最終決戦・サイハテ
ケッチャコ……
黒い空間を漂っていた。光はささないし音も全く聞こえない。静寂というには余りにも度が過ぎる虚無の世界。
きっと地獄とか死後の世界とか、こんなものなのだろう。と言うかそのものズバリかもしれない。
「……負けた、のか?」
片目が潰れてよく周りを見れていなかったが、唯とクロエが見えた。それで唯が『超覚醒』を使ってニャルラトホテプにダメージを負わせて……ああ、確か腹を。
それでクロエも俺を守ろうとしてくれて、首を。
となれば最後は俺だ。こんなところに居るのだ。きっと俺は殺された後なのだろう。その事に少しだけ安堵し、そんな自分に言いようのない気分の悪さを覚えた。
俺の号令のせいでアニが死んだ。ジャックが死んだ。オルクィンジェが死んだ。唯が死んだ。凩が死んだ。篝が死んだ。クロエも死んだ。
俺がどちらも救いたいと我儘を言った結果、仲間を全員、一人残さず死なせてしまった。にも関わらず本懐は果たせずあろう事かその事に安堵する始末。本当に最悪だ。片方を見捨てる事が出来たなら、こんなにも苦しまずに済んだのに。
「……クソが」
今からでも一矢報いつやりたい。だが、切れる手札はもう無い。魔素は残りわずか。回復に回す余裕は無いし、魔装は解けかけ。目は潰れて頭はぐらぐら。勝てるイメージなど最初から無かったが実際に無理ゲーが過ぎる。
そんな中、乾いた音と共に思考にノイズが走る。ノイズはやがて可視化されると虚無の空間に一人の人影が現れた。
「随分と酷い有り様だな」
どこか皮肉っぽい声音は俺のよく知る声だった。しかし、どうして。
「……お前は大切なものを大分落としてしまったらしいな。そしてそれを贖おうとこの状況でも足掻こうとしている。それは最早諦めの悪さと言うよりは妄執に近い」
「妄執、か」
「ああ、そうだとも。しかし、ふむ。悪くは無い。決して悪くない。俺の好みだ。故に」
「――この【魔王】オルクィンジェが、全力を以って助力しよう」
♪ ♪ ♪
魔素の研究で分かった事。そのうちの一つに自分の姿を他のものに変える事は不可能では無いというものがある。しかしその精神は変身先に引っ張られる上変身先をよく理解していなければ変身出来ないという制約がある。
だから俺の変身はたったの二つだけ。一つは犬の姿。そしてももう一つが、
「はぁぁぁっ!」
「猪口才、なっ♪」
【魔王】オルクィンジェその人だ。
だが、勿論一人で変身しようとしてもその変身は完全とは言い難い。そこで唯の最後の銃弾に目を付けた。銃弾の名前は『改竄の弾』。『嫉妬』の権能の最奥にして秘奥。その効果は認識の完全改竄。これを使えばオルクィンジェへの完全な変身が出来るという結論が出た。但し理論上。この弾の再使用に必要な期間は最長の一か月。実験の為に使用すれば決戦で使えなくなる。だからこそ理論止まりだったそれは今現実のものとなった。
「にしても、お遊びに作った最後の弾がこんな結果を齎すとは中々に興味深い。自覚しているかは分かりませんがこれは変身などと言う生優しいものじゃ無い。貴方は杉原叶人でありながらオルクィンジェそのものでもあるのだから。しかしそんな出鱈目が罷り通っている。これは一体どういう事でしょう?」
「知らん。俺に聞くな。しかし、ああ、そうさな」
曲剣と直剣とか撃ち合わさり火花が飛び散った。二人は一時距離を取るとお互いを睥睨し合う。
「人の歪みは、時としてとてつもない怪物を生み出す」
「主人を怪物扱いとは貴方も中々に酷い。……しかし困りました。そろそろ私も疲弊してきた。唯さんを舐め過ぎましたね。ですが、貴方は封印の手段である『超覚醒』を持ち得ない以上この世界が滅びる結末に入っていますが、そこは自覚はなされておいでで?」
ニャルラトホテプは醜悪な笑みを浮かべながら駆け引きに出る。この世界がどうなっても良いのかと。地球を人質にして。いや、或いはそれはただ単に問うているだけなのかもしれない。オルクィンジェはニャルラトホテプを殺せる。しかしそれでは本懐は果たせない。
本懐が果たせない以上この場に於ける勝利……いや、引き分けは存在しない事になる。
だが、
「くっくっく、はっはっは!!」
オルクィンジェは笑う。心底おかしいといった風に。
「お前こそ、さっきの言葉の真意を捉えられていないらしい。この勝負は引き分けだ」
♪ ♪ ♪
オルクィンジェが戦っている中、俺は一筋の希望を見出していた。
