最終決戦・繋がれた望み
篝は自分が既にどうしようもなく詰んでいる事を察知した。
その原因は一回目のフェイント。焦れたシュヴェルチェが攻撃を誘発させるべく打った初見殺しの一計を辛うじて手の一つで済ませたあの場面だ。あれがあった事により能力の大まかな内容が判明し、凩も自爆じみた呪い戦術に移行出来たのだがそれはそれとして『強欲』の権能はとことん苛烈なものだった。
先ず、奪われた部位から簒奪が侵食する事。手首までだった消失部位は今では肘にまで進行しておりこのままいけばそう遠く無い内に絶命に至る事は想像に難くない。攻撃をしたら死期が早まる上回復されてしまう現状では必至と言って良い。それに加えて消失した部位を返却してその部位のコントロールを奪う能力もある。
これで少しでもアニを傷付けてしまえばこの階層は全滅しか無い。しかし、消失部位がこれ以上増えるともう自制というレベルの問題では無くなる。
篝にはもう、打てる手が無かった。
「……ならば」
ならば、後に繋ぐ他あるまい。ここで全滅すれば地球は滅ぶ。故に全滅だけは絶対に避けなければならない。
だから、それがどれだけ悍ましい考えだと分かっていても、それでも口にせずにはいられない。
「アニ! ……私を殺せ!!」
「考えたなぁ」
……この世界にはルールがある。敵を倒せばその分魔素が勝者に流れ込みレベルが上がる。『強欲』はそれを倒す倒さないに関わらず簒奪するのが能力の本質。であれば、リソースを先んじて仲間に渡せばそれ以上簒奪される事は無い。
「……っ」
簒奪される事は無い。しかしそれは凩のそれとは異なり直接アニに手を汚させるという事に他ならない。
「けぇどぉ、それより先に奪い尽くしちまえば良いよなぁ!!」
「アニ! 早く!」
簒奪の波が篝を襲う。刹那、蜘蛛糸が篝の首と頭とを切り分けた。
抵抗は無かった。
「ちぃ、ギリギリで間に合わなかったか」
「あ、ああっ、ああああああああああっ!!」
ただ感じるのは、糸を倒して伝わる肉を断つ生々しい感触と、途方も無い喪失感。
それはアニの心を黒く塗りつぶして余りある……絶望だった。
仲間と望みの絶えた戦場に、蜘蛛は現れる。
♪ ♪ ♪
「高嶋唯、お前は本当に嫌な女だ」
「あら、今更?」
「……けど、乗せられてあげるよ。ひどく癪にさわるし、俺っち自身これっぽっちも納得出来ないけど」
「それは重畳。それじゃあ」
この戦いは私の負けね。
♪ ♪ ♪
蜘蛛の魔獣は雄叫びを上げると四方八方に糸を撒き散らした。
「チィッ、何だってんだこれは」
しかしそれに殺傷力はまるで無く、規則性もない。ただ只管に鬱陶しいだけの代物だった。殺傷力が無い辺り老獪さ、狡猾さが見て取れそうな気もするが、こうも四方八方に撒き散らすようでは理性が蒸発したと考える方が容易い。
「にしても、身体をデカくしたのは悪手だったなぁ!! 良い的だ!!」
シュヴェルチェは蜘蛛糸を引き裂くと蜘蛛の脚一本に手を触れ、
「チェックメイトってなぁ!」
容赦無く『強欲』の権能を行使する。この瞬間、蜘蛛の、否アニの敗北が決定した。
攻勢に意味は無く、守備にもまた意味は無く、アニはシュヴェルチェにとっての餌に成り下がった。
故にシュヴェルチェは敵の殲滅を確信する。
だが、そんな場面でシュヴェルチェは咳き込むと……口から赤黒い血を吐き出す。
それは凩の手痛い置き土産だった。呪殺には至らなかったものの凩の文字通り身を削る攻勢は確実にシュヴェルチェの肉体を蝕んでいた。肉体の欠損なら奪ったリソースで即座に回復出来るのだが、呪いに関してはそれが全く通用しない。無論解呪自体は可能な為目先を生き残ればどうとでもなる。
シュヴェルチェはそう考えていた。
