In the laughter of a clown【5】
ごめんなさいヤンデレ不足になったんで病み落ちさせました。
こんなはずじゃなかった。
『……無理だ』
聞き間違いかと、そう思った。
『コイツには……勝てない……』
そのか細く震えた声は、傲岸不遜でいつも余裕綽々な態度を取る『魔王』のものだった。
「……え?」
だけど、どうして『魔王』が弱気になる必要があるのか。
こんな状況でも勝ち筋はあるのだ。ここで諦める意味が分からない。
それに『魔王』が押されていた理由は俺の肉体のスペックによるもので技術は完全に拮抗していた。『魔王』が弱気になる要素など一つもない。
「……何でだよ! 俺とお前なら勝てる。勝てるんだぞ!?」
策は既に閃いている。後は『魔王』が一言「協力する」と言ってさえくれれば直ぐにでも実行に移せるのに。
なのに――。
『煩いッ!! あの技の冴えを見なかったのか! あれが……あれこそが俺が鍛錬の果てにたどり着いた境地! それを、あの女はいとも容易く使って見せた!!』
屈辱だと、『魔王』は口にした。
だがそれ以上に『恐れ』を抱いたのだとも言った。
『怖いんだよ……俺の積み重ねたものが、音を立てて崩れていくのが!! ……戦いを知らないお前にはきっと分からない。分からないっ、分からないッ!!』
ああ、と一人納得する。
『拒絶姫』の二つ名の意味、それは模倣の能力によって対象の努力を一瞬で踏み倒すから。
研鑽を積めば積む程それを一瞬で奪われた時のショックは大きくなるのだろう。それは今までの努力を否定する事とほぼ同義だ。……それ故に『拒絶姫』。
「ッ!?」
飛来する火球を加速で避けながら思考を巡らせる。
俺の考えた策は『魔王』の協力無しでは成立しない。
どうにか『魔王』を説得しなければならないが、この状況下ではそれも難しい。
そうする間にも無慈悲に火球は俺を目掛けて降り注ぐ。
♪ ♪ ♪
『魔王』――いや、天使オルクィンジェは外なる宇宙より来たる邪神を討伐すべくイデア界に君臨する主が作り出した戦闘特化型天使である。
そもそも天使とは主の意思の代行者であり君臨する主に代わって与えられた任務を速やかに遂行する為に生まれた高次の存在である。
その中でも戦闘特化型は他の天使とは明確な差異が存在した。
その差異とは感情の有無。対邪神を想定してデザインされた戦闘特化型は邪神の放つ狂気を克服する為、一切の感情を主により封じられていたのだ。
感情の無い殺戮の天使達は、邪神との戦いに於いて次々と戦果を挙げていった。
しかし、繰り返される邪神戦により一体の戦闘特化型天使に致命的なエラーが発生した。その致命的なエラーとは感情の発露。その天使は長年に渡り封じられてきた感情を意図せず取り戻してしまったのだ。
その悲しき天使の名前こそオルクィンジェだった。
感情を取り戻したオルクィンジェは先ず忠義と畏敬の念を覚えた。それは何もイデア界に君臨する主へのものであり、オルクィンジェは主に至上の勝利を齎すべく直向きに鍛錬に励んだ。
そして次に承認欲求を覚えた。オルクィンジェは他のどの戦闘特化型よりも努力し、自らの戦闘の才を磨いた。しかし、それが評価された事も無ければ認められた事も無かった。
当然だ。他の戦闘特化型天使達は感情が封じられているのだから。あるのはたった一つ『邪神を討つ』と言う酷く純粋な目的意識のみ。オルクィンジェの承認欲求など満たされるはずがなかったのだ。
最後に狂気を覚えた。
承認欲求はいつしか暴走を始め、オルクィンジェを文字通りの狂戦士へと変えた。より多くの手柄を、より多くの喝采を求めてオルクィンジェは単身で邪神を何体も惨殺した。その度に邪神の纏う狂気はオルクィンジェと混ざり合い、オルクィンジェの精神性は段々と悍ましいものへと置換されていった。
最早オルクィンジェは己が何のために邪神を狩っているのかが分からないまま邪神を殺しているような有様だった。
振り返ればそこには積み上げられた邪神共の死体が積み重なっているだけ。
己に残っているのは戦闘時の甘く蕩けてしまいそうな程の恍惚感と圧倒的なまでの力――暴力だけだった。
戦いの中で得たこの力だけがオルクィンジェの全てであり、オルクィンジェにとって一番大切なものだった。
そして――その邪神と出会った。
それは閉じられた箱。捻れた千の舌。
邪神の首魁アザトースの傀儡。
オルクィンジェはそこで初めて敗北し、『イデア界』とは異なる世界へと堕とされたのだ。
そこは邪神ひしめく魔境にして、魔王アザトースの寝ぐら。常しえの狂気が蔓延る飢饉と嘲笑のディストピアだった。
その救いようの無い世界でオルクィンジェは魔王を殺すべく旅を始め、仲間を見つけ、そして――裏切られ、殺され、体を六つに引き裂かれ、嘲笑された。
仲間はいつか裏切る。
しかし努力だけは――己の積み重ねた研鑽の日々だけは裏切らないとそう信じた。
だが、オルクィンジェは自身が積み重ねた研鑽にすら裏切られた。
『……無理だ』
オルクィンジェにはもう、縋れるものが無い。
『コイツには……勝てない……』
だからオルクィンジェは唇を噛み締めながら、負けを認めた。




