Gluttony【1】
「思った以上に寝たっぽいな」
俺が目を覚ます頃には日は高く登っており、日差しが幾分かキツくなっていた。
陽光の眩しさに目を細めながらゆっくりと身体を起こすとずっと同じ姿勢で寝ていたからか固まった関節がパキパキと音を立てた。
「…………」
しばし寝惚け眼のままどうして眠ったのか記憶を手繰ってみる。
恋話でやらかして、アクエリオンされて、その後……。
俺は取り敢えず布団を畳むと、そこへ顔を埋めるとまるでひっくり返ったセミをつついた時のように劇的に悶絶し始める。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
思い起こされるのはオルクィンジェに子守唄でもって寝かしつけられた光景。
あの時、俺は確かに疲れていた。冷静でも無ければ半ば深夜テンションだったし、場の雰囲気に酔っていた感はあった。
だけども、だ。
俺よりも小さなオルクィンジェの子守唄で気分良く夢の世界へレッツゴーゴーゴーしてしまったのが何となく気恥ずかしくて堪らない。
と言うかそれに至るまでの経緯も本当にダメダメ過ぎる。これではダメダメ清人だ。精神衛生上非常に芳しく無い。
確かに眠れたし、体調はすこぶる良いし、なんなら腹の底からスカッとサワヤカな気分にはなったのだが、やはり気恥ずかしい。
「はぁ……空はあんなに青いのに……」
一頻り悶えると今度はとんでもない無気力が波の様に迫って来て身体からガクリと力が抜ける。
こういうのはハイテンションに破壊的衝動が訪れ、その後ローテンションな憂鬱が襲ってくるのだとヒッキーは言っていたがそのものズバリだと思う。つまり、現在の俺は絶賛アイデンティティクライシスな訳だ。
「あ、死んだ」
何処からかそんな声がしたので緩慢な動作で辺りを見回すと、どう言う訳かジャックが忍者のような感じで天井からこちらを覗き込んでいるのが見えた。
「……見たか?」
俺がそう尋ねるとジャックは押し黙った。
俺とジャックとの間に気不味い沈黙が横たわる。
しばらくしてジャックは目を逸らしつつ、笑いを堪えるようにプルプルと震えながらボソリと。
「……良い悶えっぷりだったよ」
そう、宣いやがりました。
「よし、今晩の夕飯は南瓜の煮付けだな」
そう言うとジャックはヒッと短い悲鳴を上げながら何処かへ消えて行った。
……と言うかこのお屋敷普通のお屋敷に見せかけて忍者屋敷だったのだろうか。心底謎だ。
そんな事を考えていると。
「そろそろ昼飯にするから外出する用意しとけや」
と、凩のそんな声が聞こえた。
少々前の失敗もあって顔を合わせ辛いがそうも言っていられない。時間は掛かるかもしれないがゆっくりと挽回の機会を窺うのが良いだろう。何ごとも平静が大事なのだ。
そう、何事も平静が……。
♪ ♪ ♪
「このクソ野郎ッ!!」
いきなり見ず知らずの男に殴られた。
一瞬、何が起きたのか分からなくて、俺はただ殴られた右頬を手で押さえながらヨロヨロと地面に倒れ伏した。
「清人ッ!?」
ジャックの驚愕の声が昼間の大通りに響き渡る。
さっきまでごく普通な感じだった筈だ。凩は一人で昼飯買ってくるからと商店の方へ行って、俺とジャックは凩待ちをしていただけだ。絡まれる様な事は誓ってやっていないし、ましてや殴られる理由なんて皆目見当もつかない。
愕然としながら辺りを見回すと、ジャックを除いた人々は当たり前のように俺に憎々しげな視線を向けている。
エントロピーを凌駕した訳でも無いが全く、訳が分からない。
視界がチカチカと眩む中よろめきながら立ち上がろうとすると、今度は容赦無い膝が俺の腹部にめり込んだ。
あまりの痛みに俺は辺りに胃液を撒き散らしながら悶絶する。
「よくもッ! のこのことこの場に現れたなこの外道がッ!!」
だが男の激昂は収まらず俺の髪を引っ掴むと強引に立ち上がらせた。
男の目は憎悪に燃え、真っ赤に見開かれていて、それこそ修羅の様な顔をしている。
一体、どうしてこうなったのか。
「おち、落ち着いて下さい。一体、俺が何を……」
必死に言葉を紡ぐとがっしりとした体格の男性は益々興奮した様子で顔を赤らめた。
「お前がさっき! 俺の妻を喰ったんだろうが!! 俺の目の前でな!! 辺りが真っ赤な血で染まって! 俺が何も出来ずに立っているのを笑っていたんだ!!」
俺が、人を食べた?
その言葉がにわかには信じられず俺は口を押さえる。
口の中は確かに血の味がしたがそれは先程殴られたときに口を切っただけで、まかり間違えても他人の血では無い。
だが、辺りの人々は「結婚したばかりだと言うのに」だとか、「あいつ口に手を触れたぞ、やはり食べたんだ」だとか好き勝手に喚きたてている。
「お前はもう呼吸する権利なんか無い! 死ねッ! あの世で凡ゆる痛苦に呑まれろッ!!」
痛みでボヤけた視界に銀色の光が灯った。
ーー刀だ。
その鋒が鈍く輝いているのだ。
「死ねよ、畜生!!」
心臓がバクバクと脈打ち、額から脂っぽい汗が流れる。
ここで死ぬのかと、そう思ったその時だった。
「手前、ワリャの客人に何しとるん」
怒りの篭った冷たい響きが耳に入った。
その静かな怒りにざわめいていた人々もいつの間にか水を打ったようにシンと静まり返っている。
「往来の喧嘩はハザミの常。暴力沙汰もハザミの常。……けんど、人に向かって本物の刀抜くのはどんな理由があれ罷り通らん。それは破ったらあかんハザミの掟や。ましてや理由無く刀を向けるなんてのは言語道断。もってのほかや」
その人物は両手に笹の葉で包んであるおむすびを大量に抱えた凩だった。
ただ、そこにはいつもの飄々とした雰囲気は無く、細められた瞳はいつになく険しいものになっている。
凩はジャックにおむすびを全て手渡すと自身の木刀を眼前の狂乱する男に向け。
「言うてみ。街の守護を司る一家の現当主であるワリャの客人に刀を向けたその理由を」
そう、言い放った。