だが、その慢心を蜘蛛は逃さない。段々と魔素が奪われてその姿を人へと回帰させる中、最後っ屁とばかりに糸を放出する。
「あの赤髪と言い、嫌な最後っ屁ばっか残しやがって。嬉々として自殺を敢行するような狂人ばっかりだなこの旅団とやらは」
シュヴェルチェは蜘蛛を完全に意識の外に置いて、蜘蛛糸を払う。
「とら、とら、とら」
蜘蛛は二度刺す。
魔素で出来た巨体を霧散させながらアニは『強欲』の徒の腕に向かって奇襲を仕掛けた。
自身の圧倒的優位にも関わらず突っ込んで来たアニをシュヴェルチェは交わせず右手の中指が短剣によって切断された。
「……っ」
しかしそれは自分の指をただ捨てする手筋でもあった。
「少し驚いちまったよ……クソ蜘蛛女ぁ!!」
指を元に戻しながらシュヴェルチェはアニの腹部を膝蹴りにするとアニの小柄な身体はくの字に折れ曲がり、苦しげな呻き声が漏れ出る。
「ま、だ……」
♪ ♪ ♪
勝ち筋は、ある。凩と篝が次の為にと布石を打ってくれたから。
『強欲』。それはとても強い。けど……万能じゃ、ない。凩の呪いは効くし、殺す事は不可能じゃ無い。
だから、後は左手。左手の指一本だけで良い。それだけ切り飛ばせれば、勝てる。なのに……。
「どうして、動けない……」
視界が眩む。身体が重い。
魔素を奪われたから? 知らない知らない知らない。動かないと。じゃないと、負ける。
叶人の理想が、叶わなくなる。
誰よりも優しくて、脆い叶人の心が、本当に壊れる。それが……とても怖い。
犠牲が出た。それだけでも、きっと叶人は自分を責める。
多分、きっともう手遅れ。叶人の願った叶人だけの幸せは、叶わない。だからこそ、最低限は……。
『動けなくなっちまったか? アタシの愛弟子』
「し、しょー?」
頭に響いたのは、懐かしいししょーの声。
『勿論だ。こんなイイ女、お前の師匠以外の何だってんだ』
「私……死んで?」
『いんや、それは違う。正確には死に掛けだ。まだまだ死んじゃいない。脈もあるし、アタシと話す気力は残ってる。まだ終わらんよ。これも角の子の贈り物のお陰さね』
……篝の、魔素。
『杉原何某君を勝たせたいんだろ? なら、やるべき事は一つだ』
「……でも、動けない」
『ったく、しょうがないなぁ。アタシも少しだけ力添えしてやんよ。だから……勝ちに行くぞ、愛弟子』
♪ ♪ ♪
「まだ……!!」
アニは尚も立ち上がると手にした師匠の形見である短剣を投擲した。アニの手を離れた短剣は真っ直ぐに『強欲』の左手を貫くと壁に刺さって停止する。それと同時にアニの左手が潰れたが構いやしない。
もう勝ちだから。
「はぁぁぁぁぁっ……!!」
指の一本が無くなった右手で虚空を薙ぐ。するとシュヴェルチェは自分の両手を首元に当てた。
「あぁ!? 何だよこれ……クソっ、クソっ!! 動かせねぇだと!?」
「ずっと、糸。仕込んでた……!!」
「糸だぁ? ……チィッ、魔獣化した時からか!!」
「違う。それよりも前、凩を盾にするその前から!!」
アニが更に不可視の糸を引っ張る動作を強めるとシュヴェルチェは自分で自分の首を強く締め始める。
「ぐぁ……何で、『強欲』が」
発動しないのか。その理屈は簡単である。
これが直接被害を与える攻撃にはあたらないからだ。
これこそが唯一の勝ち筋。
もし、凩の呪いが無ければ糸は千切られていただろう。もし、篝から魔素を受け取れなければ成人男性の両腕を操る程の糸を作り出せなかっただろう。
「……死んで」
しかしか細い針に糸は通った。一縷の望みは確かにここに繋がれた。
「おれ、がぁ、こんな……」
斯くして、『強欲』は敗北し。
「……」
唯一の生き残りであるアニは、その場に倒れ込んだ。
次回、VSニャルラトホテプ




