間、体付きからして男性だ。僕は枕元に置いていた小型ゲーム機を持つと、勢い良く覆面の男へそれを投げ付ける。咄嗟の行動だった、人間の生存本能と言うのは意外に侮れない。男は投げ付けられたゲーム機が顔面に当たり、怯んでいる。その隙を見逃さなかった僕は男の脇をすり抜け、階段を駆け下りる。助かった、逃げ切れる、僕は玄関の扉を開けて歩道へ飛び出した。
白い光が僕の体を照らし、白と黒で彩られた車体が僕に迫って来ている。こんな時にその光景を客観的に見ている自分がいる事に驚いた、冷静になれるのなら、もっと早くなってほしかった。体に感じた強い衝撃と共に僕の意識は闇に呑まれ、消えた。