Atlach-Nacha【4】
二度目のクメロの森は一回目よりもずっと陰惨な空気が漂っていた。
辺りは飛び散った血肉によって酷い有様になっている。吐き気を催すような悪臭が立ち込めていて、そこはまるで地獄のようだった。
「うぷっ……アトラ。すまない、ちょっと吐いて来る」
木陰で嘔吐すると朝食が消化されないまま出てきた。
アトラもこの光景には思うところがあるようで露骨に顔を顰め、ジャックはまるで祈りを捧げるかのように手を組んでいた。
「はぁ、はぁ、ジャック。目的地まであとどれ位だ?」
「うん、……大体三十分程度歩けば到着するかな」
戦闘をアトラに任せてゴブリンの気を引きその間に『欠片』を盗み取る。それが今回の作戦だった。
アトラを矢面に立たせるようで気が引けるが現状、それしか手は無い。
「清人、顔色悪い」
「平気だ。問題ない。それより……戦いは基本アトラ頼みになる。それでも良いのか?」
「ん、あっちが殺す気なら容赦無く殺す。のーぷろぐれむ」
「……そうか」
あまりにも軽い調子だった。
それはきっと文字通り容赦無く殺す事の証明。
その精神は……成る程、世の人々からはさぞ疎まれた事だろう。
なんの変哲のない言葉の一つ一つが彼女の境遇についての妄想を掻き立てるようで悲しい気分になった。
♪ ♪ ♪
ジャックの案内のお陰かスムーズに森の奥深くににまで進む事が出来ていた。
「ん、敵は全部死んだ。おーるきる、のーです。ぐっど」
とは言え道中何度もゴブリンが襲って来たのだが――その全てがアトラたった一人によって剪断されているのだから驚きを禁じ得ない。
俺一人だったらきっと瀕死になるであろう相手を一瞬だ。頼もしい事この上無い。
ただ……一番近くにいる俺ですら何故ゴブリンが一瞬で剪断されているのか、その仕組みが全く分からなかった。
ゴブリンが突っ込んだら知らぬ間に細切れになっているのだ。
その際二本の短剣を操っていたからもしかして『飛ぶ斬撃』なんて物を放っているのかもしれない。
『宿主、そろそろお出ましのようだ。俺の無くした『左腕』の気配がする。そしてその加護を受けた個体の気配もな』
「それって……」
『ああ、喜べボス戦だ。いつも通りトチれば死ぬけどな。この世界を生きるのは他ならぬ――』
「俺自身。自分の事は自分で、だろ」
そう言うと『魔王』が微かに微笑んだ気がした。
俺も薄く笑うと前へ、前へと進んで行く。
確信があった。
その先にはきっと強大な敵が待っているのだろうと言う、そんな確信が。
「何かぞわぞわする……飛び切りdangerousなのが来るよ!!」
ジャックがそう言うのとほぼ同時にその巨体は姿を現した。
ゴブリンを狩人ととするならばそれは――『王』。
小回りや機動性を両立させる矮躯のゴブリンとは違い、それは己の力を誇示するような巨大な体躯を持っている。
濃厚な威圧と暴虐の気配を漂わせる森の大王の姿がそこにはあった。
「『魔王』、『欠片』はどこにある?」
『あのデカゴブリンの剣に嵌め込まれている青い宝珠だ。精々頑張って盗む事だな』
身の丈ほどもある大剣の装飾に、目的の『欠片』は嵌め込まれていた。無骨な大剣なだけあって青く煌めく『欠片』は異彩を放っている。
「あれか……」
その大剣を睨みつけながら考える。
スキルで速く走っても高さが出ない。必然的に振り下ろすのを待たなければならない上、その後しばらく停止して貰う必要がある。
そして、俺にはそれが出来ない。
「……アトラ、大剣が振り降ろされたらそのままアイツを拘束出来るか?」
「ん、多分出来る……と思う、めいびー。どうするつもり?」
アトラは首を傾げながらそう言った。
俺にとってはそれで充分だった。あとはアトラを信じてなすべき事をするだけだ。
「注意を引いて、動きさえ止めてくれれば俺がバッチリ決めてやる。やってくれるか?」
「ん、信じる」
そしてゴブリンの王の咆哮と共に戦闘は始まった。
横薙ぎに大剣が振るわれ――。
「無駄」
無かった。
ゴブリンの王は大剣を腰だめにしたまま静止しているのだ。
その正体は極細の糸。
幾重にも重なった糸が巨大な体躯に絡み付き、強力に縛り付けているのだ。
「今、行ける?」
「勿論だ!! 速攻でカタをつけてやんよっ!!」
『加速』を起動しながらゴブリンの王の元へと疾駆する。
身体が馬鹿みたいに軽い。まるで燕にでもなったような気分だ。
「奪わせて貰うぞッ!!」
大剣に飛び乗るとそのまま青い宝珠目掛け――。
ふと、背筋が粟立つような感覚を覚えた。
それは自分から猛獣のアギトに飛び込んでしまったかのような決定的な失敗の予感。
横を見れば紅く染まる狂気に満ちた双眸が俺を睥睨していたのだ。
「!!」
弾かれるようにその場を飛び退くとゴブリンの王はブチブチと己の体一つで糸を千切り、横薙ぎを放って来た。
俺がそのまま大剣に飛び乗ったままだったならと思うと震えが止まらなくなる。
『不味いなこれは』
そう『魔王』は呟いた。
『想定以上のパワーだ、あの娘には荷が重い事だろう』
「どう言う事だ?」
『あの娘は確かに強いがそれは技術と知略……立ち回りの巧さが生み出す強さだ。純粋な力のみでぶつかられた場合苦戦は避けられない』
頬に脂汗が伝った。
嫌な緊張感がその場を支配しているようで吸い込む空気すら重くなったかのように感じる。
『だが――あの娘もそう頑固者ではないだろうからな。きっと今にも見せるだろう』
何を、とは言わなかった。
代わりにアトラの方を向き――驚愕した。
ビスクドールのような端正な顔は狩人特有の不遜な笑みに彩られ。赤い色彩を放つ瞳は真紅に染まっていた。
身に纏う風格は正に百戦錬磨の古強者のそれにも似て重々しい。
『よく見ておけ、あれがこの世界を生きる者の生きる意志だ』
「――より強く敵を絡め取れ『アラクニド』」
時間が足りんのよな……。