それは唯の繰り出した『超覚醒』だった。願望の顕在化の頂点に君臨するそれは、しかし希望を見出せなくなって使う事が出来なくなっていた。
けれど現在進行形で邪神に立ち向かうオルクィンジェの姿を見て、唯の『超覚醒』を見て一つ思い出した、思い出せた。ニャルラトホテプに唯一黒星をつけた仲間の事を。命を賭してニャルラトホテプの全能の否定をした仲間の事を。
「……ジャック」
ニャルラトホテプは完璧では無い。それを証明してジャックは死んだ。思えばあれは伏線だったのだ。いや、伏線とは違うか。それを言うのであればーー布石と、そう呼ぶのが相応しいだろう。後の勝利の為の。
「託されたなら、果たさなくちゃな」
袖で顔を拭うと意識を浮上させる。これを正真正銘の最後にする為に。
♪ ♪ ♪
視界が黒からモノクロに、そしてモノクロは段々と色を帯びて怨敵の姿を克明に映し出す。
意識を入れ替える感覚に一抹の懐かしさを感じながら、
「……『超覚醒』」
その一言を口にすると、ニャルラトホテプの目は初めて驚愕に見開かれた。
何でこの場面でそれが使えるのか。或いは何故これを今まで使わなかったのかなんて事を思っているのかもしれない。
「なぁ、ニャルラトホテプ。偉い哲学者はさ、希望は最悪の災いだって言ったらしい。苦しみを長引かせるからってな具合でさ。……俺も同意見だ」
希望があるからこんな事になった。希望こそが俺たちを突き動かし、戦う事を強いた。
「けどさ、多分その苦しみには意味があるんだよ。勿論苦しみの多寡でどうこうって話でもないけど。少なくとも無意味では無いって、そう思ってんだ」
「ええ、その通りです。決して無意味では無い。少なくとも私は苦しむ貴方を散々嘲笑出来ましたから♪ それで? 希望は苦しみを生むと知りながら今度は何をしようと言うのでしょう?」
「決まってんだろ。決着だ」
「貴方に私が封印できるとでも?」
その問い対して俺は即答する。
「封印は出来ない。けど俺はお前に勝てる」
俺に出来るのはニャルラトホテプに負けを押し付ける事ただそれだけだ。
俺を中心にして音もなく青い炎が広がっていく。一切の傷と死を否定する俺の固有結界、その名は――
「『輪天灼土』」
部屋が一帯が焦土と化す。しかしそんな中でもニャルラトホテプは飄々とした態度を崩さない。
「傷付けない能力。ああ、それは実に素晴らしい。しかしそれでは私を打ち負かす事は出来ない」
あの日俺が願ったのは確かに誰も傷付けない力だった。それを顕在化したのがこの結界だ。
だが、今は違う。
守りたいと、傷付けまいとしたものはもう誰も居なくて、俺自身も癒すには遅過ぎ、目の前には敵がいる。
「心象変遷……結界を再構築」
故に俺が願うのは勝利。放つのは俺自身を燃料にした最初で最後の極大火力……!
「――『輪天灼滅』ッ!!」
「血迷いましたか! 成る程確かに『超覚醒』を使えば致命の攻撃を与えられる。しかし! それでは貴方の本懐は果たせない!」
ニャルラトホテプが死ねばこの世界は滅びる。ああ、そんなことは先刻承知だ。
その上で、俺はこの一撃に命を使う。
青い炎がニャルラトホテプに向かって殺到する。
「これは唯の見せてくれた……『必中』の願い!」
俺一人じゃ当てられる気のしない攻撃でも唯という前例によって補強され『必中』の願いが顕在化する。
どう足掻いても逃げ出す事は出来ない。
そして、当たったのであれば、
「そしてこれがジャックが見せてくれた、『勝利』の願いだァァァァァッッ!!」
それは黒星に変わる。
「はっ、はっはっは!! 遂に自分から本懐を捨てましたか杉原叶人!! しかし、ええ。それも一興!! 素晴らしい!! 素晴らしく――滑稽!!」
「…… 『輪天灼土』の炎の真髄は死なない事にある。お前は死ねず、自爆も出来ない。ただ無為に燃え続ける。お前の負けだ」
「おや、おやおや。成る程。そう来ましたか。よもや人間如きに遅れを取るとは。しかしそれもまた一興。良いでしょう。ええ、認めますとも。この戦い、貴方の勝利だ」
身体を焼かれながらも何処か上機嫌に邪神は宣う。いや、これは自身すらを嘲笑しているのだろうか。
「――ともすれば、ゲームマスターとしてここまで漕ぎ着けた貴方には相応の報酬を与えなければ無作法というもの。先ずは地球に向けた邪神を撤退。そして貴方に相応しいリザルトとエンディングを与えましょうか♪」
次回、最終回




