A disaster summer experience【7】
一話目と繋がります。
あれから、二人の日常は崩壊した。
清人の態度は急によそよそしくなり、取り繕ったチグハグな笑みを浮かべる事が多くなった。
唯は清人に見られてしまった醜態を思い清人に話しかけ難くなっていた。
「……清人」
唯はその名前を何度も呟く。
今の清人にはもう昔の明るさは無かった。ただ日々を惰性で生き、苦痛に耐え、何にもすがる事無く、ただ生きているようにも見えて唯の胸は一層締め付けられた。
辛く無いのかと問うても清人は「俺は大丈夫だから」と、「俺は一人でも構わないから唯は幸せになって欲しい」と。
そう言うのだ。
無理して、強がって、心配をかけまいとして、清人は痛ましい笑みを浮かべ続ける。
「……清人ぉ」
唯は部屋の中で一人嗚咽を漏らした。
清人に冷たく接すれば……いや、話しかけ無ければあの笑みを見ることも無いだろう。けれど、唯にはそれが出来ない。唯にとって清人は救済そのものであり、孤独を癒す唯一の存在だからだ。
だから唯は自身を癒す暖かさの残滓を――清人を追い求める。
お互いがお互いを想うほどにすれ違い、傷付く。そう分かっていても近付かずにはいられない。きっとこれをヤマアラシのジレンマと言うのだろう。
「何で……何で……ッ」
ボヤけた視界の中、唯はあの日以来ずっと床に転がっている包丁を認めた。その鈍い光に吸い寄せられるように近付くとおずおずとそれを手に取った。
少しだけ茶色がかった金属の色。ずっしりと感じられる重み。それは――命を断つ事の出来るモノである証左。
鈍色の輝きに呼応するかのように馬鹿げた考えが頭に浮かぶ。
「――死ねば、楽に……」
もし、もし仮にここで唯が自殺したら清人はどうなるだろうか。大切な人を亡くしたと泣くだろうか。
……果たして、汚れた女の為に涙を流してくれるのだろうか。
そんな事を考えると背筋を氷でなぞられたような心地がして、脂汗が滲み出た。
「清人は私が死んだら悲しむに決まってる……そう、決まってる」
口に出してそう否定する程、その考えは輪郭が色濃く変化していく。
唯が自殺したら本当に清人は悲しむのか?
唯の事をさっぱり忘れて清人だけ一人幸せになってしまわないか?
「煩い……煩い煩い煩いッ!!」
唯はマロンペーストの髪を振り乱しながらその考えを否定する。
しかし、思考は尚も止まらない。
忘れられて、終わるくらいならば。
「……私が一生消えない傷として清人の中に残り続ければ……ずっと清人と一緒にいられる筈、よね」
この日、唯は清人の目の前で自殺する事を決めた。
♪ ♪ ♪
高嶋唯は最期の作戦を考えた。
人生最期の作戦を。
出会いがあの公園からならば、終わりもあの公園にしようと考えた。
全ては自分の存在を清人の脳髄に刻みつける為に。
きっと、今のままならば清人は自分を忘れて勝手に幸せになるだろう。清人の良さは唯自身が一番理解している。
だが、それは嫌なのだ。
もし清人が幸せになってしまったらきっと唯の事を忘れてしまうから。
忘れられたくない、愛していたい、愛されていたい。そんな気持ちが唯を突き動かしていた。
「……本当、私って一番の大馬鹿」
やり直せるならばきっともっと幸せな帰結があったかもしれない。
けれど、もう幸せなどはあり得ない。それは清人の痛ましい笑みが証明している。
携帯を手に唯は清人にメールを送信する。
『今夜、公園で会いましょう』と。
♪ ♪ ♪
蝉の鳴き声が響き渡る。
吹き抜ける風が酷く生温くて唯は目を静かに細める。
夜の公園は昼間の賑わいとは打って変わってもの悲しい静けさが漂っていた。
清人はベンチに腰かけて吹き出る汗を拭いながら口を開いた。
「……良かったのか? 家出なんてして」
それは明らかに清人が遭遇した人物――唯の父親を気にしての台詞だった。
「良いのよ。……私が家にいても碌な事起きないし。それに家出したいって言ったのは私よ。清人が気にするような事じゃないわ」
これが唯の作戦。
公園で会う口実を作る。ただそれだけ。
ただし、必要な条件は三つある。
交通量の増える夜に来る事、清人がいる事、そして清人の拾った猫のクロがいる事。
この三つだ。
「そう、か……」
「……清人」
不意に唯は清人の名前を呼ぶ。
「清人は私の事……好き?」
「か、からかうなよ。……それに俺、唯に聞きたいことが――」
口にする言葉はいつもの清人のようだった。けれど、顔は件の痛ましい笑顔だった。
唯は今だと黒猫に向かって手を伸ばした。
クロは唯が手を出そうとすると大袈裟に逃げるのだ。
この場にクロが必要な理由。それは自ら道路に飛び出す口実を作る為だった。
唯の思惑通り膝の上で大人しくしていたクロはいきなり道路へ飛び出した。
信号機の緑が明滅し、車のヘッドライトがクロの姿を照らし出している。
「クロ!!」
清人がそう叫ぶけれどクロは戻っては来ない。
クロと比べると余りにも大きな車体が迫る。
「……ッ!!」
そして、唯は黒猫を助けると言う体で直進する車へと飛び込んだ。
「――好き」
薄く笑みを浮かべたまま道路へと消えていく唯に清人はまた何もできなかった。
清人には唯が何を思って道路に飛び出したのかは分からないだろう。
ブレーキの残響が耳奥でこだまする暑苦しい夏の夜。
蝉の鳴き声はもう聞こえなくなっていた。
伸びてしまってすまない……次回は恒例のcontinueです。




