A demon who disappears in the dark【3】
「篝……? それって一体ーー」
誰かと問おうとした時には既に腕の中に凩は居なかった。
そして、森の方面を振り返るとそこには折れた刀を手に複雑な表情で周囲を警戒する凩の姿があった。
『……そこまで、街の人々を護りたいと願うか』
「いや、それは多分間違いだ」
半ば呆れたようなオルクィンジェの言を俺は否定する。
『どう違うと言うんだ?』
「顔付きだ」
凩の顔付きは複雑なものだった。焦燥と苦悩を混ぜたらこんな風になるだろうか。
単純に護る、護れないの話では決して出ない表情をしている。
「あの顔は良く知ってる。後に引けなくなった男の顔だ。過去にどうしようも無く囚われて、足掻いて、もがいてる。……そんな顔だ。少なくとも護る為に命を張る時にするような顔じゃないと思うぞ」
「それよりもどうするのかな!? 凩がまた行っちゃったけどこのままエスケープして良いかな!?」
「勿論ーー戦線復帰だ」
とは言えど相変わらず状況は悪いままだ。このまま戦っても『災禍の隻腕』の時間切れによるデッドエンドが濃厚。
いたずらに疲弊するだけの現状を打開する策が欲しい。
勿論、凩が逃げてくれるならばそれが一番簡単だ。だけれど……あんな顔をした男は一歩も譲らない事も俺は知っていた。
そうなるとあのモヤを片付ける以外に道は無い。
「やっぱり消えるってのがポイントなのか……?」
モヤが有する消失能力。それがこの戦いの鍵になるのは間違い無いだろう。だが、少し引っかかる。
ーー『何よりもアイツは姿を消せるんやぞ』
凩はそう言っていたが、俺にはモヤが見えている。
そう、俺には見えているのだ。凩の口調からすれば完全に見えていない事になるが、その言葉を額面通り受け取るならばそこに明らかな視界の錯誤が生まれていることが分かる。
俺と凩で何が違っている事で錯誤が生まれているのか。そこにこそ光明があるはずだ。
「いや、もしかして……。ジャック。消えたって言ってたけど、それは何に対して消えたって言ったんだ?」
「炎の事かな。ほら、モヤモヤに着いてた炎がいきなり消えたから見え難いと思ってさ」
モヤモヤ。つまり、ジャックはあのモヤが視認出来ている。
と言う事はつまりーー凩だけが見えていない。
「なら、俺がモヤの方向を指示すれば回避は可能か……?」
『だが、それも根本的解決には至らない。気付いているだろう? 本体は殊の外硬質だ。あの男の刀では有効打は入れられないだろう。そしてそれはお前にも言える』
モヤを杖で殴った際に感じた腕が痺れるような感覚を思い出す。
殴ったこっちが痺れるくらいだ。モヤにとっては杖も有効打にはなり得ないだろう。
「……ジャック。お前が方向を指示してくれ」
「何をするつもりなのかなぁ?」
「ちょっくら肉盾の本懐を果たして来る」
結局俺にやれる事など二つしか無い。逃げる事と、盾になる事。
そのたった二つだけなのだ。
「征くぞ、オルクィンジェ」
そして俺は再び闇が潜む戦場へと身を投じた。
♪ ♪ ♪
飛び込んでから理解した。
辺りが不自然な程何も見えない事に。
「……来ちまったんか」
「ああ、それが俺の役目だからな」
そう短く言葉を交わしながらも頭の中は常にフル回転していた。
俺と凩は互いの死角をカバーするような位置に居る。そして凩自体は目視可能。声もキチンと届く。
なのに視界だけがいつもよりも数段悪いように感じられるのだ。
「また直上来るよ!!」
ジャックの声が聞こえると急いでその場を飛び退る。
すると数瞬の後その場所にはクレーターが生じた。
「分かって来たぞ、お前の特性」
今まで判明したモヤの魔獣の特性は三つ。
一つ、本体が異様に硬く防御力に富んでいる事。
二つ、一撃の威力が高い上に、直上からの奇襲を仕掛ける等、存外に頭が回る事。
三つ、姿を消せるが遠くに位置する人物には効果が薄い事。
だがまだ『災禍の隻腕』のスリップダメージを無効化したトリックが暴けない。
と、そこでーー。
『……不味いぞ。『災禍の隻腕』の残り時間が五分を切った』
非常に嫌なお知らせが耳に届いた。
迫るタイムリミットを思い唇を噛み締める。
現状、俺がこの極限状態でも思考できているのは『災禍の隻腕』の効果ーー規格外の回復能力に因るところが大きい。トチって怪我を負ってもどうにかなるし、SANにさえ目を瞑れば自己蘇生すら出来るだろう。
しかし、それが無くなれば俺は羽虫も同然。パーフェクト無能タイムの始まりだ。
敗北の二文字が頭を掠める。
俺の考えていた最悪のシナリオがここに現出しようとしていた。
ーーしかし、そうはならなかった。
空が白みだし、周囲が微かに明るくなっていたのだ。
「……逢瀬も、もう終いか」
そう言うと凩は半ばから折れた刀を仕舞った。
「それってどう言う……」
不意に昨晩の事を思い出す。あの死の群行は夜明け前には決着していたが、もしかしたらーー本来は夜明けと同時に終結する類のものだったのかと。
言うなればそれは拠点防衛系のミッション。制限時間まで街に行かせないように耐久するのが本来の形なのではなかろうか。
「……ハザミの魔獣は夜しか出ん。陽が登れば、そこでおさらばや」
俺の思考を裏付けるように凩はそう口にした。
「……凩」
その横顔は何処となく寂しげで、無情にも仲を引き裂かれた男のようにも見えた。
「色々とすまんの。本当に。……これに関しては休んだらキチンと説明するわ」
じりじりと登り始める陽光を背に凩は屋敷へと戻って行く。
「と、取り敢えず敵影無いけど。これで本当に終わったのかなぁ?」
「いや、どうだろうな」
俺にはこれが終わりじゃ無くて寧ろ何かもっと恐ろしい物が始まる予兆に思えてならなかった。




